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ADABI — 徒火 —  作者: ありをりはべりいまそかり


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【第38話】開ける道、閉じる道

 灰ヶ峰城(はいがみねじょう)の小広間には、いつもより多くの石が置かれていた。


 大きな地図の上に、道がある。


 赤土峠(あかつちとうげ)


 炭焼き道(すみやきみち)


 煤谷村(すすたにむら)へ戻る道。


 浄火寺(じょうかじ)へ向かう道。


 荷の道。


 水の道。


 人が逃げる道。


 敵が入るかもしれない道。


 同じ一本の線でも、見る者によって意味が違った。


 景胤は、地図の前に座っていた。


 上座ではない。


 道と石の前だった。


 真木、瀬川、黒羽、坂部、倉橋、鷹見、赤松が並ぶ。


 少し離れて、迅、烈、喜助が控えていた。


 片隅には、若い武士たちもいた。


 その中に、片桐数馬(かたぎりかずま)の姿もある。


 鷹見が、昨夜から集まった報告を一つずつ読み上げた。


赤土峠(あかつちとうげ)では、音により夜番の交代に乱れあり。火消し水と飲み水の取り違えかけあり。朝の荷下ろし、遅れあり。油紙二束、泥へ落下。米俵、火縄、火薬箱は無事」


 鷹見は筆を止めない。


「敵兵の姿は未確認。敵兵なしとは記さず。竹筒の数、場所、鳴らした者、いずれも不明」


 その言葉で、広間の空気が少し重くなった。


 敵が見えない。


 だが、こちらは動かされている。


 それが一番気味悪かった。


 景胤は地図を見たまま、静かに言った。


「これより、道の評定(ひょうじょう)を始める」


 誰もすぐには返事をしなかった。


 道を一つ閉じれば、敵を一つ止められるかもしれない。


 同時に、味方の足も一つ失う。


 それを、全員が分かっていた。


     *


 黒羽が地図の炭焼き道(すみやきみち)を指した。


「異なる音の一つは、ここから聞こえたとあります」


 細い道だった。


 山の者なら通れる。


 荷車は入れない。


 子ども連れや怪我人には厳しい。


 だが、煤谷村(すすたにむら)へ近い。


 閉じれば、敵の細い足は止められる。


 同時に、味方の逃げる足も止まる。


「閉じるべきです」


 片桐数馬(かたぎりかずま)が言った。


 声は若い。


 だが、迷いはなかった。


「敵の音がそこから鳴ったなら、道を残す理由はありません。槍を置き、木を倒し、通せぬようにすべきです」


 何人かの若い武士が頷いた。


 片桐数馬(かたぎりかずま)は続ける。


「道を開けたままにして敵を入れれば、それこそ民を危険にさらします」


 瀬川が、静かに顔を上げた。


「閉じた道の向こうにいる民はどうする」


「先に逃がせばよい」


「いつまでに」


 片桐数馬(かたぎりかずま)の口が止まった。


 瀬川は責めるようには言わなかった。


「道は、こちらの都合でだけ開いているわけではない。そこに戻る者がいる。そこから逃げてくる者がいる。迷っている者もいる」


「迷っている者まで待てば、敵も通ります」


「そうだ」


 瀬川は頷いた。


「だから、決める前に見る」


「敵を見てからでは遅い」


「民を見ずに閉じても遅い」


 広間の若い武士たちが息を呑んだ。


 どちらも遅い。


 だからこそ、道はただの線ではなかった。


 景胤は、まだ何も言わなかった。


 槍で決めるには、人が多すぎる。


 情だけで決めるには、荷が重すぎる。


     *


 倉橋が帳面を開いた。


 米の数だけを書いた帳面ではない。


 刻も書かれている。


 どの荷が、いつ出て、いつ着くはずで、どこで遅れたか。


 粥が薄くなる場所も、そこに記されていた。


赤土峠(あかつちとうげ)への荷が半刻遅れると、朝の炊き出しがずれます。一刻遅れれば、昼へ響く。二刻遅れれば、夜番明けの者に食わせる分を薄くすることになります」


 坂部が顔をしかめた。


「夜番明けを薄くするのか」


「それを避けるための話です」


 倉橋は、帳面の別の頁を開いた。


「夜番明けを荷下ろしから外すなら、荷を通す手が足りません。坂部殿のところから人足を増やせば、城の積み手が薄くなる。積み手を急かせば、荷札の間違いが増える」


「荷札を間違えれば、また疑いが出る」


 坂部が言った。


「はい」


 倉橋は頷いた。


「一度に積む量を増やせば、車輪が重くなる。車輪が重くなれば、赤土峠(あかつちとうげ)の泥で止まる。止まれば、音のたびに目を取られる」


 真木が腕を組んだ。


「つまり、荷は増やしても遅れる。早く出しても乱れる」


「はい」


「では、どうしろと言う」


「米の帳面だけなら、答えは出ません」


 倉橋は言った。


「ですので、荷と夜番と水を、同じ帳面に載せる必要があります」


 坂部が、地図の荷道へ石を置いた。


「荷を通すには、止める場所がいる」


 迅は、その言葉に目を上げた。


 止めるのに、通す。


 矛盾しているようで、そうではなかった。


 坂部は続ける。


「峠の入口で全部見ると詰まる。峠の奥で見ると、危ないものまで入る。なら、途中に一度留め場(とどめば)を作る」


「荷の留め場か」


 真木が言う。


「はい。荷車はそこで縄、車輪、油紙、火縄、火薬箱の覆いを見る。夜番明けは、そこから先の荷には触らせない」


 倉橋がすぐに言った。


「留め場で止まる分、刻は落ちます」


「落とす刻は、荷を落とすより安い」


 坂部が返す。


 藤吉の言葉を、別の形で言い直したようだった。


 迅は、泥へ落ちた油紙を思い出した。


 半刻の重さを、何度も見てきた。


 落とす刻と、落とさない荷。


 それでも、その半刻で粥は薄くなる。


 どちらも正しかった。


     *


 黒羽の前には、別の木の皮が置かれていた。


 八瀬隼人が写した音の位置。


 小夜の石の置き方を、烈が言葉で伝えたもの。


 そして、黒羽の物見が見た枝、土、鳥の動き。


 すべてが、一つの地図へ重ねられている。


「音を追う物見は、少なくてよい」


 黒羽が言った。


 若い武士たちの何人かがざわめいた。


「少なくてよい?」


 片桐数馬(かたぎりかずま)が聞き返した。


「音が敵の合図なら、見逃します」


「音を見る者を増やせば、音で動かされる」


 黒羽は淡々と言った。


「音のした方角だけを追えば、別の道が空く。昨夜、それが荷で起きた」


 迅の肩が小さく動いた。


 黒羽は、迅を見ずに続けた。


「物見は音を追うのではない。音のあとに動いたものを見る。枝。鳥。土。水。人の顔。荷車の止まり方」


「では、音は捨てるのですか?」


「捨てぬ。だが、音を主にしない」


 黒羽は、炭焼き道(すみやきみち)の入口に黒い石を置いた。


 小夜が使う黒い石をまねたものだった。


「これは、まだ敵とも味方とも決めぬ印です」


 景胤が石を見る。


「道の上ではなく、脇か」


「はい。道そのものを閉じた印ではありません」


 瀬川が頷いた。


「小夜の石と同じか」


「近いものです。あの娘は、分からぬものを急いで敵へ入れない。だが、忘れもしない」


 迅は、小夜の顔を思い浮かべた。


 石を置く妹の手は、小さい。


 だが、その石が今、城の地図の上にも置かれている。


 景胤は黒い石を見たまま言った。


「では、炭焼き道(すみやきみち)は閉じないのか」


「完全には」


 黒羽が答える。


「開けたままでも危うい」


「はい」


「では、どう見る」


「入口を二つに分けます。人が立てる入口と、荷が入れる入口です。荷は入れない。人は留めて見る」


「逃げてくる者は」


「止めるのではなく、留める」


 瀬川が口を開いた。


「留める場所には、槍だけを置くな」


 片桐数馬(かたぎりかずま)が眉を寄せる。


「槍を置かねば、押し込まれます」


「槍は要る」


 瀬川は言った。


「だが、槍の前に水と声が要る。歩ける者、歩けぬ者、子ども連れ、怪我人を分ける声がなければ、槍は民を押すだけになる」


 喜助が小さく息を飲んだ。


 水桶の置き場。


 飲む水。


 洗う水。


 火消し水。


 それが、道の入口にも必要になる。


「水を見る者を出します」


 喜助が言った。


 声が少し震えていた。


 大きな広間で口を挟むことに慣れていない。


 だが、景胤はすぐに見た。


「どこへ」


炭焼き道(すみやきみち)の留め場です。飲み水を一つ。洗う水を一つ。火消し水は、火薬箱の近くとは別に。混ぜると、また間違えます」


「人は足りるか」


 喜助は答えに詰まった。


 足りない。


 水を見る手は、どこでも足りない。


 浄火寺(じょうかじ)にもいる。


 赤土峠(あかつちとうげ)にもいる。


 城にもいる。


 喜助は、正直に言った。


「足りません」


「なら、なぜ言った」


「水がなければ、そこは道ではなくなります」


 広間が静かになった。


 喜助は目を伏せそうになったが、踏みとどまった。


「水がなければ、待たされた人は怒ります。怒った人は、押します。押された人は、倒れます。倒れた人を見て、敵だと言う人が出ます」


 瀬川が、喜助を見た。


 黒羽も見た。


 倉橋の筆が止まった。


「水は、荷と同じか」


 景胤が言った。


「はい」


 喜助は頷いた。


「置いたあとも見ないと、別のものになります」


 迅は、喜助の横顔を見た。


 水を見る手が、また少し広がっていた。


     *


 浄火寺(じょうかじ)からの返事は、蓮昭の言葉として届いていた。


 鷹見が読み上げる。


「寺は、兵を隠す場所にはならぬ。寺の門を、敵を待つ槍の影には置かぬ」


 赤松が、わずかに眉を動かした。


 寺に兵を置ければ、守りは固くなる。


 だが、浄火寺(じょうかじ)がそれを認めないことは、これまで何度も示されていた。


 鷹見は続けた。


「ただし、道を閉じることで門前に民が溜まるなら、椀、水、火、寝る場所が崩れる。門へ向かう前の留め場を定めよ。寺の中ではなく、寺へ押し寄せる前に分けよ」


 瀬川が低く言った。


「蓮昭殿らしい」


 倉橋が帳面へ線を引く。


「寺の中で分けないなら、寺の手前に米と水が要ります」


「そこへ荷を出すのか」


 坂部が聞く。


「出さねば、門前で列が崩れます」


「出せば、赤土峠(あかつちとうげ)への荷が減る」


「はい」


「また粥が薄くなる」


 誰も笑わなかった。


 薄い粥は、もうただの粥ではない。


 疑いが入る入口だった。


 瀬川が別の紙を広げた。


煤谷村(すすたにむら)からの返事です」


 そこには、志乃の言葉と、小夜の石の写しがあった。


「道を閉じるなら、戻る場所を消さないでほしい、と」


 烈が顔を上げた。


 母の声が、そこにあるようだった。


 瀬川は続ける。


煤谷村(すすたにむら)へ戻る者、村から逃げてくる者、どちらも一つの口に集めるな。子ども連れは水のそば。怪我人は道の端。名を言わぬ者は追い出さず、入れず、留める場所へ」


 黒羽が黒い石をもう一つ置いた。


「名を言わない男のための場所でもあるか」


「はい」


 瀬川が頷いた。


「分からない者を、その場で斬れば早い。追い返しても早い。だが、それをすれば、次に本物の民が名を言えなくなった時、道が血で閉じます」


 片桐数馬(かたぎりかずま)が口を開いた。


「名を言わぬ者を置けば、敵の耳にもなります」


「なる」


 瀬川が即座に答えた。


「では」


「だから、置く場所を決める。米のそばではない。火薬箱のそばでもない。だが、追い出しもしない」


「甘いのではありませんか」


「甘ければ、ここまで持たぬ」


 瀬川の声に、少しだけ硬さが混じった。


「疑うことと、斬ることを同じにするな」


 片桐数馬(かたぎりかずま)は黙った。


 若い武士たちの間にも、言葉が落ちた。


 武士なら、敵を斬る。


 それは間違いではない。


 だが、いま地図の上にあるのは、敵だけの道ではなかった。


     *


 赤松が、火薬箱の印へ手を置いた。


「火薬箱は、炭焼き道(すみやきみち)へ入れぬ」


 声は短かった。


「理由は」


 景胤が尋ねる。


「道が細い。湿る。転べば終わる。音に目を取られた者が一人いれば、火薬箱は荷ではなく火になる」


 迅の喉が鳴った。


 赤松は続ける。


「火薬箱は赤土峠(あかつちとうげ)の太い道だけを通す。雨なら止める。夜なら止める。火消し水と一緒に置くが、飲み水とは離す」


「止めれば、峠の鉄砲が薄くなる」


 真木が言った。


「火薬箱が燃えれば、鉄砲どころではありません」


「分かっている」


 真木は頷いた。


「言わせただけだ」


 赤松は、迅を見た。


「お前はどう見る」


 急に振られ、迅は背筋を伸ばした。


「俺は……」


 地図を見る。


 赤土峠(あかつちとうげ)


 炭焼き道(すみやきみち)


 煤谷村(すすたにむら)


 浄火寺(じょうかじ)


 火薬箱。


 水。


 荷。


 逃げてくる人。


 戻る人。


 音。


 まだ見えない火。


「全部、開けておくのは危ないと思います」


 迅は言った。


「全部、閉じるのも危ないです」


 片桐数馬(かたぎりかずま)が、かすかに目を細めた。


「では、何を言っている」


 迅は息を吸った。


「道を、一つのものにしない方がいいと思います」


「道を一つのものにしない?」


「はい」


 迅は、地図の炭焼き道(すみやきみち)を見た。


「荷の道としては閉じる。でも、人を留める道としては少し開ける。夜は閉じる。でも、昼に見て通せるなら、全部は閉じない」


 広間の者たちが、地図を見る。


「火薬箱は通さない。荷車も通さない。だけど、子ども連れや怪我人を、全部追い返す道にはしない」


「それを誰が見る」


 真木が尋ねた。


 迅は答えに詰まった。


 そこが、一番重い。


「一人では無理です」


「二人なら」


「二人で同じものを見たら、また別の場所が空きます」


 景胤の目が、少しだけ動いた。


 迅は続ける。


「だから、見るものを分けます。道を見る人。水を見る人。荷を止める人。名を聞く人。全部を一人にしない」


「それは火定めを道へ置くということか」


 景胤が聞いた。


「はい」


 迅は頷いた。


「でも、役目を置けば、そこが狙われます」


 鷹見の筆が止まった。


「それも記すべきです」


 迅は言った。


「この道に誰を置いたかだけじゃなく、置いたことで、どこが空くかを」


 景胤は長く沈黙した。


 誰も急がせない。


 この場で急げば、音に決めさせられる。


 景胤は、ゆっくりと地図の上へ手を伸ばした。


「真木」


「はっ」


「案を三つに分けよ」


 景胤は石を置いた。


「一つ。炭焼き道(すみやきみち)を完全に閉じる案」


 黒い石が道の上に置かれる。


「二つ。完全に開ける案」


 白い石が置かれる。


「三つ。荷と火薬は閉じ、人と水は留めて見る案」


 黒い石と白い石の間に、小さな灰色の石が置かれた。


 小夜が見れば、何と言うだろう。


 迅は、ふと思った。


 分からないものの石。


 怒りの石。


 戻る場所の石。


 どれにも似て、どれでもない石だった。


「三つ目を、主として詰める」


 景胤が言った。


 広間の空気が変わった。


 決まった。


 だが、軽くはない。


 真木が確認する。


炭焼き道(すみやきみち)は、荷車、火薬箱、夜の通行を閉じる。昼は留め場を置き、歩ける者、歩けぬ者、子ども連れ、怪我人を分ける。名を言わぬ者は、別に留める」


「そうだ」


赤土峠(あかつちとうげ)の荷道は」


「開ける。ただし、夜番明けを荷に触れさせぬ。留め場で縄、車輪、油紙、火縄、火薬箱の覆いを見る」


浄火寺(じょうかじ)へは」


「寺の門を兵の影にしない。門前ではなく、手前で列を分ける。蓮昭殿の条件を守る」


煤谷村(すすたにむら)は」


「戻る場所を消さない。だが、村へ入る前に留める。志乃の言葉どおり、戻る者と逃げてくる者を同じ口に集めない」


 瀬川が深く頷いた。


「この方針なら、民を止めすぎず、敵も通しきらない」


「通る敵は出る」


 黒羽が言った。


「止められる民も出る」


 倉橋が続けた。


「荷も遅れる」


 坂部が言った。


「水も足りません」


 喜助が小さく言った。


 景胤は、そのすべてを聞いた。


「それでも、全部閉じるよりはよい」


 真木が言った。


「全部開けるよりも、ましです」


 景胤は、地図の上の灰色の石を見つめた。


「まし、か」


 その言葉は、勝ちとは違った。


 美しい策でもない。


 誰も傷つかない道でもない。


 それでも、今の燧国(ひうちのくに)が選べる道だった。


「完全には開けぬ。完全には閉じぬ。通すものと止めるものを分ける」


 景胤が言った。


「通せなかったものは、記す。止めた理由も、記す」


 鷹見が筆を取った。


「役目帳にも残しますか」


「残す」


 景胤は答えた。


「できたことだけではない。通せなかった者。見なかった場所。足りなかった水。遅れた荷。全部だ」


 片桐数馬(かたぎりかずま)が、ゆっくり口を開いた。


「それで敵が入れば、誰の責になりますか」


 広間が静まった。


 景胤は、片桐数馬(かたぎりかずま)を見た。


「私の責だ」


「現場の者が誤れば」


「それを置いた私の責だ」


「武士が止めようとして、民を止めた場合は」


「それも、命じた私の責だ」


 片桐数馬(かたぎりかずま)は何も言えなくなった。


 景胤は言葉を続けた。


「だが、責を負うと言うだけでは足りぬ。だから、誤らせぬ形を作る。槍だけで止めるな。水だけで流すな。荷だけで急ぐな。音だけで決めるな」


 若い武士たちは、頭を下げた。


 片桐数馬(かたぎりかずま)も、遅れて頭を下げた。


     *


 評定が終わっても、広間の者たちはすぐには動かなかった。


 石の位置を、誰もが目に焼きつけていた。


 完全に開いた道はない。


 完全に閉じた道もない。


 あるのは、見ながら通す道だった。


 その分だけ、人手が要る。


 その分だけ、迷いも増える。


 真木が、命令を読み上げた。


炭焼き道(すみやきみち)入口に留め場を設ける。黒羽は物見を置け。ただし音を追わせすぎるな」


「承知」


「坂部は荷車を炭焼き道(すみやきみち)へ入れるな。荷は赤土峠(あかつちとうげ)の太い道へ回す。留め場では車輪、縄、油紙を見よ」


「承知」


「倉橋は、半刻、一刻の遅れを前提に米を組み直せ。浄火寺(じょうかじ)の粥を削りすぎるな」


「承知しました」


「瀬川は、煤谷村(すすたにむら)浄火寺(じょうかじ)の手前に人を分ける者を置け。槍だけを前へ出すな」


「分かりました」


「赤松は、火薬箱を炭焼き道(すみやきみち)へ入れぬ形を作れ」


「承知」


「鷹見は、通したものと止めたものを残せ」


「心得ました」


 真木は、一度言葉を切った。


「迅」


「はい」


「お前は赤土峠(あかつちとうげ)へ戻る。火薬箱と音のあとに動くものを見ろ」


「はい」


「烈」


「はい」


「戻る足は増える。だが、速さだけを求めるな」


「崩さず、ですね」


「そうだ」


「喜助」


「はい」


「水を見る者を二人出す。だが、お前自身を三つに裂くことはできぬ。どこへ行く」


 喜助は唇を結んだ。


 浄火寺(じょうかじ)


 赤土峠(あかつちとうげ)


 炭焼き道(すみやきみち)


 どこにも水が要る。


 どこにも、間違えれば火になる水がある。


炭焼き道(すみやきみち)の留め場へ行きます」


「理由は」


「そこが、新しく水を間違える場所になるからです」


 真木は頷いた。


「行け」


 喜助は深く頭を下げた。


 迅は喜助を見た。


 怖がりだった幼なじみが、自分で行く場所を選んでいる。


 それが誇らしいようで、少し怖かった。


 選べば、選ばなかった場所が残る。


 喜助も、それを背負う。


 景胤が最後に言った。


「この策は、敵を討つ策ではない」


 全員が顔を上げる。


「崩れぬための策だ。だが、崩れぬことを軽く見るな。崩れねば、次に打てる」


 景胤は、地図の上に置かれた灰色の石へ目を落とした。


「この形を、現場へ落とせ」


 広間の者たちが、一斉に頭を下げた。


 やがて、一人、また一人と広間を出ていく。


 帳面を持つ者。


 地図を写す者。


 馬を出す者。


 水と米の数を見に行く者。


 広間に残った地図の上には、まだ閉じきらぬ道があった。


 だが、その道を通れる者と、通れぬ者を分けるための石は、もう置かれていた。

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