特別編 近すぎない距離
店の前で、綾は少しだけ足を止めた。
自動ドアの前。
あの音が鳴る直前の、静かな一瞬。
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「……今日は、休みですか」
背後から、声が落ちる。
振り返る。
世古が立っていた。
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「……はい」
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ほんの少しだけ、間がある。
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「どこか、行かれますか」
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“行きましょう”じゃない。
いつも通り、選択を渡してくる。
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(……選ぶ)
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「……少し、歩きたいです」
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「分かりました」
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それだけで、並ぶ。
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夜の道。
人は少ない。
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会話は、ほとんどない。
でも、沈黙が少しだけ違う。
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前より、近い。
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言葉にしなくても、分かる距離。
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「……寒くないですか」
世古が言う。
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「……少しだけ」
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ほんの小さく答える。
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世古は、少しだけ間を置く。
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そして、
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「失礼します」
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そう言って、
そっと、自分のコートを肩にかける。
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一瞬、息が止まる。
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(……近い)
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でも、
嫌じゃない。
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むしろ、
(……落ち着く)
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「……ありがとうございます」
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「いえ」
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それだけ。
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それ以上、何もしない。
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少し歩いて、ベンチに座る。
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距離は、ほんの少しだけ近い。
前より、確実に。
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でも、
触れない。
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「……最近」
綾が、口を開く。
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「はい」
世古は、すぐに返す。
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「……ちゃんと、考えるようになりました」
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言葉を選びながら、ゆっくり言う。
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「それは、良いことだと思います」
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評価しない。
でも、ちゃんと受け取る。
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少しだけ、間。
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「……前より、楽です」
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小さく、続ける。
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世古は、少しだけ視線を落とす。
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「そうですか」
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その一言が、
少しだけやわらかい。
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沈黙。
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でも、
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(……いい)
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綾は、少しだけ手を動かす。
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迷う。
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(……選ぶ)
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ほんの少しだけ、
世古の袖に触れる。
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掴むほどじゃない。
触れているだけ。
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世古は、何も言わない。
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でも、
離さない。
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それだけで、十分だった。
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夜の空気が、少しだけやわらぐ。
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遠くで、車の音。
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日常の中。
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でも、
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(……ここにいる)
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「……そろそろ、戻りますか」
世古が言う。
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「……はい」
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立ち上がる。
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袖から、手を離す。
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でも、
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(……離れてない)
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店の前に戻る。
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自動ドアの前。
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あの音が鳴る前。
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「……ありがとうございました」
綾が言う。
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「こちらこそ」
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ほんの少しだけ、間。
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「……また」
綾が、言う。
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少しだけ驚く。
自分で言った言葉に。
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世古は、静かに頷く。
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「はい」
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それだけ。
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約束はしない。
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でも、
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(……またある)
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そう思える距離。
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自動ドアが開く。
あの音。
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同じなのに、
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少しだけ、違って聞こえた。




