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先手・後手

 都市国家の海軍が、王国へ向けて出港してから間もない頃。


 軍の作戦会議が開かれていた。


 長机の中央には、1枚の古い地図が広げられている。


 王国の地図だった。


 まだ都市国家と王国の交易が始まったばかりの頃に手に入れたものだ。


 あれから、長い年月が経っている。


 街の大きさ。


 道。


 建物。


 国の姿そのものは、大きく変わっているだろう。


 だが。


 山。


 川。


 海岸線。


 地形そのものまで、大きく変わっているわけではない。


 海軍が王国までの航路を確保した後、どこへ兵を上陸させるか。


 そこから、どの道を使って進軍するか。


 今は、そのための作戦を練っているところだった。


 地図を囲むように、何人もの軍人が座っている。


 上座には元帥。


 立派な髭を蓄えた、大柄な男だった。


 その隣には、陸軍を預かる将軍。


 さらに、複数の参謀が並んでいる。


「海の方は、もう出たんだったな」


 元帥が尋ねた。


「はい」


 参謀の1人が答える。


「予定どおり、王国の海上戦力の撃破と、侵攻に必要な航路の確保へ向かっております」


「そうか」


 元帥は満足そうに髭を撫でた。


「なら、あとは海の連中が道を開くのを待つだけだな」


 陸軍の準備も、すでにほとんど終わっている。


 安全な航路さえ確保されれば、大量の陸兵を王国へ送り込むことができる。


「上陸するなら、この辺りか」


 将軍が王国の地図を指さした。


「港を正面から使う必要はないでしょう」


 参謀が答える。


「海軍が周辺海域を押さえた後、複数の地点へ分かれて上陸する方法もあります」


「悪くねえな」


 元帥が笑った。


「向こうがどう守るかを見てから決めりゃいい」


 その時だった。


 廊下から、慌ただしい足音が近づいてきた。


 そして。


 扉が勢いよく開く。


「緊急伝令です!」


 室内の視線が、一斉にそちらへ向いた。


「なんだ?」


 元帥が顔を上げる。


「都市国家の山側に、王国軍と思われる陣地が確認されました!」


 一瞬。


 誰も言葉を返せなかった。


「……何?」


 元帥の声が低くなる。


「王国軍です!」


「場所は?」


「山のふもとです!」


 将軍が勢いよく立ち上がった。


「待て」


 その声には、先ほどまでの余裕がなかった。


「山の……こっち側だと?」


「はい!」


 伝令が答える。


「すでに陣地を築いております!」


「都市国家の地図を持ってこい!」


 将軍が叫んだ。


 兵士が急いで、別の地図を運んでくる。


 長机の中央に広げられていた王国の地図を横へずらし、その隣へ都市国家周辺の地図が広げられた。


 海。


 その先に都市国家。


 そして、都市国家の陸側を囲むように、高い山々が連なっている。


 山を越えたさらに先には、広い平原が続いていた。


 都市国家から他国へ向かうには、その山々を越えなければならない。


 いくつかの山道。


 そして、過去に掘られたトンネル。


 通れる場所は限られている。


 そのため。


 他国の大軍が攻め込んでくるなら、海から来る。


 それが、この国では半ば常識となっていた。


 大軍が山を越えようとすれば、必ずどこかで見つかる。


 そのはずだった。


「ここです」


 伝令が地図の一点を指さした。


 元帥と将軍が、その場所を見る。


 山の向こうではない。


 都市国家側だった。


 つまり。


 王国軍は、すでに山を越えている。


 しかも。


 山を下りたすぐ先。


 自国側のふもとに、陣地を築いていた。


「……どういうことだ」


 将軍が地図を睨む。


「こいつら、いつ山を越えやがった」


「分かりません」


「トンネルは?」


「大規模な部隊が通過したという報告はありません」


「山道は?」


「そちらも同様です」


「なら、どこから来た」


「……分かりません」


 伝令は、同じ言葉を返すしかなかった。


「見間違いじゃねえのか?」


 元帥が聞く。


「複数の巡回部隊から、同じ報告が届いております」


「兵の数は?」


「詳しくは、まだ確認できておりません」


「陣地は?」


 伝令は、そこで少し言葉を選んだ。


「……砦、と呼んでもよいほどのものです」


「砦?」


「はい」


「木の柵を並べただけじゃねえのか?」


「違います」


 伝令は首を横に振った。


「壁があります」


「石か?」


「それが……分かりません」


「何?」


 伝令は、困ったような表情を浮かべる。


「見たことのない素材です」


「見たことのない?」


 室内が静かになった。


「色は灰色で、土にも石にも見えます。ただ、表面が非常に滑らかで、継ぎ目もほとんど確認できません」


「土魔法で作った壁じゃねえのか?」


「我々が使う土壁とは、明らかに違うとのことです」


「硬さは?」


「詳しくはまだ。ただ、巡回兵の報告では、かなり強固なものに見えると」


 将軍が腕を組んだ。


「いつからあった」


「それも分かりません。ただ――」


 伝令が地図を見る。


「2日前には、そこには何もなかったそうです」


「……2日前?」


「はい」


「2日前には何もなくて、今は砦がある?」


「そのようです」


 元帥も将軍も、しばらく言葉を失った。


 海軍は、王国へ向かった。


 自分たちは、その後に続いて王国へ攻め込む作戦を立てていた。


 その間に。


 王国軍は。


 誰にも気づかれず山を越え。


 自国側のふもとまで来て。


 さらに、砦まで築いた。


「……先にやられたな」


 参謀の1人が、小さく呟いた。


「何?」


 元帥が見る。


「いえ」


 参謀は地図へ目を落とした。


「こちらが王国へ攻める準備をしている間に、向こうはすでにこちら側へ入り込んでおります」


 将軍が舌打ちする。


「しかも、もう陣地まで作ってやがる」


 明らかに。


 こちらが、後手に回っていた。


     ◇


 しばらく。


 誰も口を開かなかった。


 元帥は地図を睨んでいる。


 だが。


 やがて。


「……はっ」


 小さな笑い声が漏れた。


 将軍が顔を上げる。


「元帥?」


「はは」


 元帥の口元が、大きく歪んだ。


「はははははっ!」


 突然、大声で笑い始める。


「何がおかしいのです?」


 参謀の1人が尋ねた。


「決まってんだろうが!」


 元帥は拳で机を叩いた。


「向こうから来てくれたんだ!」


 地図上の王国軍の位置を、太い指で叩く。


「こっちから海を渡る手間もねえ!」


 戦場は自国側。


 補給路はこちらの方が短い。


 地形も分かっている。


 増援も送りやすい。


 負傷兵を後方へ下げることもできる。


 敵地へ攻め込むよりも。


 こちらの方が、はるかに戦いやすい。


「わざわざ山まで越えて、俺たちのところまで来てくれた」


 元帥は楽しそうに笑う。


「最高じゃねえか!」


「ですが」


 将軍が言う。


「どうやって山を越えたのか分かっていません」


「ああ」


「2日前にはなかった砦まで作っています」


「それがどうした」


 元帥は即答した。


「先手を取った。それは認めりゃいい」


 そして、笑みを深くする。


「だが、戦力差までひっくり返ったわけじゃねえ」


 将軍も少し考えたあと、頷いた。


「……確かに」


 王国が素早く動いた。


 誰にも気づかれず山を越えた。


 見たこともない壁を持つ砦を、短期間で築いた。


 それは評価すべきだった。


 だが。


 元帥たちにとっては、それだけだった。


 王国の国土。


 人口。


 これまで確認してきた船。


 商人や使者から集められた情報。


 どれを見ても。


 王国が、この国を正面から上回るほどの大軍を持っているとは考えにくい。


「築城が得意なんだろうよ」


 元帥が鼻を鳴らす。


「正面からぶつかりゃ勝てねえ。だから先に立派な壁を作った。そう考えりゃ筋は通る」


「なるほど」


「先に場所を取ったくらいで、勝った気になられても困るな」


 元帥は立ち上がった。


「将軍」


「はっ」


「兵を出せ」


「どこまで?」


「出せるだけ出せ」


 元帥の口元が吊り上がる。


「目の前まで来てるんだ。放っとく理由はねえ」


「承知しました」


「向こうが砦を作るなら、作らせとけ」


 元帥は豪快に笑った。


「その中に閉じ込めて、まとめて叩き潰しゃいい」


     ◇


 数日後。


 陸軍は、山へ向かっていた。


 長い列を作り、大量の兵士たちが進んでいく。


 歩兵。


 魔法兵。


 砲を運ぶ兵。


 武器や食料を積んだ荷車。


 その列は、後ろが見えないほど長く続いていた。


 やがて。


 山のふもとが見えてくる。


「……あれか」


 将軍が馬上から前方を見る。


 山の斜面。


 その少し手前。


 平地へ開けた場所に、王国軍の陣地があった。


「近いな」


 副官が呟く。


「ああ」


 報告で聞いていた以上だった。


 都市国家から見れば、本当にすぐそこだ。


 王国軍は、山の向こう側で待っているのではない。


 すでに山を越え。


 こちら側へ下りている。


 そして。


 そこへ陣地を築いていた。


 将軍は、砦を見つめる。


 高い壁。


 見張り台。


 大きな門。


 簡単な柵を並べただけの野営地ではない。


 遠目から見ても。


 明らかに、長期の防衛を想定した造りだった。


 そして。


 何より目につくのは、その壁だった。


 灰色。


 石を積んだような継ぎ目もない。


 土魔法で作った壁のような粗さもない。


 遠目に見ても分かるほど、表面が滑らかだった。


「……なんだありゃ」


「報告にあった壁です」


 副官が答える。


「石じゃねえな」


「はい」


「土にも見えねえ」


「近づかなければ、詳しくは分かりません」


「ふん」


 将軍は砦を眺め続けた。


「2日でこれか」


 思っていたよりは、やる。


 そう認めざるを得ない。


 だが。


 将軍の表情に、焦りはなかった。


「攻めますか?」


 副官が尋ねる。


「馬鹿言え」


 将軍は即答した。


「なんで、こっちからあれに突っ込まなきゃならねえ」


 王国軍は、すでにこちら側へ入っている。


 ならば。


 焦る必要はない。


 こちらから堅い砦へ突撃し、無駄な損害を出す理由もなかった。


「ここで陣を作る」


「この場所で?」


「ああ」


 王国軍の砦からは、十分な距離を取る。


 だが。


 敵の動きは確認できる。


 向こうが動けば、こちらもすぐ対応できる。


 そんな位置だった。


「土魔法兵を前へ出せ」


「はっ」


「堀を掘れ。壁も作る」


 将軍は周囲を見渡した。


「向こうが先に場所を取ったんなら」


 にやりと笑う。


「こっちも、戦える場所を作りゃいい」


     ◇


「土魔法兵、前へ!」


 号令が響いた。


 杖を持った兵士たちが、一列に並ぶ。


「始めろ!」


 杖が一斉に地面へ向けられた。


 地面が震える。


 土が盛り上がる。


 何もなかった場所に、次々と壁が作られていく。


 その前では。


 反対に地面が掘り下げられ、長い堀へと形を変えていった。


「もっと高く!」


「右へ延ばせ!」


「そこは崩れやすい! 木材を持ってこい!」


「荷車が通る場所は残せ!」


 怒号が飛び交う。


 魔法兵が、おおまかな形を作る。


 普通の兵士が木材を打ち込む。


 崩れやすい部分を補強する。


 柵を立てる。


 見張り台を組む。


 大量の兵士たちが、一斉に動いた。


 日が傾く頃。


 こちら側にも、ひとつの陣地が出来上がっていた。


 土壁。


 堀。


 木柵。


 見張り台。


 短時間で作ったものではある。


 それでも。


 大軍を守るには、十分な防御力があった。


 将軍は、土壁の上へ立った。


 そこから、王国の砦を見る。


「……先手は取られたな」


「はい」


 副官が答える。


 将軍は、しばらく王国の砦を眺めた。


 誰にも気づかれず山を越えた。


 先に場所を取った。


 短時間で、強固な砦を築いた。


 少なくとも。


 こちらの予想より、王国の動きは速い。


 技術もある。


 それは、もう認めるしかなかった。


「まあ、いい」


「よろしいので?」


「ああ」


 将軍は腕を組んだ。


「砦を作るのは早かった。山を越えてきた方法も分からねえ」


 王国の砦を指さす。


「だが、それだけだ」


「それだけ、ですか」


「元帥の分析じゃ、王国の戦力そのものは大したことねえ」


 将軍は鼻で笑った。


「あれだけ立派な砦を作ったってことは、向こうも分かってるんだろ」


「何をです?」


「正面からぶつかりゃ、こっちに勝てねえってことだ」


 副官も、王国の砦を見る。


「だから、守りを固めたと」


「ああ」


 将軍は笑った。


「築城する力はある。動きも早い」


 そこは認める。


 だが。


「戦争は、砦を作るだけじゃ終わらねえ」


 こちらには兵がいる。


 魔法兵もいる。


 冒険者もいる。


 そして。


 ここは自国側の土地だ。


 補給は容易。


 増援も送れる。


 傷ついた兵を後方へ下げることもできる。


 時間が経てば経つほど。


 こちらは兵も物資も増やせる。


 対して。


 王国軍は山を越えた先で孤立している。


 少なくとも。


 将軍は、そう考えていた。


「先手を取ったくらいで、戦力差までひっくり返るわけじゃねえ」


 副官も頷いた。


「では、やはり待ちますか」


「ああ」


「向こうが出てくれば?」


「叩く」


「籠もれば?」


「囲む」


 単純な話だった。


 攻める側には、守る側よりも多くの戦力が必要になる。


 それが、軍の常識だ。


 そして。


 王国軍は、敵地の奥深くに砦を築いた。


 補給が途絶えれば。


 いずれ、外へ出ざるを得なくなる。


 将軍は、そう読んでいた。


「先手は取られた」


 将軍はもう一度、王国の砦を見る。


 そして。


 口元を吊り上げた。


「でもな」


 王国旗が、風に揺れている。


「勝つのは、こっちだ」


 その背後では。


 兵士たちが、次々と陣地へ入っていく。


 砲が運び込まれる。


 魔法兵が配置につく。


 見張りが土壁へ上がる。


 王国に遅れて。


 こちらも。


 ようやく戦場へ陣を構えた。

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