15-5 師達との再会(メギストスとバナード)
エリュシオンの街外れ。
潮風が丘の木々を揺らし、木漏れ日が地面に複雑な文様を描き出す午後のことだった。
俺は、リーフに持たされた軽い酒の肴を手に、高台にある古びた東屋へと足を運んでいた。
そこには、かつて世界の命運をその両肩に背負い、俺と共に死線を越えた二人の老兵が、すでに腰を下ろしていた。
「遅かったな、ルシ。 英雄の休暇というのは、そんなに忙しいものなのか?」
皮肉げに笑いながら、度数の高そうな酒瓶を掲げたのは、バナード師匠だ。
その隣では、メギストス師父が老眼鏡を鼻先にかけ、古びた書物を捲りながら静かに頷いている。
「……すみません。 リーフの買い物の手伝いと、子供たちの宿題を見ていたら、つい」
「くはは! あの無敵の魔導師が、今や買い物袋の番人と家庭教師か。
神殺しの業も形無しだな」
「良いことではないか。 平和とは、そうした『些事』にこそ宿るものだ」
バナードが適当な器に酒を注ぎ、俺の前に差し出す。
彼が最近、趣味で仕入れているという、癖の強い林檎酒だ。
「どうだ、今年の出来は。 去年は雨が多すぎて酸味が強すぎたが、今年はようやく納得のいく糖度になった」
俺はそれを一口含んだ。
……酸っぱい。
いや、それだけではない。
喉を焼くような荒々しい刺激と、少しのえぐみ。
以前の俺なら醸造の不備として切り捨てていたであろう不完全な味だ。
だが、その複雑な雑味の一つひとつが、今の俺には、林檎が育った土の力やバナードの不器用な試行錯誤という、愛おしいノイズとして脳に響く。
「……美味いですね。
師匠が戦場以外でこんなに熱心になれるものを見つけるとは、正直驚きました」
「馬鹿を言え。 戦なんてのは、終わらせるためにやるもんだ。
終わった後に何を楽しむか、それを考えていない奴は、ただの人斬りよ」
剣聖そして拳聖と呼ばれた男の言葉には、重みがあった。
「師父はどうなんです? 相変わらず、魔導の深淵を覗き続けているんでしょう?」
俺の問いに、メギストスは書物から目を上げ、穏やかに微笑んだ。
「深淵か……。 最近は、近所に住む子供たちに『火を灯す手品』を見せることの方が、ずっと難しく、かつ有意義だと気づかされたよ」
師父は指先でパチリと小さな火花を散らした。
俺は、その火花の揺らぎを観測した。
それはかつて山を削った極大魔法と同じ理論構成を持ちながら、出力だけを極限まで絞ったもの。
全魔力を一点に集中させるよりも、遥かに精密で、贅沢な「魔導の無駄遣い」だ。
そのあまりに無意味で、優雅な出力の制御に、俺は感嘆を禁じ得なかった。
「ルシよ。 我々は長らく、世界を『修正すべき不具合』として見てきた。
だが、守りきった後の世界で、自分自身が『どう楽しむか』を、お前はまだ学んでいないのではないか?」
その言葉に、俺は言葉に詰まった。
「大人の生き方というのはな、自分の時間を『無駄なこと』のためにどれだけ贅沢に使えるか、ということさ。
目的も、効率も、成果もない。 ただ、その瞬間が心地よいからやる」
バナードが俺の肩を強く叩く。
その衝撃が、俺の肉体に伝わる。
かつて世界の運命を数式で制御しようとしていた俺にとって、この無駄の美学は、どんな高等魔導よりも難解なパッチだった。
「……有給休暇の練習、ですか。 不合格を食らわないように、精進しますよ」
「ははは! お前は真面目すぎるんだ。 たまには酒に飲まれて、丘の上で昼寝でもしてろ」
東屋に、三人の男たちの笑い声が響く。
夕暮れの風が俺の頬を撫でる。
その風の温度変化をデータとしてではなく、「少し肌寒くなってきたな」という、当たり前の感覚として受け入れた時、俺の心にすとんと、新しい平穏が落ちてきた。
丘を下りながら、俺は自分の右腕を見つめた。
かつては呪縛と責任の印だったこの腕。
今はその紋様を、人々の喜びの拍動を受信するためだけに使っている。
効率の悪い林檎酒を愛で、魔導を手品に使い、愛する者のために時間を「無駄」にする。
世界樹の演算能力を手放して手に入れたのは、こうした不完全で贅沢な時間だったのだ。
家の灯りが見えてくる。
俺は、学んだばかりの大人の余裕を少しだけ意識しながら、いつもよりゆったりとした足取りで、扉へと手をかけた。
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