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ADABI — 徒火 —  作者: ありをりはべりいまそかり


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【第39話】半分の道

 炭焼き道(すみやきみち)の入口に、朝の霧が残っていた。


 木々の間は白く、足元の土は湿っている。


 道は細い。


 二人並べば肩が触れる。


 荷車を入れようとすれば、すぐに車輪が根に取られる。


 それでも、山に慣れた者なら抜けられる道だった。


 逃げる者にも、入る者にも、ちょうどよすぎる道だった。


 迅は、道の入口に立っていた。


 隣には喜助がいる。


 少し後ろに、烈と八瀬隼人。


 黒羽の配下が二人、斜面と木の上を見ている。


 瀬川は槍を持つ兵を少し下げた場所に置かせていた。


 槍を前へ出しすぎれば、逃げてきた者が最初に見るのは助けではなく刃になる。


 それは、灰ヶ峰城(はいがみねじょう)で決めたことだった。


「ここか」


 辰五郎が、道の幅を見て言った。


「荷車は無理だな」


「入れないことになりました」


 迅が答える。


「火薬箱も、荷車も、夜の通りも閉じます」


「人は」


「留めます」


「通すんじゃなくてか」


「すぐには」


 辰五郎は、しばらく道を見ていた。


 やがて、持っていた杭を土へ置いた。


「なら、止める杭じゃなく、待たせる杭にしないとな」


「待たせる杭?」


「道を塞ぐように打つな。横へ寄せるように打て。真正面に打てば、人は押す。斜めに打てば、流れる」


 瀬川が頷いた。


「人を押し返す形にはするな」


「分かりました」


 藤吉が杭を持ち、嘉助が縄をほどいた。


 縄は道を塞ぐためではなく、道を二つに分けるために張られた。


 一方は、荷を入れない口。


 もう一方は、人を留める口。


 完全に閉じてはいない。


 だが、何もかも通せる道でもない。


 喜助は、水桶を置く場所を見ていた。


「飲み水は、こっちです」


 彼は、岩のそばを指した。


「洗う水は、あっち。火消し水は、荷の口の近く。でも、飲み水とは離します」


 瀬川が尋ねる。


「なぜ、火消し水を荷の口に置く」


「荷は入れないけど、火を持つ人が近づくかもしれません。あと、油紙や火縄(ひなわ)を見せるために、荷を一度ここで止めるかもしれないからです」


「火薬箱は通さぬ」


 赤松が、後ろから言った。


 いつの間にか、鉄砲衆の二人を連れて来ていた。


「だが、火薬箱でない火は来る。火口(ほくち)、油布、火縄。火の形は一つではない」


 喜助は、火消し水の桶に赤い布を結んだ。


 それから、取っ手の縄の結びも変えた。


 暗くても、触れば飲み水ではないと分かるようにするためだった。


「置いたあとも見る」


 喜助が小さく言った。


 迅は、その言葉に頷いた。


 灰ヶ峰城(はいがみねじょう)で決まった形は、紙の上では整っていた。


 だが、土の上に置くと、すぐに歪む。


 杭は斜めになる。


 縄は濡れる。


 水桶は人の足で寄る。


 人の顔は、地図の石とは違う。


 ここからが、本当の道だった。


     *


 赤土峠(あかつちとうげ)へ向かう太い道では、坂部が荷を見ていた。


 荷車は三台。


 一台目は米と干し菜。


 二台目は油紙と縄。


 三台目は火縄と火薬箱を覆う布。


 火薬箱そのものは、その後ろから別に来る。


 赤松の鉄砲衆がつき、火消し水の桶も離れずに動かす。


 坂部は一台目の車輪へしゃがんだ。


 泥が入り込んでいる。


「洗え」


「ここでですか?」


 藤吉が聞く。


「ここでだ。峠へ上がってから止まれば、また音に目を取られる」


 嘉助が桶を持ってきた。


 水を無駄にしないよう、車輪へ少しずつかける。


 水は飲み水ではない。


 洗うための水だった。


 喜助の木札と同じ印がついている。


 藤吉が、車輪の溝を木片でこそげる。


 辰五郎は、荷を持つ者たちの顔を見ていた。


「お前は後ろへ」


「まだ持てます」


「昨日もそれを聞いた」


 若い人足が口を閉じる。


「荷を持てる顔をしていない」


「寝ました」


「どれだけだ」


「少し」


「少し寝た顔と、荷を持てる顔は違う」


 辰五郎は、また同じ言葉を言った。


 言われた若い人足は悔しそうだったが、退いた。


 退いた先には、縄を干す場所がある。


 何もしない場所ではない。


 荷を持てない者にも、まだ見るものがあった。


 坂部は、荷札を確認した。


炭焼き道(すみやきみち)へ入れる荷はないな」


「ありません」


 藤吉が答える。


「近道を使えば煤谷村(すすたにむら)へ早いのに、と言う者が出ます」


 嘉助が低く言った。


 坂部は顔を上げた。


「もう言われたか」


「さっき、荷を待っていた者に」


「何と返した」


「荷を早く通すために、通さない道もある、と」


「分かった顔で言えたか」


「言えませんでした」


 嘉助は正直に言った。


「自分でも、まだ分かりません」


 坂部は少しだけ笑った。


「分かりきっていたら、評定などいらん」


 それから、荷車の前へ立った。


「聞け。炭焼き道(すみやきみち)へ荷車は入れない。火薬箱も入れない。近いからと入れば、根に取られ、泥に沈み、火を抱えたまま倒れる。荷は遠回りでも太い道を行く」


 一人の人足が声を上げた。


「遠回りなら、粥が遅れます!」


「遅れる」


 坂部は隠さなかった。


「だが、荷車ごと落ちれば粥は消える」


 人足は黙った。


 納得した顔ではない。


 それでも、手は止めなかった。


 荷は動き出す。


 車輪が泥へ沈み、深い(わだち)を残す。


 坂部はその轍を見た。


「轍も残せ」


「轍もですか?」


 藤吉が聞いた。


「昨日より深いか。昨日より浅いか。荷の重さだけじゃない。押す者の足が違えば、轍も変わる」


 藤吉は頷いた。


 嘉助は木の皮へ、車輪の跡を写し始めた。


 疑われた手が、また見る手になっていた。


     *


 炭焼き道(すみやきみち)留め場(とどめば)に、最初の者たちが来たのは、昼前だった。


 親子だった。


 母親が幼い子を背負い、もう一人の子が袖にしがみついている。


 荷は小さい。


 手ぬぐいに包んだ何かと、竹筒一本。


 その後ろに、足を引きずる老人がいた。


 さらに後ろに、若い男が二人。


 一人は焦げた笠を持っている。


 もう一人は、ずっと顔を伏せていた。


「止まれ」


 槍を持った兵が言った。


 声が少し強かった。


 子どもが泣きそうになる。


 瀬川が、その兵の肩を軽く押さえた。


「止まれ、ではない」


 兵は戸惑った。


 瀬川は前へ出る。


「ここで一度、休んでください」


 母親が顔を上げた。


「通れないんですか?」


「すぐには通せません」


「後ろから来ています」


「誰が」


「分かりません」


 瀬川は頷いた。


「分からないまま、ここに置きます」


 母親の顔が強張る。


「私たちを疑っているんですか?」


「疑っています」


 瀬川は、はっきり言った。


 母親の目に怒りが浮かぶ。


 すぐに瀬川は続けた。


「同じだけ、助けるつもりでも見ています」


 その言葉で、母親は黙った。


 喜助が水桶を持ってきた。


「飲み水です。子どもから」


 袖にしがみついていた子が、母親を見る。


 母親が頷くと、子は両手で椀を持った。


 喜助は水を入れすぎなかった。


 一人に多く渡せば、後ろが怒る。


 少なすぎれば、目の前の子が泣く。


 水の量にも、道の幅があった。


「怪我をしている人は、こっちへ」


 迅が老人へ声をかけた。


 老人は足を引きずりながら、道の端へ寄った。


 その動きで、若い男二人が少し前へ出る。


 黒羽の配下が、木の枝の上から手を上げた。


 急ぐ足。


 逃げる足。


 押す足。


 それを分ける合図だった。


 迅は、焦げた笠を持つ男を見た。


「どこから来ましたか」


「山の向こうだ」


「村の名は」


「言っても分からん」


「言えないのですか。言いたくないのですか」


 男は顔をしかめた。


「それを今、聞くのか」


「聞きます」


 迅の声は震えていなかった。


「ここは、通す道でも、追い返す道でもありません。分からない人は、留める場所へ行ってください」


「俺は敵じゃない!」


 男の声が上がった。


 子どもが泣いた。


 槍を持つ兵の手が動く。


「槍を前に出すな」


 瀬川の声が飛んだ。


 兵が止まる。


 迅は男から目を逸らさなかった。


「敵と決めていません」


「なら通せ!」


「味方とも決めていません」


 男の怒りが、一瞬行き場を失った。


 黒羽が低く言う。


「焦げた笠を置け」


「なぜだ」


「火の匂いを見る」


「笠だぞ」


「だから見る」


 男は舌打ちし、笠を地面へ投げた。


 黒羽の配下が拾い、匂いをかぐ。


 嘉七なら火の違いを見られたかもしれない。


 迅は、そう思った。


 だが嘉七はここにいない。


 ここにいる者で見なければならない。


「油の匂いは薄いです」


 物見が言った。


「ただの焼けか」


「分かりません」


「分からないなら、黒い石」


 黒羽が言った。


 八瀬隼人が木の皮へ印をつける。


 焦げた笠。


 名を言わぬ男。


 油の匂い薄い。


 敵とも味方とも決めず。


 焦げた笠の男は、不満そうに留め場へ移された。


 彼は通されなかった。


 だが、縛られもしなかった。


 それを見ていたもう一人の顔を伏せた男が、急に後ろへ下がった。


 迅が気づく。


「待ってください」


 男は走らなかった。


 ただ、足を止めた。


 瀬川が見る。


「名は」


 男は答えない。


 喉だけが動いた。


 迅の胸に、煤谷村(すすたにむら)で見た名を言わない男の姿がよぎった。


 名を言わないことには、理由がある。


 敵だからかもしれない。


 言えば殺されるからかもしれない。


 何も言えないほど怯えているからかもしれない。


「留める場所へ」


 迅が言った。


 槍の兵が顔を向ける。


「縛らないのですか?」


「まだ」


「逃げます」


「逃げる足も見る」


 黒羽が答えた。


 顔を伏せた男は、焦げた笠の男とは別の場所へ置かれた。


 同じ場所にすれば、言葉が混ざる。


 違う場所にすれば、人手が割れる。


 その道は、最初から人を食った。


     *


 烈は、留め場と赤土峠(あかつちとうげ)をつなぐ道を走っていた。


 走ると言っても、全力ではない。


 木の皮を揺らさない。


 言葉の形を崩さない。


 誰が、どこで、何を言ったか。


 何が分からないままか。


 それを保つ速さだった。


「焦げた笠。油の匂い薄い。名は言わず。留め場へ」


 烈は口の中で繰り返す。


「顔を伏せた男。名を言わず。別の留め場へ。逃げる足、まだなし」


 道の途中で、荷車とすれ違った。


 藤吉が手を上げる。


「烈、何かあったか?」


「分からない人が二人」


「敵か」


「分からない」


「味方か」


「それも分からない」


 藤吉は少し笑った。


「お前、分からないばっかりだな」


「崩すよりましだよ」


 烈はそう言って、また走った。


 後ろで藤吉が、


「確かに」


 と呟くのが聞こえた。


 赤土峠(あかつちとうげ)の入口では、安蔵が報告を受けた。


 烈は、息を整えてから話す。


炭焼き道(すみやきみち)の留め場に、親子、老人、男二人。親子は水を飲ませています。老人は道の端。焦げた笠の男は名を言わず。顔を伏せた男も名を言いません」


「敵か」


「分かりません」


「通したか」


「まだです」


「止めたか」


「留めています」


 安蔵は頷いた。


「その言い方でよい」


 兼太が近くにいた。


 夜番(よばん)明けではなかったが、まだ目の下に疲れが残っている。


「名を言わないなら、怪しいでしょう」


「怪しい」


 安蔵が言った。


「だから留める」


「斬らないんですか」


「斬れば、戻せない」


「通せば、危ない」


「だから、半分だ」


 兼太は黙った。


 その言葉は、評定の紙にはなかった。


 だが、現場では自然に出た。


 開けていない。


 閉じてもいない。


 半分だけ、道がある。


 烈は、その言葉を木の皮には書かなかった。


 けれど、胸の内では、もう題のように残っていた。


 半分の道。


 それは、思っていたより重い言葉だった。


     *


 昼過ぎ、浄火寺(じょうかじ)の手前にも人が溜まり始めた。


 道をすぐに通されなかった者が、寺へ向かう前に留められている。


 梅吉が、子ども連れを日陰へ寄せていた。


「押すな。子どもが先だ。歩ける奴は足を止めろ」


 声は荒い。


 だが、列は崩れない。


 太助は椀を抱え、蓮昭の指示で水を渡していた。


「一人一つ」


 太助が言う。


「もっとくれ」


 男が言った。


「後ろにもいる」


「俺は朝から飲んでない」


「後ろもだよ」


 太助の声が少し揺れた。


 それでも、椀を二つ渡さなかった。


 蓮昭は、門の前に立っていた。


 寺の門は開いている。


 だが、兵は門の影にいない。


 僧兵は見える場所に立っているが、槍を前へ突き出してはいない。


「寺は兵を隠さぬ」


 蓮昭が言った。


 瀬川から来た使いへ向けた言葉だった。


「だが、門前で人が潰れれば、寺も守れぬ。手前で分けよと伝えたはずだ」


「そのための留め場です」


 使いが答える。


「なら、留めた者へ水を絶やすな」


「水が足りません」


「足りぬと言うだけなら、誰でもできる」


 蓮昭の声が、少しだけ厳しくなった。


「足りぬ水を、どこに置けば崩れぬかを言え」


 使いは黙った。


 太助が、ふと顔を上げた。


「子どもの泣くところ」


 蓮昭が見る。


「何だ」


「水が少ないと、子どもが泣きます。子どもが泣くと、大人が押します。だから、泣くところに先に少し置きます」


 梅吉が鼻を鳴らした。


「そりゃそうだ。腹の減った大人より、泣いた子の方が列を壊す」


 蓮昭は太助を見た。


「椀を増やすな。置く場所を変えよ」


「はい」


 太助は椀を抱え直した。


 かつて奪った手が、今は渡す場所を選んでいる。


 寺の前でも、道は半分だった。


 門は開いている。


 だが、誰もがすぐには入れない。


 拒んでいるのではない。


 崩さないために、待たせている。


 それでも、待たされる者の顔に浮かぶ不満は、本物だった。


     *


 夕方に近づく頃、炭焼き道(すみやきみち)の留め場では、最初の判断が迫られていた。


 親子と老人は、通すことになった。


 子ども連れを長く留めれば、かえって列が崩れる。


 老人は足が悪い。


 夜を越す場所まで運ぶ必要がある。


 焦げた笠の男は、まだ留める。


 顔を伏せた男も、まだ留める。


「なぜ俺だけだ!」


 焦げた笠の男が声を荒げた。


「子ども連れは通しただろう!」


「荷が違います」


 迅が言った。


「俺の荷は笠だけだ」


「火の匂いがありました」


「焼けた村から来たと言った!」


「村の名は言っていません」


「言えば何になる!」


 男が一歩前へ出る。


 槍の兵が動く。


 瀬川が手を上げ、止めた。


「お前を敵と決めていない」


「なら通せ」


「味方とも決めていない」


「そればかりか!」


「それしか、まだ言えない」


 男の顔が歪んだ。


 怒りだけではない。


 疲れも、恐れもあった。


「後ろに火が来たら、どうする」


 その言葉で、迅の胸が強く鳴った。


 後ろに火。


 今は見えていない。


 煙もない。


 だが、この男には見えているのかもしれない。


 本当に追われているのかもしれない。


 火を口実にしているだけかもしれない。


 迅は、道の奥を見た。


 暗くなり始めている。


 木々の間は、昼よりも狭く見える。


 ここで通せば、名を言わない者を道へ入れる。


 ここで止めれば、本当に逃げている者を夜の手前に置く。


「迅」


 喜助が小さく呼んだ。


 喜助の水桶は、もう半分以下だった。


 留め続けるにも、水が要る。


 通すにも、人が要る。


 閉じるにも、見張りが要る。


 どれも足りない。


 迅は、焦げた笠の男へ向き直った。


「夜は通せません」


「では、ここで死ねと?」


「死なせないために、水と火を置きます」


「そんなものを信じろと?」


「信じなくていいです。見ていてください」


 男は言葉を失った。


 迅は瀬川を見た。


「夜は留めます。明るくなってから、もう一度見ます」


 瀬川はすぐには答えなかった。


 道の奥。


 男の足。


 水桶。


 槍の位置。


 子ども連れが通ったあとの乱れ。


 すべてを見ていた。


「よい」


 瀬川が言った。


「ただし、男二人は離す。水は少しずつ。火は小さく。槍は見えるが、近づけすぎるな」


「はい」


 焦げた笠の男は、納得していなかった。


 だが、座った。


 顔を伏せた男は、最初から座っている。


 彼は一度だけ、煤谷村(すすたにむら)の方を見た。


 その目を、迅は見逃さなかった。


煤谷村(すすたにむら)を知っていますか」


 男は答えない。


 ただ、指が少し動いた。


 手のひらの中に、小さなものを握っている。


 迅は近づかなかった。


 無理に開かせれば、そこで何かが壊れる気がした。


「明るくなったら、もう一度聞きます」


 男はうなずきもしなかった。


 それでも、逃げなかった。


     *


 夜が近づく。


 赤土峠(あかつちとうげ)では、火薬箱が太い道を通り終えた。


 荷は遅れた。


 粥も少し遅れる。


 それでも、火薬箱は濡れていない。


 荷車は落ちていない。


 安蔵は、報告を聞きながら、峠の外れを見ていた。


「音は」


「昼はありません」


 兼太が答えた。


「夜は」


「分かりません」


「それでいい」


 安蔵は、夜番の名を見直した。


 昨夜、起き続けた者を外す。


 荷を持った者も外す。


 だが、外せば足りない。


 結局、短い刻で交代させるしかない。


「休ませる者を決めるのも、戦か」


 兼太が呟いた。


 安蔵が見る。


「何か言ったか」


「いえ」


「言え」


「槍を持つだけが、戦だと思っていました」


 安蔵は少しだけ笑った。


「俺も昔はそうだった」


 兼太は、炭焼き道(すみやきみち)の方を見た。


「半分の道って、嫌ですね」


「何がだ」


「通すなら通せばいい。止めるなら止めればいい。その方が、文句も少ない」


「そうか?」


「少なくとも、言う方は楽です」


 安蔵は、暗くなり始めた山を見た。


「楽な命令は、だいたい誰かに重い」


 兼太は黙った。


 遠くで、鳥が一羽鳴いた。


 竹の音ではない。


 それでも、何人かが顔を上げた。


「見るな」


 安蔵が低く言った。


「自分の見る場所を見ろ」


 兼太は、今度は顔を戻した。


 自分の足元。


 火消し水。


 槍の届く幅。


 眠ろうとしている兵の顔。


 音はしなかった。


 それでも、音に動かされないことが、難しかった。


     *


 炭焼き道(すみやきみち)の留め場に、小さな火が置かれた。


 大きな火ではない。


 暖を取るには足りる。


 遠くから目印にするには弱い。


 赤松の鉄砲衆が、火の位置を見た。


「火薬箱からは遠い」


「油紙からも離しました」


 喜助が答える。


「水は」


「火消し水は、火の後ろです。飲み水は、子ども連れの方。洗う水は、怪我人のそば」


「混ぜるなよ」


「はい」


 喜助は頷いた。


 だが、すぐに言い直した。


「混ざらないように、見ます」


 赤松は、少しだけ口元を緩めた。


「それでいい」


 迅は、留められた二人の男を見た。


 焦げた笠の男は、火を睨んでいる。


 顔を伏せた男は、火を見ていない。


 小さく丸まった背中だけが見える。


 瀬川が隣へ来た。


「通さなかったな」


「はい」


「痛いか」


「はい」


「覚えておけ」


 迅は、瀬川を見た。


「これでよかったんでしょうか」


「分からん」


 瀬川は言った。


「ただ、今の形で見た。見ずに通したのでも、見ずに斬ったのでもない」


「それで足りますか」


「足りぬこともある」


 瀬川の声は静かだった。


「だから、明日も見る」


 その時だった。


 からり。


 道の奥から、音がした。


 全員が動きかけた。


「待て!」


 瀬川の声が飛ぶ。


 槍が止まる。


 喜助は水桶を見た。


 迅は火を見た。


 黒羽の配下は枝を見た。


 赤松の兵は火薬のない方角を見た。


 音のした場所だけを、全員では見なかった。


 もう一度、音が鳴る。


 からり。


 今度は少し近い。


 焦げた笠の男が立ち上がった。


「来た」


 迅が見る。


「何がですか」


 男は答えなかった。


 顔を伏せた男も、初めて顔を上げた。


 その手の中で、小さなものが光った。


 石か。


 木札か。


 それとも、別の何かか。


 迅には、まだ見えなかった。


 炭焼き道(すみやきみち)の奥で、足音が重なった。


 一人ではない。


 二人でもない。


 列になりきれていない足音だった。


 誰かが泣いている。


 子どもの声にも聞こえた。


 大人が真似ている声にも聞こえた。


 半分だけ開けた道の前に、まだ名のない夜が近づいていた。

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