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12-6 ネロの決断:認証のその先へ

 最後の扉が放った純白の光が収まると、俺たちの前には、かつて見たどの場所よりも静謐で、そして厳かな空間が広がっていた。


 王国の秘密指令室。


 そこは、これまでの神殿の古びた石造りとは一線を画す、未知の金属と淡い魔導光に満ちた理の中枢だった。


 壁一面には、膨大な演算結果を示す無数の光の糸が、まるで血管のように壁面を走り、中央には天を衝くような巨大な円柱状の認証装置が鎮座している。


 その装置の前に立った瞬間、俺の解析眼が激しく明滅し、視界の端々で膨大な量の術式が奔流となって流れた。


「……これは、単なる鍵穴じゃない。

 アクセス者の魂の波長、血脈に刻まれた秘銘、そして『存在の証明』そのものを読み取る、神代の認証機だ」


 装置の中央には、人間の掌を模した滑らかな窪みがある。


 その周囲には、王国の紋章と共に、ネロの右腕に刻まれたものと同じ負の術式の幾何学模様が不気味に刻まれていた。


 広間には、千年の眠りを覚まされた機械の駆動音だけが、低い唸りとなって響いている。


 ネロが、一歩、装置の前で足を止めた。


 その肩が、小刻みに、それでいて必死に抑えようとするかのように震えているのを、俺は見逃さなかった。


 彼が見つめているのは、自分の右腕――かつて無数の命を奪い、世界を焦土に変えるために王国が刻んだ、殺戮兵器としての証明だった。


「……これを翳せば、扉が開く。

 でも、それは僕が『ネロ・シリーズ』という名の道具であることを、この神殿が公式に認めるということだ」


 ネロの絞り出すような声が、冷たい金属壁に反響し、虚空に消えていく。


「今まで、みんなが僕を『ネロ』という一人の人間として扱ってくれた。

 でも、ここでこの認証を受ければ、僕は再び『王国の兵器』という呪われた理の中に引き戻されてしまうんじゃないか……。 それが、たまらなく怖いんだ」


 ネロの葛藤は、痛いほど俺たちの胸を刺した。


 自分を救い上げてくれた新しい絆と、決して逃れられない血塗られた過去の呪縛。


 その狭間で、少年は出口のない迷路を彷徨うように立ち尽くしていた。


「ネロ……」


 アイリスが、そしてバナード師匠が、励ますように彼を見つめる。


 だが、ここで声をかけるべきなのは、俺たちではないことを、全員が本能的に悟っていた。


 知識や武力では解決できない、魂の根幹に関わる問いだったからだ。


 静寂を破ったのは、エルフィの柔らかな、けれど迷いのない足音だった。


 彼女はネロの横に並ぶと、震える彼の右手を、自分の小さな両手で包み込んだ。


「ネロ。 この手は、私をあの暗い場所から連れ出してくれた、世界で一番優しい手ですわ。 ……たとえ、そこにどんな忌まわしいしるしが刻まれていても、私にとっては、命を繋ぎ、私を救ってくれた光の手なんです」


 エルフィの紺碧の瞳が、真っ直ぐにネロの眼差しを射抜く。


「あなたが何者であるかを決めるのは、千年前の王国のことわりではありません。

 ……今、この瞬間に、あなたが何を願い、誰を守ろうとしているか。

 その『心』だけが、あなたの真実なんです。

 私と、十一人のあの子たちも……みんな、あなたの背中を支えていますわ」


 ネロの瞳に、温かな光が灯る。


 彼はゆっくりと、俺たちの顔を一人ずつ見渡した。


 信頼を寄せる仲間たちの揺るぎない眼差し、そしてエルフィの掌から伝わる、痛いほどの確かな温もり。


 それが、少年の凍てついた心の深淵を、春の陽光のように溶かしていった。


「……ありがとう、エルフィ。 ……ルシ兄さん、僕、行きます」


 ネロが前を向いた。


 その横顔には、もう迷いも、自分を蔑むような影もなかった。


 彼は右袖を力強く捲り上げ、黒い紋様が浮かぶ腕を、巨大な認証装置へと差し出した。


「僕は、王国の兵器ではない。 ……世界を愛し、守るために戦う、ルシ=ファーレンの仲間だ!」


 ネロの掌が、認証の窪みに深く重なった。


 刹那、指令室全体が、耳を貫くような高周波の共鳴音に包まれた。


 装置から奔った紅い光の触手が、ネロの刻印を一つずつなぞるように這う。


 かつてなら破壊の命令として機能したはずのその魔力は、ネロの強い意思というフィルターを通ることで、汚れなき白銀の輝きへと変質していく。


『――個体識別、ネロ・シリーズ……照合。

 ネガティブ

 ……魂の波長、新規登録を確認』


 指令室の理が、厳かに、けれどどこか祝福するように告げる。


『汝は、破壊の道具にあらず。 理を再構築せし心の守護者なり。

 ……認証、完了。 最深部の封印を解除します』


 装置の内部から、幾重にも重なった重厚なロックが解かれる音が、神殿全体に響き渡った。


 ネロの右腕の刻印は、激しい光を放った後、穏やかな青色へと変色し、その皮膚の一部として静かに馴染んでいった。


 それはもはや彼を縛る呪いではなく、彼が自らの意志で選び取った決意の証へと昇華されたのだ。


「やったな、ネロ……!」


 俺は彼の肩を、これ以上ないほど強く叩いた。


 リーフも、涙を浮かべながら、慈しむような笑みを浮かべている。


「……うん。

 僕、今、初めて……自分のことが少しだけ、好きになれた気がします」


 ネロの晴れやかな笑顔と共に、装置の中央が重々しい音を立てて左右に割れた。


 そこには、まばゆい光の奔流の中に浮かぶ、一点の曇りもない純結晶の断片が鎮座していた。


 二つ目の鍵――心のこころのかぎ


 世界樹を修復し、この世界の崩壊を食い止めるための、最重要なる術式の一部が、ついにその全貌を現したのだ。

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