1 涼月の再会
――チュン、チュン。ピヨ、ピピピ。
部屋の中で鳥のさえずりが響き渡る。
その音が流れる目覚まし時計を、華兎ヒマリはおぼろげながら布団から手を伸ばして、時計のボタンをバシンと荒く叩き音を止めた。
もう何回これを繰り返したのか分からない。
何も無ければ優雅な音に包まれての美しい目覚めなはずなのに、全くもってヒマリの態度と心は優雅では無い。
ベッドから降りて卓上に置いてあるカレンダーで曜日を確認する。
今日は7月8日。文字が書けそうなスペースに『今日こそループ脱却!引越し日!』と荒い文字で書かれていた。
(……荷物まとめてさっさと行くか)
ヒマリは身支度を終えて家から出ようとしたが、自室の卓上に飾ってある、忘れてはいけない大事な小さいマスコットを思い出し、慌てて部屋へ戻りそれを手に取る。
(流石にハイド様は連れて行く!)
ここ数年で人気となった"ハイド"と呼ばれる男性アヤカシアイドル配信者のマスコットであった。
もう1人"ジキル"という名前のハイドと顔が似た男性がペアで活動しているが、ヒマリはハイドの方が大好きでいわゆる"推し¹"である。
ハイド達がインターネット上で配信を始めた頃からのファンであり、ヒマリは彼らの歌う姿が好きであった。
思えばハイドは見覚えのある顔のような……と感じていたが、似ている人ぐらい世の中には沢山いるだろうの感覚でヒマリは気にしないでいた。
ヒマリはハイドのマスコットをトートバッグに付けてから一階へと向かう。
最後は玄関に置かれた、引越し先へ運ぶ予定の"電子レンジ"を紐で体に巻き付けてローファーを履き立ち上がる。
バッグでは無くて電子レンジを背負う制服を着た女子高生。奇妙な話が出回りそうな姿の完成であった。
「マジか……おっも……」
流石に力がある方のヒマリですら声が出てしまう。
(でも独り暮らしなら。やっぱ電子レンジは大事でしょ!)
若干フラつきながら玄関ドアを開けるとヒマリは外へ足を踏み出す。
「……じゃあね、母さん。もう帰ってこないから」
仕事で家を空けている母に、この言葉が聞こえてないのが幸いである。
ボソッと家に向かってそう呟くと、玄関の鍵を閉めて引越し先へと走り出した。
◆◇
空を見上げればそびえ立つビル群が目に入り、建物から反射する太陽のギラつく光が眩しい。
相変わらず周りは鉄筋の建物だらけなのに、地面からは綺麗に整備された木々が生い茂っている。
街なかに青白く光るお洒落な円柱の水槽などが飾られて、鮮やかな自然の緑と人工的な青のコントラストに目を奪われて近未来を思わす姿が目に飛び込んでくる。
まるで昔のパソコンの背景のような、コントラストが強い青空と草原や、かつて流行っていたらしい明るいマリンアートを思い出す。
ヒマリはそれらをタブレットの検索でしか見たことが無かったが、今としてはその姿に懐かしさすら感じる人もいそうと思った。
地面には昨日降った雨が残り、太陽に熱されたアスファルトから温かく湿っぽい匂いが鼻につく。
家から出れば人とアヤカシが多く出歩いており、色んな音が耳に入りうるさかった。
(暑いし、うるさい……気分悪くなる。早く抜け出そ)
ここは諸島なのに何でこんな栄えてるんだ……と文句を言いたくなったが、ヒマリはグッと気持ちを抑えて、フラつきながら引越し先へと目指す。
(わぁ、海だぁ……!)
ビル群を抜け坂を下っている最中に道がひらけてきて、眼下には透明感あるラムネ色の海が鮮やかに広がっていた。
アスファルトの湿っぽい匂いから、風に乗って漂ってくる潮風の香りが心地よくてヒマリの気分は少しだけ良くなる。
(……この辺りのはずだけど、疲れたから休むか)
坂を下り、目の前の道路を渡った先に横並びのヤシの木が生えており、その木の下に休めそうなベンチを見つけたので、ヒマリは「はぁ……」と小さく声を出すと荷物を置いて座った。
暑さで意識が朦朧とし始めるなか、下を向きながらしばらく休んでいると、誰かが名前を呼んできた。
「……ヒマリ?」
懐かしい声が耳に届く。
聞き覚えのある男の声にヒマリは顔を上げると……。
「……え、ホシド?!」
目に飛び込んできたのは月のように美しいブロンドで短い髪に、薄めなグレーブルーのレンズが入るサングラスを付けた男。
服装は胸元まで開いた白のワイシャツで、アームバンドで腕まくりをしておりグレーのベストを着ている。
まるでバーテンダーの様であった。
2年前に再会した時と服装や雰囲気が違う気がしたが、彼は幼馴染である"狼月ホシド"だと直感的に感じたので、思わず声を出した。




