特別編 戻る場所
店の自動ドアが開く。
いつもの音。
変わらないはずの音。
——なのに、少しだけやわらかく聞こえた。
綾は、その違いに気づいて、少しだけ足を止める。
(……同じなのに)
理由は分からない。
でも、確かに違う。
⸻
「お疲れさまです」
バックヤードから声が飛んでくる。
「お疲れさまです」
自然に返す。
声も、動きも、いつもと同じ。
制服に着替えて、レジに立つ。
⸻
ピッ。
商品のバーコードを通す音。
袋を開く。
お金を受け取る。
渡す。
⸻
全部、覚えている動き。
考えなくてもできる。
⸻
(……いつも通り)
そう思う。
でも——
⸻
「袋、ご利用になりますか」
口に出した言葉に、ほんの少しだけ意識が乗る。
前までは、ただの作業だった。
決まっている言葉を、そのまま出すだけ。
⸻
でも、今日は違う。
⸻
“選んで言っている”感覚がある。
⸻
「お願いします」
客が答える。
「かしこまりました」
⸻
袋を開く。
商品を入れる。
手の動きは同じ。
でも、
(……丁寧に)
ほんの少しだけ、意識が変わる。
⸻
次の客。
また同じやり取り。
⸻
変わらない。
でも、同じじゃない。
⸻
(……選んでる)
⸻
それだけで、少しだけ、世界の手触りが変わる。
⸻
休憩時間。
バックヤードの椅子に座る。
ペットボトルの水を開ける。
一口飲む。
⸻
静か。
⸻
ふと、思い出す。
東京タワーの景色。
高い場所。
遠くまで見えるはずの場所。
⸻
そして、
一瞬だけ重なった視線。
⸻
「……来てくださって、ありがとうございます」
あの言葉。
⸻
(……なんで)
理由を考える。
でも、はっきりしない。
⸻
ただ、
(……来たのは、自分だ)
それだけは分かる。
⸻
誰かに言われたわけじゃない。
必要だったわけでもない。
⸻
(……選んだ)
⸻
それだけ。
⸻
なのに、
その事実が、少しだけ残っている。
⸻
「綾さん、そろそろ戻っていい?」
「あ、はい」
⸻
立ち上がる。
仕事に戻る。
⸻
また、同じ繰り返し。
⸻
ピッ。
袋。
会計。
⸻
でも、
(……違う)
⸻
ほんの少しだけ、
自分が“ここにいる”感じがする。
⸻
閉店前。
最後の客を見送る。
⸻
自動ドアが開く。
あの音。
⸻
振り向く。
⸻
——誰もいない。
⸻
少しだけ、間が空く。
⸻
(……来るわけない)
そう思う。
⸻
でも、
(……来なくていい)
とも思う。
⸻
⸻
鍵を閉める。
店の明かりが落ちる。
外に出る。
⸻
夜の空気。
少しだけ冷たい。
⸻
歩き出す。
⸻
特別なことは、何もない。
⸻
母のことも、
父のことも、
変わっていない。
⸻
それでも、
⸻
(……明日も、やれるかもしれない)
⸻
ほんの少しだけ、そう思う。
⸻
それで、十分だった。




