13-3 隠されていた特異点への扉
応急処置を施した制御弁が、今にも爆ぜそうな振動を抑え、低く唸り声を上げている。
俺は、魔導の過負荷で感覚の失われた右腕を抱えながら、集積所の最深部へと足を進めた。
かつてこの街を救ったあの日、俺が、ここが世界の終着点だと信じて疑わなかった、冷たく湿った岩肌の行き止まり。
「……ここから先は、どの記録にも、俺の記憶にも存在しない場所だ」
剥き出しの岩壁が、非情な絶望のように行く手を遮っている。
かつて訪れたあの日、俺はここをただの壁として処理した。
だが、身体の九割を世界樹の術式に侵食され、その瞳に世界の記述を映し出す今の俺には、その壁の向こう側から漏れ出す、悍ましいほどの魔力の拍動が感じ取れた。
しかし、俺以上にその違和感を鋭敏に感じ取っている者がいた。
「ルシ、待って……。 ここ、普通じゃないわ。
壁の向こう側が、眩しすぎて直視できない……」
リーフが、痛みを堪えるように琥珀色の瞳を細め、岩壁を凝視していた。
常人には決して見ることのできない魔力の流れ、そのものを視覚化する彼女の特異な視界。
世界樹の娘である彼女の目には、俺が見ている以上の、世界の綻びが見えているのだ。
「リーフ、何が見える」
「……巨大な渦よ。
黄金の光が、この壁の一点に吸い込まれて、その奥で真っ赤な脈動に変わっている。
ここが、本当の入り口なのね」
彼女の指し示した場所は、一見すればただの岩の継ぎ目だった。
俺は、震える手で懐から二つの鍵を取り出した。
世界樹の理を解くための楔。
それを掲げた瞬間、リーフが指摘した箇所から、隠されていた幾千の幾何学模様が黄金の輝きと共に噴き出した。
しかし、まだ足りない。
鍵はあれど、門を叩くための絶対的な信号が欠けている。
俺は、黙って後ろに控えていた彼――ネロへと視線を送った。
「ネロ、君の力を。 また認証を、して貰わないといけないが」
ネロは迷いなく頷くと、一歩前へ出た。
かつて彼を縛っていた兵器としての過去は、すでに仲間たちと共に乗り越えてきた。
今の彼にとって、その身に宿るシステムへの干渉能力は、忌むべき呪いなどではなく、家族を守るための確かな盾であり、道を開くための鍵に過ぎない。
ネロが、その幼い掌を岩壁に押し当てる。
リーフとエルフィが、呼吸を合わせるようにその上から手を添える。
二人の娘の導きに乗り、ネロの認証が静かに、だが不可逆的に世界の深層へと浸透していった。
その瞬間、集積所全体の空気が凍りついたかのような静寂が訪れた。
世界樹の娘たちの視界と、ネロの権限。
二つの異質な力が重なり、岩壁に眠る最上位の防護術式と接触した。
もはや過去に囚われない彼らの意志が、深淵への門を開くための正当なる資格へと変わる。
ネロの掌を通して、淀みない魔力の奔流が世界の記述を鮮やかに書き換えていった。
次の瞬間、世界の理が書き換わる音が、空間そのものを震わせた。
岩壁の中央に、幾重もの円環状の魔方陣が浮かび上がる。
二つの鍵、娘の視界、そしてネロの応答。
すべてが揃って初めて起動する、世界の核へと繋がる秘められた道。
『……個体識別を確認。 上位命令権限の移行を受理。 これより、特異点への階層を解放します』
どこからともなく響く、感情を排した無機質な声。
地鳴りと共に、行き止まりだと思っていた巨大な岩壁が、内側から凄まじい光を放ちながら左右へと割れていく。
開かれた門の向こう側。
そこには、これまで俺たちが潜ってきたどの遺跡とも異なる、異質な光景が広がっていた。
空気そのものが魔力の結晶体となってきらめき、重力さえもが一定ではない。
物理法則が歪み、空間が幾重にも折り重なったような不可解な光景。
奈落へと続く長い螺旋階段が、闇の中に溶け込む黄金の光に照らされて、どこまでも深く、深淵へと伸びている。
「これが……世界の、本当の姿なのですか……?」
エルフィが、畏怖の混じった声で呟いた。
アイリスは、剣を構えたままその深淵を見つめ、バナード師匠とメギストス師父もまた、想像を絶する世界の「裏側」を前に、言葉を失っていた。
「行こう。 ……ここから先が、本当の『特異点』だ」
俺の声は、世界の振動と共鳴した重々しい響きを帯び始めていた。
九割を失った俺の魂が、一割の人間性を守るために。
そして、共に歩んでくれた仲間たちの未来を繋ぎ止めるために。
俺たちは黄金の奈落へと、最初の一歩を踏み出した。
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