13-2 暴走するマナ・ストリーム
かつて俺が、この街を救うために心血を注いだ制御の術式。
あの日、俺が完璧だと信じて組み上げた魔導の結び目は、今や見る影もなく無惨な姿を晒していた。
世界樹の核から逆流してきた、理さえも焼き切るような暴力的な魔力の奔流――マナ・ストリーム。
それは大地の底に眠る静かな脈動などではなく、すべてを呑み込み、世界の輪郭を虚無へと還そうとする濁流となって、この『魔力集積所』に襲いかかっていた。
「くっ……あああぁッ!」
一歩、中心部へと踏み出した瞬間、肺腑を焼くような高濃度の魔力に呼吸が止まる。
視界の端で火花が散り、俺の身体の九割を占める魔導回路が、制御不能なエネルギーを無理やり吸い込み、内側から俺という存在を書き換えようと暴れ狂っていた。
魔導師としての自我を、巨大な世界の意思が塗り潰そうとする。
だが、俺以上に悲惨なのは、隣を歩く二人だった。
「ルシ……私、身体が、重い……のに、消えそうなの……」
リーフの絞り出すような声が、滝のような魔力の轟音にかき消されそうになる。
彼女の琥珀色の瞳からは光が失われ、その代わりに、内側から溢れ出す純粋な魔力が、青白い燐光となって彼女の肌を透過していた。
かつて俺の腕を掴んだその指先は、今や袖を掴むことさえ叶わず、霧のように揺らめいては透けていく。
エルフィもまた、同じだった。
世界樹の娘である彼女たちにとって、この場所はあまりにも過酷な聖域だ。
周囲に満ちるあまりにも濃い魔力の海は、個体としての境界を曖昧にし、彼女たちの存在そのものを個から大いなる一つへと強制的に溶かし込もうとしている。
「下がれ、アイリス! ネロ! 二人を……二人を連れて、これ以上近づくな!」
俺の叫びに、アイリスが唇を噛み締めながら、消えゆく二人をその腕で抱きとめる。
ネロが、無表情の中に滲む焦燥と共に、周囲に防護の結界を張り巡らせるが、その壁さえもマナ・ストリームの奔流に削られ、薄氷のように剥がれ落ちていく。
俺は一人、轟音の渦巻く魔力制御弁の前へと這い寄った。
そこには、かつて俺が施した三層の安定化術式の残骸があった。
当時は、これこそがこの街に永劫の安寧をもたらす最善の魔導だと自負していた。
だが、今やその術式は熱で歪み、黒く焦げ付き、過剰な魔力を無理やり溜め込んだことで、逆に破裂を待つ爆弾と化している。
かつての自分の魔導が、今の絶望を招いている。
魔導師として、これほどまでに残酷な現実があるだろうか。
俺が過去に施した救いの手は、今この瞬間の致命的な欠陥となって、大切な仲間たちの命を削っているのだ。
「……なら、やるべきことは一つだ」
俺は、熱を帯び、今にも爆発しそうな右腕を、灼熱の制御弁へと叩きつけた。
「――上書きしてやる……! 過去の俺の魔導に、負けてたまるかッ!」
思考が、声を介さず直接現象へと結実する。
右腕から、かつてない強度の魔導式が溢れ出した。
以前の俺は、既存の仕組みを守るために術を編んだ。
だが今、俺がやろうとしているのは理そのものの再構築だ。
神経が、魂が、一本ずつ焼き切れるような感覚。
制御弁から吹き出す熱気が俺の肌を焼き、右腕を覆う魔導の外殻を無慈悲に剥ぎ取っていく。
だが、俺は魔術行使を止めない。
かつての稚拙な術式を強引に引き剥がし、その上から、九割を世界樹に捧げたことで手に入れた神の理に等しい術式を叩き込む。
一本、また一本。
暴走する金の脈動を、俺の意志で押さえつけ、新たな循環の輪へと無理やり繋ぎ直していく。
「鎮まれ……動け……ッ!」
視界が真っ赤に染まり、耳鳴りが世界を包む。
制御弁が、金属の悲鳴を上げながら、真っ赤に加熱されていく。
俺の右腕から放たれる術式と、世界樹の神経節が正面から激突し、その衝突地点から凄まじい衝撃波が放たれた。
余波だけで周囲の石材が砂へと還り、空気が真空に近い圧に変わる。
だが、その瞬間。
狂ったように点滅していた集積所の輝きが、一瞬だけ、静寂を取り戻した。
「……っは、ぁっ……」
俺が無理やり流し込んだ新しい理が、暴走するエネルギーを呑み込み、正しい魔力の流れへと整えていく。
完全に鎮まったわけではない。
だが、少なくとも今この瞬間の破局は、俺の魔導によって回避された。
荒い呼吸をしながら、俺は震える手で地面を突く。
振り返れば、アイリスに抱えられたリーフの身体に、微かに色が戻っていた。
消えかかっていた輪郭が再びこの世界に繋ぎ止められ、彼女の瞳に、再び俺の姿を捉える光が宿る。
「ルシ……、助かったの……?」
「いや、まだだ。 これはただの、応急処置に過ぎない」
俺は、制御不能で火花を散らす右腕を見つめた。
かつての自分を否定し、さらに強力な魔導でねじ伏せる。
その代償として、俺の身体の人間としての残り一割が、また少し摩耗し、世界の理に吸い込まれたような気がした。
集積所の中央、脈打つ巨大な心臓は、依然として不気味な赤黒い筋を明滅させている。
俺たちの戦いは、まだ根源にさえ届いていないのだ。
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