14-7 アップデート(平準化と修正)
神の化身が霧散し、その呪詛が星空に溶けて消えたあと、訪れたのは耳が痛くなるほどの静寂だった。
俺の右腕に集まっていた数億の意志、黄金の奔流もまた、静かに凪いでいく。
だが、それは力の消失ではない。
俺という点に集まっていたエネルギーが、張り巡らされた黄金の回路を通り、本来あるべき面へと広がり始めた証だった。
「……始まるぞ。 これが、俺たちが選んだ新しい世界の姿だ」
俺の呟きに応えるように、天を衝く世界樹の幹が淡いエメラルド色の光を放ち、地脈を通じて全世界へと拍動を送り出した。
これまでの世界は、神という唯一の特権階級によって魔力が吸い上げられ、管理され、偏った配分を、強いられてきた。
豊かな土地は過剰な魔力に焼かれ、不毛な土地は神の恩恵から見捨てられ、ただ枯れ果てるのを待つしかなかった。
だが、今。
俺が三つの鍵で定義し直し、人々の承認によって実行された新しい理が、その歪みを猛烈な勢いで正していく。
視界の端で、黄金の光の粒子が地を這い、大地の奥深くへと浸透していくのが見えた。
まず変化が訪れたのは、魔力の枯渇に苦しんでいた辺境の地だった。
何世代にもわたって草一本生えなかった灰色の荒野。
そこへ、世界樹から平準化された純粋なマナが、春の雨のように降り注ぐ。
パキパキと音を立てて乾いた土が潤い、地中深くで眠っていた太古の種たちが、数千年の時を経て一斉に目を覚ます。
灰色の地平線が、瞬く間に若草色の絨毯へと塗り替えられていく光景は、神の奇跡よりもずっと泥臭く、そして力強い生の躍動だった。
「見て、ルシ……! あんなに枯れていた大地が、息を吹き返していくわ」
リーフが俺の腕にすがり、感動に声を震わせる。
一方で、変化はそれだけではなかった。
これまでは神の寵愛を受け、過剰な魔力が集積していた聖域や大都市。
そこでは暴走寸前だったエネルギーが適正な値へと引き抜かれ、周囲の土地へと滑らかに還流していく。
強すぎる光に焼かれていた地は癒え、澱んでいた魔力の溜まり場は清流へと変わる。
世界が、数千年に及ぶ閉塞から解放されたかのように、清々しく、健やかな循環を取り戻していく。
「……これが、平準化。 特定の誰かが独占するのではなく、すべての命が等しく、その恩恵を分かち合う形だ」
俺の意識には、世界中から修正の完了を告げる無数のフィードバックが流れ込んでくる。
かつて宮廷魔導師団で、どれほど精密な術式を組んでも達成できなかった完璧な調和。
それは、天才一人の計算では不可能だった。
世界中の人々が明日を願うという意志を差し出し、それを潤滑油として循環させたからこそ、この大規模な再定義は成功したのだ。
崩壊し、ひび割れていた空間の剥離は完全に塞がり、大気中の魔力濃度は、人が、精霊が、最も心地よく呼吸できる濃度へと安定していく。
それは、世界が、あるべき正常な姿へと書き換えられる聖なる瞬間だった。
「ルシ兄さん、見て! 空が……空が、本当に綺麗だよ!」
ネロが指差す先。
神の管理を象徴していた、あの不自然なほどに完璧な黄金の天蓋はもうどこにもない。
そこにあるのは、深い紺碧の中に、数え切れないほどの星々が瞬く、本当の夜空。
不確定で、広大で、どこまでも自由な、俺たちの新しい天井だ。
俺は、熱を帯びた右腕をゆっくりと下ろした。
全身の倦怠感は凄まじかったが、心は不思議と軽かった。
俺の仕事は、ここで終わりではない。
平準化された魔力をどう使い、芽吹いた大地でどう生きていくか。
それを決めるのは、これから目覚める世界中の人々だ。
「……バグだらけの古い仕様書は、これで全部破棄だ。
これからは、毎日が新しいページになる」
俺は隣で微笑むリーフの手を、今度は管理者としてではなく、一人の男としてしっかりと握りしめた。
世界樹の輝きが、静かな月光のような白銀へと落ち着いていく。
アップデートは完了した。
歪みは正され、器は満たされた。
神のいない、けれど希望に満ちた正常な世界の第一夜が、こうして静かに、けれど確かに更けていく。
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