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海上決戦

 翌朝。


 艦隊は、再び王国へ向けて進み始めた。


 昨夜の宴の跡は、すでに片づけられている。


 甲板には、いつもの緊張感が戻っていた。


 1週間続いた嵐。


 その疲労が、完全に消えたわけではない。


 それでも、昨日までとは船員たちの表情が違っていた。


 魔の海域を越えた。


 しかも、1隻も失わずに。


 その事実が、艦隊全体に大きな自信を与えていた。


「進路、そのまま」


 提督が前方を見ながら言った。


「はい」


 ズズが海図を確認する。


「昔の交易記録が正しければ、このまま進めば王国の沿岸へ出るはずです」


「あとどれくらいだ?」


「風次第ですが、それほど遠くありません」


 提督は頷いた。


 空は晴れている。


 昨日までの嵐が嘘のようだった。


 風も穏やか。


 波も低い。


 後方には、多数の軍船が続いている。


 多少の損傷を受けた船はあった。


 帆を補修した船。


 船体へ応急処置を施した船。


 それでも、戦えないほど大きな損害を受けた船はない。


 海戦さえ始まれば。


 そう思うだけで、提督の口元が緩んだ。


「……来るなら、早く来やがれ」


 その直後だった。


「前方!」


 見張り台から声が響いた。


「船影!」


 提督が顔を上げる。


「数は!」


「複数!」


「旗は!」


 少し間があった。


 見張り役が、身を乗り出すようにして目を凝らす。


「王国旗です!」


 甲板の空気が、一変した。


「来たか!」


 提督が笑う。


 その声を合図にしたように、船員たちが一斉に動き出した。


「戦闘配置!」


「砲門を開けろ!」


「弾を運べ!」


「魔法兵は前へ!」


 甲板下から、重い音が響く。


 両舷に並んだ砲門が、次々と開かれていく。


 大砲の周囲へ人が集まり、火薬と砲弾が運び込まれる。


 魔法を扱える兵士たちも、杖を手に甲板へ上がってきた。


 ズズが望遠鏡を覗く。


「王国艦隊、こちらへ向かっています!」


「数は?」


「こちらより少ないです!」


「そうだろうな」


 提督は鼻で笑った。


 元帥の分析どおりだった。


 王国の海上戦力は、それほど多くない。


 遠くに見える船も、こちらの大型軍船と比べれば小さい。


「全艦、速度を維持!」


 提督が叫ぶ。


「射程へ入ったら、こっちからぶち込むぞ!」


     ◇


 距離が縮まっていく。


 王国船の姿が、少しずつはっきりしてきた。


 船首。


 帆。


 甲板を動く人影。


 だが。


 提督には、ひとつだけ気になることがあった。


「……随分と静かだな」


「はい」


 ズズも同じことを感じていたらしい。


 王国側に、大きな動きが見えない。


 戦闘準備をしている様子はある。


 だが、こちらへ向かって撃ってくる気配がない。


「こちらの射程へ入ります」


「よし」


 提督が片手を上げた。


「前方砲、撃て!」


 轟音。


 船首側の砲が、一斉に火を噴いた。


 黒い砲弾が海上を飛んでいく。


 続いて、魔法兵たちも杖を構えた。


「魔法兵、準備!」


「炎は帆と甲板を狙え!」


「氷は船体へ!」


「互いの射線を邪魔するな! 順に撃て!」


 炎の魔法は、帆や甲板を焼くために。


 氷の魔法は、硬く尖らせて船体へ穴を開けるために。


 それぞれが役割を分け、互いの魔法を邪魔しないよう、わずかに間をずらして放っていく。


「放て!」


 まず炎。


 続いて氷。


 さらに別の魔法が、その隙間を埋める。


 いくつもの攻撃が、順序よく王国船へ飛んでいった。


 だが。


「防がれました!」


 王国船の前方に、薄い光の壁が広がった。


 砲弾がぶつかる。


 炎が弾ける。


 氷の塊が砕け散る。


 しかし。


 どの攻撃も、船体までは届かなかった。


「防御魔法か」


 提督が目を細める。


「もう一度だ!」


 再び砲撃。


 再び魔法。


 それでも、防がれた。


「反撃は?」


「ありません!」


「……ほう」


 提督は笑った。


 こちらは攻撃できる。


 向こうからは、まだ攻撃が届かない。


 つまり。


「射程はこちらが上だ」


 ズズが頷く。


「そう見えます」


「だったら、もっと叩けるな」


 提督は、すぐに決断した。


「敵へ横腹を向ける!」


「舷側砲を?」


「ああ」


 船首側に置かれた大砲は、それほど多くない。


 だが。


 船の左右には、多数の砲門が並んでいる。


 さらに甲板上の魔法兵も、横方向なら大勢を並べることができる。


 敵が反撃できないのなら。


 横を向き。


 全火力を、一斉に撃ち込む。


 それが最も効率がいい。


「全艦へ伝えろ!」


「敵へ舷側を向けよ!」


「一斉射撃の準備!」


 信号旗が上がった。


 手旗信号も送られる。


 旗艦が先に旋回を始めた。


 巨大な船体が、ゆっくりと海の上で向きを変えていく。


「よし。そのまま――」


 提督は後方を見た。


 そして。


 眉をひそめた。


「……何をしている?」


 後続艦の動きが、揃っていない。


 旗艦と同じように旋回している船もある。


 だが。


 ある船は、そのまま直進している。


 別の船は、中途半端な角度で斜めに進んでいた。


 さらに別の船は、旋回を始めたものの、途中で動きが止まっている。


「陣形が崩れているぞ!」


 提督が叫ぶ。


「伝令!」


 ズズが信号員へ走る。


「命令を再送しろ!」


 信号旗が振られる。


 手旗も、大きく動く。


 だが。


 後続艦の動きは変わらない。


「第5船より信号!」


 信号員が叫んだ。


「舵が利かない!」


「何?」


「第8船も!」


 別の兵士が声を上げる。


「旋回不能とのこと!」


「第11船、帆の操作に異常!」


 提督の表情が変わった。


「どういうことだ!」


 その瞬間。


 強い風が吹いた。


 ばさっ。


 旗艦の帆が、大きく膨らむ。


「帆を調整しろ!」


 ズズが叫ぶ。


 すでに横を向いていた旗艦は、風を受けて横へ流された。


 直進を続けている船は、さらに前へ。


 中途半端に旋回していた船は、斜め方向へ押し流されていく。


 統一されていた艦隊の動きが。


 一気に、ばらばらになった。


「くそっ!」


 提督が手すりを叩く。


「動ける船は位置を合わせろ!」


「直進している船は帆を絞れ!」


「旋回できる船は無理に横を向くな!」


「陣形を立て直せ!」


 命令が飛び交う。


 だが。


 その時だった。


「砲撃!」


 誰かが叫んだ。


 遠く。


 王国艦隊から、白い煙が上がる。


「来るぞ!」


 砲弾が飛んできた。


 狙われたのは、旗艦ではない。


 陣形から飛び出し、1隻だけ先へ進んでしまった船だった。


「防御魔法!」


 その船の周囲に、光の壁が展開される。


 直後。


 どん。


 砲弾が光へぶつかった。


 そして、そのまま海へ弾かれた。


「防いだぞ!」


 旗艦からも歓声が上がる。


「何だ、大した威力じゃねえ!」


 提督も、わずかに笑った。


「撃ち返せ!」


 こちらの船から、再び砲撃が始まる。


 魔法も飛ぶ。


 だが。


 王国側の防御魔法は崩れない。


「もっと撃て!」


「数はこちらが上だ!」


 その間にも。


 王国側から、2発目。


 また、同じ船へ向かう。


 再び防御魔法が展開された。


 砲弾は弾かれる。


「やっぱり防げるじゃねえか!」


 船員たちの声。


 提督も頷いた。


「王国の砲撃はこの程度だ。なら――」


 言葉が止まった。


 王国艦隊から。


 先ほどまでとは、明らかに違う音が響いた。


 腹の底まで震えるような。


 低く。


 重い轟音。


「……何だ?」


 黒い砲弾が飛んでくる。


 狙いは、先ほどと同じ。


 陣形から飛び出した船。


「防御!」


 光の壁が展開される。


 砲弾がぶつかった。


 その瞬間。


 光が、大きく歪んだ。


「……は?」


 提督の口から、声が漏れる。


 砲弾は。


 止まらなかった。


 防御魔法を突き破り。


 そのまま船体へ。


 轟音。


 船の側面が吹き飛んだ。


「なっ――!」


 木片が空へ舞う。


 船体が、大きく傾いた。


「何だ、あれは!」


 提督が叫ぶ。


「防御魔法は張っていただろう!」


「張っていました!」


 ズズも目を見開いている。


「魔力切れか?」


「あり得ません! 戦闘を始めたばかりです!」


 また。


 重い砲声。


「来る!」


 今度は、別の船。


 それも陣形から外れ、周囲の船と距離が開いている船だった。


 防御魔法が展開される。


 だが。


 貫いた。


 砲弾が、帆柱の根元付近へ命中する。


 ばきり、と大きな木材が裂ける音。


 帆柱が、ゆっくりと傾いた。


「そんな馬鹿な……」


 さらに別の船。


 また別の船。


 王国の砲撃は、驚くほど正確だった。


 そして。


 狙われる船には、共通点があった。


 陣形から外れている。


 周囲の船から離れ。


 単独で防御魔法を展開している船だ。


 本来なら、複数の船が近い位置を保ち、互いを補うように防御魔法を張る。


 だが。


 陣形が崩れた今。


 孤立した船は、自分たちだけの魔力で砲撃を防がなければならない。


 そこを。


 王国は、1隻ずつ狙っていた。


「向こうは……」


 ズズが呟く。


「最初から、陣形から離れた船だけを狙っています」


 提督にも分かっていた。


「くそっ!」


 拳を握る。


「全艦、前へ!」


「提督?」


「距離を詰めろ!」


 提督が叫ぶ。


「この距離じゃ、こっちの攻撃は防がれ続けるだけだ!」


「近づけば、魔法の威力も上がる!」


「動ける船は帆を張れ!」


「敵へ突っ込め!」


 信号が送られる。


 旗艦が速度を上げる。


 他の船も続いた。


 直進しかできない船は、そのまま王国艦隊へ。


 旋回できる船も、無理に横を向かず前進を始める。


 距離が縮まっていく。


「撃て!」


 こちらから砲撃。


 続いて魔法。


 何発かが、王国船へ届いた。


 防御魔法が大きく揺れる。


「効いてるぞ!」


「もっとだ!」


 だが。


 王国側の砲撃は止まらない。


 1発。


 また1発。


 正確に飛んでくる。


 防御魔法を貫き。


 帆柱を折り。


 舵の周辺を吹き飛ばす。


 こちらの船は、次々と動きを失っていった。


「第9船、航行不能!」


「第13船、舵を喪失!」


「第4船、帆柱損傷!」


「第7船、船内に浸水!」


「……」


 提督は黙った。


 数はこちらが上だ。


 それは間違いない。


 今もなお、王国側より多くの船が浮いている。


 だが。


 与えている損害が、あまりにも違いすぎる。


 こちらは、王国の防御魔法を削るだけ。


 向こうは。


 たった1発でも通せば、こちらの船から航行能力を奪う。


「提督」


 ズズが低い声で呼ぶ。


 提督は答えない。


「このまま接近しますか?」


「……」


 近づけば。


 こちらの魔法も、さらに威力を発揮するだろう。


 数の差も生かせる。


 接舷できれば、海兵たちを敵船へ送り込むこともできる。


 まだ。


 勝てる可能性はある。


 だが。


 そこへ辿り着くまでに。


 何隻沈む。


 何隻、動けなくなる。


 何人死ぬ。


 そして。


 この艦隊まで失えば。


 国へ戻ったあと。


 誰が、この国の海を守る。


 それだけではない。


 この情報を。


 何としてでも、国へ持ち帰らなければならない。


 王国には、自分たちが知らなかった砲撃手段がある。


 こちらの防御魔法を、正面から貫く砲弾。


 この事実を伝えなければ。


 次に送り込まれる艦隊も、同じ目に遭う。


 提督は、無意識に後方へ目を向けた。


 その先には。


 魔の海域があるはずだった。


 黒い雲。


 雷。


 荒れ狂う波。


 そう思っていた。


 だが。


「……?」


 提督は目を細めた。


 遠く。


 昨日まで嵐があったはずの海。


 そこには。


 穏やかな空が広がっていた。


 青い空。


 低い波。


 まるで最初から。


 嵐など存在していなかったかのように。


 目の錯覚かもしれない。


 ここからでは、魔の海域そのものが見えていないだけかもしれない。


 あるいは。


 自分が逃げたいと願っているから。


 そう見えているだけなのかもしれない。


 それでも。


 提督は直感した。


 ――帰れる。


 あの海を戻れる。


 今なら。


 国へ帰れる。


「……撤退だ」


 ズズが振り返る。


「はい?」


「撤退する」


「しかし――」


「聞こえなかったか!」


 提督が怒鳴った。


「撤退だ!」


 甲板が静まり返った。


「まだ、数はこちらが上です」


 ズズが言った。


「ああ」


 提督は歯を食いしばる。


「だから帰るんだ」


「……」


「ここで全部沈められたら、誰が国の海を守る!」


 そして。


 王国艦隊を睨みつけた。


「それに、この情報を持ち帰らなきゃならねえ」


 ズズも王国側へ目を向ける。


「……あの砲弾を?」


「ああ」


 提督は頷いた。


「あれを知らずに次の艦隊を出せば、また同じことになる」


 ズズは、しばらく黙っていた。


 そして。


 大きく頷く。


「……承知しました!」


 提督は大きく息を吸った。


「航行可能な船は撤退!」


「旗艦に続け!」


 信号が送られる。


 だが。


 当然。


 すべての船が帰れるわけではなかった。


 舵が利かない船。


 帆柱を失った船。


 浸水が始まり、まともに速度を出せない船。


 彼らを連れて帰ることはできない。


 提督は拳を握りしめた。


「残る船は――」


 言葉が詰まった。


 その時。


 後方から、信号旗が上がった。


 航行不能となった船からだった。


 ズズが、その内容を読み取る。


「……『1隻でも多く、敵船を沈める』」


 提督が顔を上げた。


 別の船からも旗が上がる。


 さらに、もう1隻。


「『撤退船の時間を稼ぐ』」


 そして。


 最後に。


「『行け』」


 提督は歯を食いしばった。


「……馬鹿野郎どもが」


 だが。


 残された船の上では。


 船員たちが、再び動き始めていた。


 沈むのを待つつもりなどない。


 帰れないのなら。


 最後まで戦う。


「砲弾を全部持ってこい!」


「魔法兵! 残ってる魔力を全部使え!」


「撃てる砲は何門ある!」


「使えるものは全部使え!」


 怒号が響く。


 動けない船。


 舵が利かない船。


 帆を失った船。


 それぞれが、残されたわずかな操船能力を使う。


「もっと右だ!」


「そこで止めろ!」


「敵へ横を向けろ!」


 船員たちは、必死に帆や舵を動かした。


 完全に思いどおりには動かない。


 それでも。


 できる限り、船の横腹を王国艦隊へ向ける。


 舷側に並ぶ砲を、1門でも多く使えるように。


 甲板の魔法兵が、1人でも多く攻撃できるように。


 ある船は、波に流されながら。


 ある船は、大きく傾きながら。


 それでも。


 砲門を王国へ向けた。


「まだ終わってねえぞ!」


「1隻でも沈めろ!」


「帰る奴らの分まで撃て!」


 残された船員たちの声が、海上へ響く。


 提督は。


 その光景を目に焼きつけた。


 そして。


 前を向いた。


「全艦!」


 声を張り上げる。


「撤退する!」


 旗艦が進路を変える。


 まだ動ける船も、それに続いた。


 国へ帰るために。


 この敗北を。


 王国の新たな兵器を。


 そして。


 ここに残った仲間たちのことを。


 持ち帰るために。


 その背後で。


 帰ることのできない船が、一斉に砲門を開いた。


 王国艦隊へ向けて。


 1隻でも多く、道連れにするために。


 次の瞬間。


 無数の砲声が。


 海の上へ響き渡った。

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