特別編 触れるということ
夜の空気は、少しだけ軽かった。
季節が変わりかけている。
寒いほどじゃない。
でも、まだ完全にはやわらいでいない。
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「……今日は、人が少ないですね」
綾が言う。
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「そうですね」
世古が返す。
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それだけ。
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でも、
会話が途切れた感じはしない。
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並んで歩く。
前より、少しだけ距離が近い。
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意識しなくても、そうなっている。
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(……慣れた)
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その感覚に、少しだけ驚く。
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信号で止まる。
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赤。
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人は少ない。
でも、渡らない。
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世古も、何も言わない。
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(……ちゃんとしてる)
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小さく、そう思う。
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ふと、
綾の視線が下がる。
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手。
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自分の手と、
世古の手。
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触れてはいない。
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でも、
(……近い)
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ほんの数センチ。
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それだけの距離。
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(……どうする)
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少しだけ、考える。
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(……選ぶ)
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指先が、ほんの少し動く。
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でも、
止まる。
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(……違う)
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何かが、違う気がする。
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“なんとなく”じゃない。
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そのとき、
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「……冷えてきましたね」
世古が、静かに言う。
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「……はい」
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ほんの少しだけ、息が白い。
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世古は、少しだけ間を置く。
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そして、
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「失礼します」
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そう言って、
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そっと、手を取る。
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驚くほど、自然だった。
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強くもなく、
弱くもなく、
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ただ、
そこにある。
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綾の思考が、一瞬だけ止まる。
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(……あ)
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でも、
嫌じゃない。
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むしろ、
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(……落ち着く)
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握られている、というより、
包まれている感覚。
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信号が変わる。
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青。
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歩き出す。
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手は、そのまま。
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何も言わない。
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言う必要もない。
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(……これでいい)
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歩幅が、自然と揃う。
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前よりも、
もっと。
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少しだけ歩いて、
世古が言う。
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「……無理はなさらないでください」
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「……はい」
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短い返事。
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でも、
その言葉が、
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手から、伝わってくる。
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しばらくして、
綾が、ほんの少しだけ力を込める。
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握り返すほどじゃない。
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でも、
“そこにいる”と伝えるくらい。
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世古は、何も言わない。
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ただ、
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離さない。
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それだけで、十分だった。
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店の前に着く。
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自動ドアの前。
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あの音が鳴る直前。
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世古が、手を離す。
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自然に。
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無理なく。
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(……あ)
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少しだけ、名残が残る。
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でも、
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(……いい)
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「……ありがとうございました」
綾が言う。
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「こちらこそ」
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少しだけ、間。
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「……また」
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世古が、静かに頷く。
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「はい」
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自動ドアが開く。
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あの音。
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同じなのに、
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少しだけ、やわらかい。




