表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
124/177

外伝 16時47分の静寂・微かな目覚め



夜が少しだけほどけて、朝の気配が差し込む。


カーテンの隙間から、淡い光。

白くて、やわらかい色。


病室の中は、まだ静かだった。


モニターの音。

規則的なリズム。

それが、ここに“命が続いている”ことを教えてくれる。


綾は、同じ姿勢のまま、椅子に座っていた。


一度も離していない手。


きーくんの手。


夜のあいだ、何度も確かめた。


温度。

重さ。

そこにあること。



(……朝だ)


ぼんやりと、そう思う。


眠っていない。


でも、起き続けている感覚とも少し違う。


ただ、ここにいた。


ずっと。



ふと。


ほんのわずかに、手の中の感触が変わる。


微かな、ほんとうに微かな動き。



綾の意識が、一気に戻る。


「……きーくん」


小さく呼ぶ。


今度は、昨日よりもはっきりと。



ゆっくりと。


まぶたが、わずかに動く。



時間が、引き延ばされる。


一秒が長い。


呼吸が浅くなる。



もう一度。


まぶたが、開こうとする。


でも、完全には開かない。


光が、まだ強すぎるみたいに。



「……大丈夫」


綾が、自然に言っていた。


自分でも驚くくらい、やわらかい声で。


「……ゆっくりでいいから」



世古の呼吸が、ほんの少しだけ変わる。


深くなる。


戻ってくる呼吸。



やがて。


ほんのわずかに。


目が開く。



焦点は合っていない。


でも、確かに開いている。



綾の胸が、強く鳴る。


でも、叫ばない。


昨日、全部出したから。


今は、違う。



「……きーくん」


少しだけ近づく。


声は、落ち着いている。


でも、指先は少しだけ震えている。



世古の目が、ゆっくり動く。


視線が、探す。


定まらない。


でも。



綾の方で、止まる。



一瞬だけ。


ほんの一瞬だけ。


焦点が、合う。



「……あや……さん……?」


掠れた声。


ほとんど音になっていない。


でも、ちゃんと届く。



綾の呼吸が止まる。


それから、ゆっくり戻る。



「……うん」


それだけ。


それ以上、言えない。


言葉が追いつかない。



世古は、少しだけ目を細める。


状況を理解しようとしている。


でも、まだ無理だ。


身体も、意識も、完全じゃない。



「……ここは……」


「病院」


綾が、すぐに答える。


迷わない。



「……そうですか……」


短い言葉。


それだけで、全部を受け入れているように見える。


無理に理解しようとしない。


ただ、今を受け取る。



少しだけ、沈黙。



綾は、ほんの少しだけ顔を近づける。


そして。


少しだけ、声を落とす。



「……遅れたね」



世古の目が、わずかに動く。


その言葉の意味を、拾う。



ほんの少しだけ。


口元が、動く。



「……申し訳……ありません……」


掠れた声。


でも、ちゃんと返す。



綾は、一瞬だけ言葉を止める。


それから。


ほんの少しだけ、眉を寄せる。



「……違う」


小さく言う。


でも、はっきり。



「謝るとこじゃない」


少しだけ、息を整える。



「……戻ってきたんだから」



その言葉に。


世古の呼吸が、ほんの少しだけやわらぐ。



綾は、手を握る。


今度は、少しだけ強く。



「……ばか」


小さく言う。



「ほんとに」



でも、その声は。


怒っているのに、やさしい。



世古は、もう一度目を閉じる。


体力が、限界に近い。


でも。



その前に。


ほんの少しだけ。


指が、動く。



握り返す。


弱い。


でも、確かに。



綾の目から、涙が落ちる。


音はない。


静かな涙。



「……いるね」


確認するみたいに。



「……ちゃんと」



返事はない。


でも、いい。



世古は、そのまま再び眠りに落ちる。


今度は、“戻ってきたあとの眠り”。



朝の光が、少しだけ強くなる。


病室が、やわらかく明るくなる。



綾は、そのまま座り続ける。


もう、不安で握っているわけじゃない。



“ここにいるから握っている”



その違いを、ちゃんと感じながら。



16時47分の静寂は、もう終わっている。


完全にではない。


でも、意味が変わった。



“戻ってくるための静寂”から


“戻ってきたあとに続く時間”へ。



綾は、ゆっくりと息を吸う。


そして、少しだけ笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ