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12-9 極北からの帰還と、新たなる出航

 神殿の巨大な扉が、重々しい地響きと共に背後で閉ざされた。


 極北の冷気が、試練を終えた俺たちの頬を鋭く撫でる。


 だが、その肌を刺すような寒ささえも、今は自分たちが生き、現実の世界に踏み出したことのあかしのように感じられた。


 二つの鍵を携えた俺たちの歩みは、神殿に入る前よりもずっと力強く、雪を踏みしめる音には迷いがない。


 氷原の先に待機させていた隣国製の飛空艇――エルフィが鮮やかな手捌きでここまで飛ばしてきた機体のタラップを駆け上がり、俺たちは操縦室へと滑り込んだ。


 主操縦席にはエルフィが座り、その隣の助手席に俺が滑り込む。


 俺が三次元地図をコンソールに展開し、極北神殿から得た最新の座標系を同期させようとした、その時だった。


 メインコンソールの魔導鏡が激しく明滅し、ノイズ混じりの映像が空中に投影される。


『――ルシ、聞こえる? 私よ、ソラリスよ』


 現れたソラリスの化身は、以前よりも輪郭が薄く、今にも霧散しそうだった。


 時折、古い羊皮紙が破れるように光の粒子が剥がれ落ち、彼女を取り巻く空間そのものが悲鳴を上げている。


「ソラリス、無事か! 今、二つ目の鍵を手に入れた」


 俺の言葉に、ソラリスは弱々しく、けれど安堵したように微笑んだ。


『……よくやってくれたわ。 でも、皮肉なものね。

 あなたが鍵を手に入れ、神殿を呼び覚ましたことで……世界樹の崩壊が加速し始めているの』


「なんだって……? 俺がメンテナンスした後は、安定していたはずだ!」


 俺の問いに、ソラリスは三次元の世界樹の投影を指し示した。


 その姿は赤黒く変色し、根幹から無数の亀裂が走っている。


『あなたが施した修復は完璧だったわ。

 でも、ネロが覚醒したことが、すべての歯車を回してしまったのよ。

 世界樹のシステムにとって、その設計図の一部を組み込まれたネロの覚醒は、失われた管理端末の再接続と見なされた。

 彼が目覚め、あなたが二つの鍵を揃えたことで、世界樹は管理者が全員揃ったと誤認し、この極北の中枢から一気に完全再起動の術式を流し込んでしまったの……』


 操縦室に、凍り付くような衝撃が走った。


 ネロの覚醒は、いわば古のシステムを呼び覚ますための目覚ましになってしまったのだ。


 皮肉にも、彼を救い出そうとした俺たちの歩みが、眠っていた巨大な術式を強引に叩き起こしてしまった。


「…………僕の、せいだったのか」


 ネロが、掠れた声で呟いた。


 自分の存在そのものが、自分を救ってくれた俺を内側から焼き、命の恩人であるエルフィやリーフを消滅させようとしている。


 その残酷な事実に、少年の拳が白くなるほど握りしめられる。


「僕が……僕さえ目覚めなければ、世界樹も、みんなも……っ!」


 自責の念に押し潰され、ネロが顔を伏せた瞬間。


「へっ、湿っぽぇこと抜かしてんじゃねえぞ、坊主」


 バナード師匠の大きな手が、ネロの頭をごしごしと乱暴に、けれど温かく撫で回した。


「お前が目覚めたからこそ、俺たちはシグルドの鼻を明かせたんだ。

 世界が勝手に再起動を始めたってんなら、俺たちがそれを乗りこなしてやりゃあいいだけの話だろ?」


「バナードの言う通りよ」


 リーフが、ノイズの走る瞳を細めて微笑む。


「あなたが目覚めてくれたから、私たちはこうしてまた『家族』になれたの。

 ……不具合トラブルなんて、魔導師のルシがなんとかしてくれるわ。

 そうでしょう?」


 リーフが俺に悪戯っぽく視線を送る。


 五歳のあの日から世界樹の半端末として生き、二度のダイレクト・リンクを経て、身体の九割が魔導式と化した俺にとって、今の状況は自分自身が内側から焼かれる痛みに等しい。


 回路がショートし、火を噴くたびに意識が削られていく。


 だが、彼女の信頼がその痛みを一時、忘れさせてくれた。


 エルフィもまた、透け始めた指先でネロの手を優しく包み込む。


「ネロ、あなたは毒ではなく、私たちの希望ですわ。

 ……世界樹があなたを信号として選んだのなら、それはあなたに、新しい世界を見届ける権利があると言っているのです」


 ネロは驚いたように、一人一人の顔を見つめた。


 誰の瞳にも、彼を責める色など微塵もなかった。


「……みんな……」


 ゆっくりと顔を上げたネロの瞳には、逃れられない宿命を背負った者の、暗く鋭い光が宿っていた。


「わかった。 ……僕がこの世界の再起動を早めたというのなら、最後まで付き合うよ。

 僕を『兵器』としてではなく、『人間』として目覚めさせてくれた君たちのために……この命、使い切って見せる」


 だが、現実は残酷だ。


 俺以上に過酷な状況にあるのは、俺の両脇に立つ二人だった。


 世界樹の掃滅から俺が救い出した、純粋な自律型魔導式体――世界樹の娘であるリーフ。


 そして、アイズベルク家の地下施設で実験体にされ、崩れ落ちる肉体の代わりにリーフと同じ世界樹の娘としての在り方を選んだエルフィ。


 世界樹という存在の根幹が焼け落ちれば、そこに全ての定義を依存している彼女たちの命は、存在そのものが消滅する。


 ふと見れば、操縦桿を握るエルフィの指先が、わずかに透け始めていた。


 リーフの琥珀色の瞳も、ときおり光を失いかけている。


「……世界樹の崩壊が進めば、君たちも……」


 俺の言葉を、リーフが柔らかな微笑で遮った。


「わかっているわ、ルシ。

 でも、消えるのを待つのも、焼け落ちるのを待つのも同じでしょう?

 だったら、最高速で駆け抜けて、最後の一片を繋ぎ止めるだけよ」


 エルフィも、力強く操縦桿を握り直した。


「ええ。

 私たちの命の源が悲鳴を上げているのなら、私たちがそこへ行って、黙らせてあげればいいだけのことですわ。

 ソラリス様、私たちが辿り着くまで、どうか持ち堪えてくださいませ!」


 一人の少女として、そして種としての誇りを胸に叫ぶ彼女たちに、ソラリスが慈愛を込めて応えた。


『……わかったわ。

 私の命、この虚像が消える最後の一瞬まで、ことわりの守護を全うしましょう。

 ……幸運を、理を紡ぐ者たちよ』


 通信が途絶えた。


 俺は、震える指先を隠して笑う彼女たちの覚悟を胸に、座標を確定した。


「全速で行くぞ。 目的地は、銀鱗の港エリュシオン! 俺たちの運命を、俺たちの手で書き換える!」


 エルフィが動力レバーを最大まで押し込み、機関部が咆哮を上げる。


 飛空艇は極北の厚い雲海を突き破り、黄金色の夕陽が射す南西の空へと躍り出た。


 九割が壊れゆく端末となった俺と、存在そのものが消えかかっている彼女たち。


 そして、宿命の引き金を引いた少年。


 一行は今、命の残火を激しく燃やしながら、すべての因縁を終わらせるための最終地へと、その翼を広げた。

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