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15-6 インフラの守護者

 その異変は、早朝の微かな空気の震えとして現れた。


 断崖のログハウスでリーフと朝茶を楽しんでいた俺は、右腕の紋様が淡く、警告灯のように明滅したのを感じ取った。


「……ルシ? どうかしたの?」


「いや、少しな。 北の街道沿い、世界樹の末端回路で魔力の循環が滞っているようだ」


 かつての俺なら、その瞬間に茶杯を投げ捨て、空間転移を駆使して現場へ駆けつけていただろう。


 あるいは、ここから直接、世界樹のカーネルに介入し、数秒でバグを消去していたはずだ。


 だが、俺は温かい茶杯を置くと、ゆっくりと上着を羽織るにとどめた。


 指先が修正を求めて疼くのを、もう片方の手で静かに抑える。


「ちょっと、様子を見てくる。 散歩がてらにな」


 北の街道沿いにある、小さな魔導中継塔。


 そこには、近隣の村から駆けつけた若手の「調律士」たちが三、四人、顔を真っ青にして集まっていた。


 塔の礎石から漏れ出す魔力は不安定に渦巻き、制御を失いつつある。


「……だめだ! 安定化の術式が弾かれる! 循環圧が強すぎるんだ!」


「どうすればいい!? このままじゃ回路が焼き切れて、村の明かりが全部消えちゃうよ!」


 俺は大樹の影に身を隠し、彼らの様子を観察した。


 右腕の回路を通じて、原因は手に取るようにわかる。


 以前のシグルドが残した古い残滓が、新しく敷設した網目に引っかかり、目詰まりを起こしているのだ。


 俺が指を弾けば済む話だ。


 解決までの推定時間はコンマ三秒。


 だが、俺は動かなかった。


 喉の奥まで出かけた正解を飲み込む。


(……さあ、どうする。 俺が作った『新しい仕組み』を、お前たちはどう使いこなす?)


 リーダー格と思われる若い女性調律士が、震える手で魔導書を開き、仲間たちに叫んだ。


「落ち着いて! ルシ様が作ったこの回路には、必ず『逃げ道』があるはずよ!

 一箇所で止めようとしないで。 みんな、自分たちの魔導器を同期させて、負荷を分散するの!」


 彼女の指示は、驚くほど的確だった。


 それはかつての宮廷魔導師が好んだ、絶対的な力による封印ではなく、俺が提唱した、不完全さを受け入れ、全体で流すという設計思想そのものだった。


 若者たちが必死に杖を掲げ、不安定な魔力に干渉していく。


 一度、二度と、激しい魔力の余波が彼女たちを突き飛ばしそうになるが、互いに肩を支え合い、決して術式を解かない。


 泥臭く、不格好で、しかし力強いその姿。


 それは、かつて俺が一人で完璧にこなしていた作業よりも、遥かに生命いのちに満ちた、美しい調律だった。


 やがて、塔の周囲に渦巻いていた暴力的な光は、静かな拍動へと戻っていった。


「……やった。 繋がったわ。循環、正常に戻りました!」


 手を取り合って喜ぶ若者たち。


 その顔には、自分たちの力でインフラを守り抜いたという、確かな自信が漲っていた。


 俺は大樹の影から、音を立てずにその場を離れた。


 もし俺が手を貸していれば、問題はより早く解決しただろう。


 だが、彼女たちは、自分たちの力で世界を維持できるという、最も重要な自信を失っていたはずだ。


 設計者がいなくても、現場が判断し、修正し、運用していく。


 それこそが、俺が永久有給休暇を謳歌するために必要だった、真の意味でのシステムの完成ゴールなのだ。


「……よくやった。 合格だ」


 俺は誰に聞かせるでもなく独り言ち、満足げな微笑を浮かべた。


 右腕の紋様が、彼女たちの歓喜の波長を拾って心地よく振動する。


 設計者冥利に尽きる、とはまさにこのことだ。


 帰り道、市場に寄り道して、リーフの好きな甘い木の実を買った。


 世界を救う仕事は、もう俺の専売特許ではない。


 明日、どこかで不具合が起きても、きっと彼らがなんとかしてくれる。


 その信頼こそが、俺に本当の安らぎを与えてくれるのだ。


 俺は軽い足取りで、愛する者が待つ断崖の家へと続く坂道を登っていった。


 夕食は何にしよう。


 そんな些細な問題に全演算能力を傾けられることの幸せを、俺は噛み締めていた。

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