13-1 再訪、地下遺跡へ
エリュシオンの賑わう大通りから一本外れた、潮風に晒されて風化した古い石造りの保管庫。
その重い扉の向こう側に、かつて俺たちが潜り、この街の命運を繋ぎ止めた地下遺跡への入り口が静かに口を開けている。
石の扉が重々しい地響きと共に開くと、湿り気を帯びた古の魔力の残り香が、カビの臭いと共に鼻を突いた。
アイリスと言葉を交わし、共に剣を取る切っ掛けとなったあの日。
俺はこの場所を、失われた超文明の遺産あるいは理屈は分からずとも制御さえできれば便利な道具として見ていた。
だが、身体の九割を世界樹の術式に浸食され、文字通り世界を構成する理そのものと同期し始めている今の俺の目には、その風景は全く別の相貌を持って立ち現れる。
「……これは、ただの施設じゃない」
俺が呟いた声は、湿った暗い通路に弱々しく反響した。
解析眼を敢えて起動させずとも、剥き出しになった岩肌の向こうに、血管のように脈動する魔力の奔流が透けて見える。
かつて魔導回路だと思っていた金色の線は、世界樹という巨大な生命体が地表へと伸ばした神経節そのものだった。
ここは世界樹の意志を大地に伝える神経の末端であり、同時に、世界中の魔力を吸い上げ、循環させるための吸排気口なのだ。
しかし、今のその神経は、極北から逆流してきた暴力的なまでの魔力負荷に晒され、今にも焼き切れそうなほどに赤黒く変色している。
「うっ……あ、ああっ……!」
突然、内側から細胞ごと焼かれるような激痛に、俺はその場に膝をついた。
身体を構成する術式が、地下遺跡に満ちる高密度の魔力と共鳴し、強引に、かつ強制的に出力を上げようとしている。
皮膚のすぐ下で、幾千、幾万もの針が逆立てられるような感覚。
ふと横を見れば、リーフも壁に手をつき、荒い息を吐いていた。彼女の琥珀色の瞳は、ときおり古い灯火のように瞬き、その輪郭が蜃気楼のように揺らめいている。
エルフィに至っては、握りしめた拳の半分が、背後の岩肌が透けて見えるほどに薄くなっていた。
世界樹の端末と化した俺や、その血肉を分けた娘たちにとって、この場所はあまりにも近すぎるのだ。
存在そのものが背景に溶け出し、個としての形を失いそうになる。
「ルシ殿! リーフ、エルフィ!」
アイリスが悲痛な声を上げ、俺たちを支えようと手を伸ばす。
だが、彼女の持つ剣から溢れる清浄な魔力でさえ、今の俺たちにとっては神経を逆撫でする強すぎる刺激となって突き刺さった。
「……構わず、進むぞ。 時間をかければ、それだけ……俺たちは自分という形を失う」
俺の掠れた言葉を合図にするかのように、暗闇の奥から不気味な唸り声と、無数の足音が響いてきた。
かつてこの場所を巣食っていた魔獣たちだ。
だが、以前とは様子が違う。
地下に溢れ出した異常な魔力の毒に当てられ、その肉体は歪に膨張し、瞳は血のように赤く光っている。
理性を失い、ただ目の前の侵入者を屠るためだけの殺戮兵器と化した魔物の群れが、怒涛の勢いで押し寄せてきた。
「邪魔だッ! 引っ込んでいろ!」
先陣を切ったのは、バナード師匠だった。
大剣が一閃し、先頭の魔獣を骨ごと肉片へと変える。
その横ではメギストス師父が、古の魔導を編み上げ、空間そのものを断裂させるような衝撃波を放つ。
「ルシよ、お前たちは自分を繋ぎ止めることに全霊を注げ!
雑兵共は、老骨と若造に任せておけ!」
師父の凛烈な声が地下通路に響く。
アイリスが鋭く剣を抜き放ち、盾を掲げて後方を死守する。
彼女が手にしているのは伝説の聖剣などではなく、ローゼンフェルト家の名残を留める一振りと盾。
しかし、彼女の強固な意志によって、いかなる神話級の武具にも劣らない性能を発揮している。
そしてネロは、無表情のまま両手に凄まじい密度の魔力を収束させ、迫り来る魔物の急所を正確に、かつ容赦なく貫いていった。
俺、リーフ、エルフィの三人は、その守りの中心で、必死に自分という存在の境界線を維持していた。
一歩踏み出すごとに、遺跡の回路が俺たちの魔力を、あるいは魂そのものを吸い取ろうとする。
意識を緩めれば、そのまま床の石材や壁の術式と同化して、二度と人間に戻れなくなるだろう。
「……負けないわ。 ルシ、まだ、終わりじゃないもの……!」
リーフが、消えかかっている手で俺の腕を強く掴む。
その手の冷たさと、微かに伝わる震えが、俺を現世に繋ぎ止める唯一の錨だった。
激しい戦闘の音、魔獣の断末魔を聞きながら、俺たちはさらに奥へと、深淵の底へと足を進める。
通路の壁が次第に結晶化し、周囲の魔力濃度が物理的な圧力となって肌を押し潰そうとする。
バナード師匠の鎧が悲鳴を上げ、アイリスの肩が重力に抗うように小刻みに震える。
そして。
幾多の屍を越え、幾度目かの曲がり角を抜けたその時――。
突如として空間が開けた。
そこにあるのは、あの日見た、ただの巨大な貯蔵庫ではなかった。
以前は巨大な貯蔵庫に見えていた場所が、現在は世界樹の根と直結した脈打つ心臓のような禍々しい巨構として立ち現れている。
見上げるほどの高さを誇る、半透明の巨大な円柱。
かつて『魔力集積所』と呼ばれたその場所は、今や、大地の底で脈打つ巨大な心臓そのものとなっていた。
俺、リーフ、エルフィの3人は、周囲の魔力濃度があまりに高いため、自分自身の存在が周囲の壁や術式と同化しそうになる(個としての形を失う)恐怖と戦っている。
天井を突き抜け、世界樹の根へと直結しているであろう光の管。
そこからは、目も眩むような黄金の輝きが絶え間なく溢れ出しているが、その輝きの中には、血管が破裂したような赤黒い筋が幾重にも走り、不気味な破裂音を立てて爆ぜている。
俺は、呟く。
「地下遺跡の壁に走る魔導回路の正体は、世界樹が地表へ伸ばした神経節だ。
現在は極北からの逆流負荷により、赤黒く変色し死に至る熱を帯びている。
……あれが、今回の不具合の根源か」
俺は、熱を帯びた右腕を抱えながら、その巨大な機構を見上げた。
かつて俺が手を入れた制御弁は、もはやその役目を果たせず、異常な出力を制御しようとして火花を散らしている。
黄金の輝きの中に混じる赤黒い筋と、制御不能で火花を散らす制御弁。これらが解決すべき物理的な課題として明示された。
世界樹の末端にして、大地の心臓。
再起動の負荷によって、現在は極北からの逆流負荷により、いまや死に至る熱を帯びたその場所が、俺たちの戦いの最終舞台であることを、俺の魂が告げていた。
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