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11-0 直轄領からの旅立ち

 シグルドの「偽りの聖域」であったグランベルク家の地下遺跡。


 そこで見つけた立体地図が虚空に描き出していたのは、ここからさらに東――王国の法も騎士団の加護も届かぬ、最果ての境界だった。


 そこには隣国との国境を分かつ大河オーロ・グランデが、巨大な傷跡のように横たわっている。


 俺たちは、王都から派遣される公式調査団が到着するのを待たずに出発した。


 彼ら役人が到着し、煩雑な手続きに時間を取られる前に、この地図が示す世界の不具合の正体を突き止める必要があったからだ。


 旅の滑り出しは、驚くほど順調だった。


 ネロとエルフィは、並んで歩きながら楽しげに話を弾ませている。


 かつて暗い地下施設で兵器として飼い殺されていた二人が、晴れ渡った空の下、土を踏み締めて歩く幸せを噛み締めている姿は、見ていてどこか救われる思いがした。


 メギストス師父はといえば、その飽くなき好奇心を抑えきれない様子で、古びた魔導書を片手に隣国の古代文字を猛勉強している。


「この辺りは太古、隣国が支配しておった領地じゃからな。

 遺構に残された術式を解読するには、あちらの言語を理解せねばならん。

 ふむふむ、この曲線の使い方は興味深いのう……」


 独り言をブツブツと呟きながら歩く姿は、高名な魔導師というよりは、新しい玩具を手に入れた子供のようだ。


 その後方では、アイリスがバナード師匠から武術の指導を受けていた。


「腰が浮いているぞ、アイリス! 実戦ではその一瞬の隙が命取りになる!」


「わ、分かっておりますわ……っ!」


 師匠の厳しい叱咤に、アイリスは額に汗を浮かべながら食らいついている。


 彼女もまた、自らの非力さを痛感し、ルシたちの足手まといにならぬよう必死に己を鍛え直していた。


 俺とリーフは、パーティの先頭を歩く。


 俺は掌に浮かべた立体地図を照合しながら、正しい進路を導き出し、リーフは隣で楽しそうに鼻歌を歌いながら、俺との会話を弾ませていた。


 途中、いくつかの町や村を通り抜けた。


 五百年ほど前まで隣国の支配下にあったこの地域は、文化の端々に異国の情緒が色濃く残っている。


 王都では見かけないような色鮮やかなスパイス、独特の曲線を描く民芸品、そして独自の進化を遂げた魔道具。


 メギストス師父はやはり魔道具屋に心を奪われ、店主を質問攻めにして困らせていた。


「この回路のバイパス、どうやって熱を逃がしておる?

 ほう、この術式は……! 素晴らしい、これを三つ、いや五つもらおう!」


 最後には山のような魔道具を買い込み、店主も最終的には満面の笑みで俺たちを見送っていた。


 バナード師匠とアイリスは武具に目を光らせていた。


 この地の武器は突くよりも斬ることに特化した、反りの強いサーベルのような形状が多い。


 アイリスは護身用に一振り、質の良い小太刀を選んでいた。


 リーフとエルフィは、民族衣装の店に釘付けだ。


「エルフィちゃん、この刺繍、今の髪の色にすごく似合うわよ!」


「本当ですか、リーフお姉さま? ……じゃあ、これもいいかな」


 女性陣の買い物は長く、俺とネロは必然的に大量の包みを抱える荷物持ちとしての役割を完遂することになった。


 幸い、世界樹の根を経由して、王都の暫定政府から追加の魔導紙幣マナ・クレジットが随時転送されてくる。


 資金の心配をせずに済むのは、管理者としての特権だろうか。


 だが、そんな穏やかな旅路も、東へ進むにつれて表情を変えていった。


 街道の石畳は割れ、雑草が路面を覆い尽くしている。


 王国騎士団の巡回も途絶えた境界域へと足を踏み入れたのだ。


 この地を治めていた辺境伯が、先日のシグルドによる反旗事件の際、宰相ヴォルガと共謀して処罰されたため、現在は統治者が不在。


 代わりの領主が選定されるまでの間、この一帯は事実上の無法地帯、あるいは忘れ去られた空白地帯と化していた。


 そんな荒廃した風景の中、俺は違和感を感知した。


 解析眼を通してみるまでもない。


 周囲の魔力が、目に見えない奔流となって一方向へと吸い取られている。


 その先にあるのは、俺たちが目指す東の大河――オーロ・グランデの流域だ。


 異変に気づいたのは、俺だけではなかった。


「ねえルシ、気づいている? 空気が……変よ」


 リーフが不安げに周囲を見渡す。


 俺は短く相槌を打った。


「ああ。 魔力供給のバランスが崩れている。 何かが、この一帯のエネルギーを強引に引き込んでいるな」


 メギストス師父が杖の石突きを地面に打ち鳴らす。


「おそらく、これから向かう場所に『何か』がありそうじゃのう。

 年甲斐もなく、胸の高鳴りが抑えられんわい」


 だが、ネロの様子は違っていた。


 彼は段々と顔色を悪くし、足取りが重くなっている。


 それをエルフィが心配そうに支えていた。


 ネロの脳裏には、太古の記憶――兵器として使い潰され、捨てられた時のトラウマが蘇っているのだろう。


「……ネロ、大丈夫? 少し休む?」


 エルフィの問いかけに、ネロは蒼白な顔で首を横に振った。


「いや……大丈夫だ。 それより、ルシ兄さん。

 この先に、魔力を吸い取る『巨大な建物』があるはずなんだ。

 気をつけて」


 メギストス師父がその言葉に鋭く反応する。


「魔力を吸い取る建物とな? それはどのような構造をしておるのじゃ」


「……この先の大河の中州に、隣国の古代防衛都市が浮かんでいるんだ。

 吸い取った魔力を浮揚エネルギーに変換して、空中に留まっている。

 ……かつての戦争で、僕はあそこを落とすために投入された。

 でも、近づくだけで体内の魔力を根こそぎ持っていかれて……術式を維持できなくなった僕は、戦いもせずに墜落したんだ」


 ネロの拳が、思い出される屈辱に震えている。


「……何一つ役に立てなかった僕を見て、当時の貴族たちは『欠陥品だ』『高価な魔力を浪費するだけの木偶の棒だ』って罵った。

 ……あそこは、僕の全てを奪った場所なんだ」


「ほう、空中浮遊都市か。

 重力制御と魔力吸収を組み合わせた永久機関に近い防衛システムというわけか。

 太古にそこまでの技術が存在していたとは、実に興味深いのう」


 メギストス師父が感嘆する一方で、ネロは必死に警告を続ける。


「みんなも気をつけて。 油断していると、体内の魔導力を全て要塞の燃料としてごっそり奪われてしまうから」


 ネロの言葉を受け、俺は指を動かし、不可視の数式を編み上げた。


「分かった。 通常の魔導障壁では、障壁を構成するエネルギーごと『餌』として吸い取られてしまうな。 ……よし、精霊魔法による『自然干渉障壁』を追加しよう」


 ネロが驚いたようにこちらを見た。


「精霊魔法に、そんな使い道があるの?」


「ああ。 魔導力マナを使った障壁が、いわば『人工の膜』だとしたら、精霊魔法による障壁は、周囲の空気や光の屈折そのものを操作する『自然の隠れ蓑』だ。

 要塞の吸引術式からすれば、ただの風や地面を吸おうとしているのと区別がつかなくなる。

 対象を認識できなければ、吸い取ることはできないからな」


 リーフが真剣な表情で頷く。


「そうね。 魔導力が枯渇して身動きが取れなくなったら死活問題よ。

 ……特に、私やエルフィちゃんにとっては致命的だわ。

 存在そのものが魔導式で構成されているんだから。

 ルシ、頼むわね」


「任せておけ」


 俺は人差し指と中指を格子状に振った。


 無詠唱で放たれた術式が、煌めく琥珀色の格子となって七人全員を包み込み、次の瞬間には背景の中に溶けるようにして消えた。


「これで大丈夫だ。 強制的な吸引からは隔離された。

 ……ネロ、今度は違う。 お前が『無力化』されることは二度とない。 俺が保証する」


 俺の言葉に、ネロは目を見開き、やがて小さく、だが力強く頷いた。


「精霊魔術の高等術式まで無詠唱か。

 ……ルシよ、お主は一体どこまで無詠唱で魔術を行使できるのじゃ。

 普通は理論構成だけで数分はかかるはずじゃが」


 メギストス師父の問いに、俺は少し照れくさそうに答えた。


「……全てです、師父。 何だか、大声で呪文を唱えるのが恥ずかしくて」


「ああ、分かるわ。 大仰な呪文のわりに、実質的な出力が追いついていないと格好悪いものね」


「そうなんだよね。 それに、世界の『理』がシステムとして見えているから、わざわざ呪文という翻訳機を通す必要がないんだ」


 そんな魔術談義に花を咲かせながら、リーフがクスクスと笑い、俺たちはその不敵な笑みを携えて、空に浮かぶ因縁の都市を目指し、再び歩き出した。

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