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12-5 深淵への試練:心の問いかけ(後編)

 アイリス、バナード、そしてメギストス。


 三人が切り拓いた「意志」の道を越え、俺たちはさらなる深淵へと足を踏み入れた。


 辿り着いたその場所は、もはや石造りの神殿の中とは思えない異質な空間だった。


 天井も壁も存在しないかのように錯覚させるほど、無限の星空を映し出した静謐な闇が広がっている。


 足元には鏡のように磨き上げられた黒い石床がどこまでも続き、俺たちの足音が波紋のように空間の理を揺らしていた。


 不意に、周囲の大気が凍りついたかのように重さを増した。


 俺の解析眼が火花を散らし、視界の隅々で警告を告げる紅い術式が激しく点滅する。


 だが、それは物理的な攻撃ではない。


 あまりに巨大で、あまりに純粋な問いそのものが、俺とリーフの存在を根底から押し包もうとしているのだ。


「……来るわ、ルシ。 今度は、私たち二人への問いかけよ」


 リーフが俺の腕を強く掴んだ。


 彼女の細い指先から伝わる微かな震えが、この試練の重さを無言で物語っている。


 広間の中央、虚空を割って巨大な二対の天秤を模した光の門が、地鳴りのような重低音を響かせてせり上がってきた。


 ◆


『――理を解き明かす者よ。 理を統べる娘よ。 汝らの絆は、真実か。

 それとも、利害の一致による偽りか』


 天秤の門が、審判の鐘の音に似た声で俺たちの魂を直接揺さぶる。


 視界が真っ白に濁り、俺とリーフの精神は強制的に内なる深淵へと引きずり込まれた。


 そこにあったのは、見たくない、忘れ去りたいと願った記憶の断片。


 かつて俺が、この世界をただの理の塊と切り捨て、人を、命を、解析すべきデータとしてしか見ていなかった傲慢な日々の記憶。


 そしてリーフが、世界樹の歯車として己の心を殺し、永劫の孤独に耐えることだけを運命だと信じていた絶望の記憶だった。


『ルシ、お前は彼女を、解析すべき対象として見てはいないか?

 その高い権限を利用するために、優しさを装ってはいないか?』


『リーフ、あなたは彼を、自分を救ってくれる便利な道具として見てはいない?

 孤独から逃れるために、彼に依存しているだけではないの?』


 内なる疑念が、誰でもない自分自身の声となって耳元で執拗に囁く。


 俺の解析眼は、制御を失ったかのように暴走し、隣にいるリーフの構造を冷酷に暴き出そうとした。


 彼女の魔力の波長、管理権限の回路、そのすべてを数値として処理してしまえば、この問いに最適な回答を出すのは容易い。


 それこそが、魔導師としての俺の正解のはずだった。


 だが、俺はそれを魂の底から拒絶した。


 意識の深淵で、俺はリーフの手を、解析の対象としてではなく、血の通った一人の大切なパートナーとして、強く、強く握りしめた。


「違う……! 俺が彼女を求めたのは、権限のためなんかじゃない。

 俺一人では、この世界を愛することさえできなかったんだ!

 彼女の温もりに触れて初めて、俺の解析眼は、壊すべき理ではなく『守るべきもの』を見つけることができたんだ!」


 隣でリーフも、魂を振り絞るように叫んでいた。


 彼女の瞳からは、抑えきれない大粒の涙が溢れ出していた。


「依存じゃないわ!

 私は、ルシが私の『心』を見つけ出してくれたから……世界樹の娘という役割ではなく、リーフとして生きる勇気を持てたの!

 役割や道具なんかじゃない……彼と共に未来を見る、この想いこそが私の真実よ!」


 二人の想いが、天秤の左右で激しく衝突し、やがてそれは衝突を越え、一つの巨大な白銀の輝きへと融合していった。


 疑念の闇は一瞬にして晴れ渡り、天秤の門は祝福の鈴音を鳴らしながら、優雅に左右へと開かれた。


「……はぁ、はぁ……。 やったわね、ルシ」


 リーフが俺の肩に頭を預け、安堵の溜息を漏らす。


 俺たちの絆という不確かで、けれど魔導回路よりもずっと強固な理が、神殿の最深部を認めさせたのだ。


 ◆


 天秤の門を抜けた先。


 そこには、神殿の心臓部を守る最後の、そして最も小さな扉が待ち構えていた。


 その扉は、これまでの威圧的な門とは対照的だった。


 まるで幼子が描いたような、素朴で温かい太陽や花の意匠が施されている。


 俺とリーフを導くように一歩前へ出たエルフィが、ネロの手をしっかりと握ったまま、その扉の前に立った。


『――孤独を知る子供たちよ。 汝らは、何を持って自分を定義するか。

 過去の傷か。 それとも、未来への祈りか』


 ネロが、自身の右腕に刻まれた兵器としての刻印を、逃げることなくじっと見つめる。


 その瞳には、もう暗い絶望の影はなかった。


「僕は、誰かを壊すための道具として作られた。

 ……ずっと、それが僕という存在のすべてだと思っていた。

 でも、違ったんだ」


 ネロは隣に立つエルフィを見つめ、慈しむように微笑んだ。


「エルフィが、僕の手を握ってくれた。 ルシ兄さんやみんなが、僕に心をくれた。

 僕はもう、命令に従うだけの兵器じゃない。 ……君を、そしてこの世界を守りたいと願う、一人の人間だ!」


 ネロの揺るぎない宣言に応えるように、エルフィもまた、自分、そして自身の内側に眠る十一人のあの子たちの想いを解き放った。


 その小さな胸に秘められていたのは、かつての凍てつくような孤独ではなく、共に明日を願う十二人分の温かな鼓動だった。


「私も、私の中の子たちは、もう寂しがっていません。

 ……みんな、ルシお兄さまたちやネロと一緒に、この世界の美しい景色をたくさん見たいって笑っていますわ。

 私たちの過去は、もう呪いじゃありません。

 明日を優しく灯すための、光なんです!」


 ネロの再定義された決意と、エルフィの「十二の魂を束ねた慈愛の感性」が、極限まで共鳴した。


 二人の小さな背中から放たれたまばゆい光は、漆黒の深淵を白昼のように照らし出し、神殿の最深部を覆っていたすべての冷たい理を、雪解けを告げる温かな春風へと変えていく。


 ギィ、とどこか懐かしい古びた音を立てて、最後の扉が静かに開いた。


 その向こう側に待っていたのは、すべてを包み込むような純白の光。


 そして、この世界の運命を繋ぎ止める二つ目の断片――「心のキー」が鎮座する、真の指令室だった。


「……ついに行き着いたな。 みんな、行こう」


 俺はエルフィとネロ、そしてリーフたちの背中を見つめた。


 それぞれの瞳に宿る光を信じ、確かな勝利を確信しながら、光の向こう側へと足を踏み出した。


 力ではなく、絆と心で掴み取ったこの道は、世界を救うための再構築へと、真っ直ぐに続いている。

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