表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ADABI — 徒火 —  作者: ありをりはべりいまそかり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
41/49

【第36話】眠らぬ峠

 からん。


 乾いた音が、夜の底で鳴った。


 竹を小石で叩いたような、軽い音だった。


 大きくはない。


 それでも、眠りかけた耳にはよく届いた。


 赤土峠(あかつちとうげ)の外れ。


 月明かりも入らない、右手の林の奥からだった。


「今のは?」


 槍を抱いて座っていた兼太が、すぐに立ち上がった。


 近くで火を見ていた安蔵は、答えなかった。


 耳を澄ます。


 枝が擦れる音。


 馬が鼻を鳴らす音。


 火薬箱を覆う油紙が、風にわずかに揺れる音。


 ほかには何も聞こえない。


「竹です」


 兼太が言った。


「獣の音じゃありません」


「分かっている」


「敵の合図かもしれません」


「かもしれんな」


 安蔵は、篝火(かがりび)の向こうを見た。


 兼太の声で、横になっていた兵たちが目を覚ましている。


 一人が頭を上げる。


 その隣も起きる。


 槍が一本、土を擦った。


「全員、立つな」


 安蔵の低い声が飛んだ。


 起きかけた者たちが止まる。


「ですが!」


「敵が一度音を鳴らしただけで、峠中の兵が起きるところを見せるな」


 兼太は、暗い林を睨んだ。


「見に行かせてください」


「二人だけ出す」


「俺も行きます」


「お前は残れ」


「なぜです?」


「今すぐ追いたい顔をしているからだ」


 兼太が何か言い返す前に、安蔵は二人の兵を指した。


「柵の外までだ。林の中へは入るな。火も持つな」


「暗くて何も見えません」


「明かりを持てば、こちらの位置を教える」


 二人は槍を置き、短い刀だけを腰に差して進んだ。


 足音が闇へ消える。


 残った者たちは、誰も横にならなかった。


 音が鳴った方を見ている。


 火薬箱の覆い布を見届けるため、峠に残っていた迅も同じだった。


 林の闇を見つめながら、その背後にある火薬箱のことが気になった。


 見張るべきものが、一つ増えたように感じた。


 しばらくして、二人の兵が戻ってきた。


「人影は見つかりません」


「足跡は?」


「柵の外は土が固く、分かりません」


「枝は折れていたか?」


「折れたものはありました。ですが、新しいものかどうかまでは」


 兼太が息を吐いた。


「逃げたのでは?」


「それも分からん」


 安蔵が言った。


「分からぬものを、逃げたとも、初めからいなかったとも言うな」


 二人の兵が元の場所へ戻る。


 安蔵は周囲を見回した。


「横になれ」


 だが、すぐに横になった者はいなかった。


「また鳴るかもしれません」


 若い兵の一人が言った。


「鳴るかもしれん。だから、鳴る前に目を閉じろ」


「眠れません」


「眠れぬでも、体を横にしろ。朝には荷が来る」


 兼太は槍を抱えたまま、ようやく腰を下ろした。


 ほかの兵たちも、ゆっくりと横になる。


 目を閉じる者。


 閉じても、すぐに開く者。


 林の音を聞き逃すまいと、息まで浅くする者。


 眠りは戻らなかった。


 からん。


 今度は左だった。


「左だ!」


 誰かが叫んだ。


 横になった兵たちが、一斉に起き上がる。


 槍と槍がぶつかった。


 火のそばで眠っていた人足が驚き、足元の桶を蹴った。


 桶が傾く。


 水が土へこぼれた。


「動くな!」


 安蔵が桶を起こした。


 誰もが止まる。


 左手の斜面から、次の音は聞こえなかった。


 人影も見えない。


 矢も飛んでこない。


 それでも、水はこぼれた。


 眠りかけた者は、また目を覚ました。


 見張る方角は、右と左に割れた。


 安蔵は濡れた手を見た。


「敵の姿は、まだ一人も見えておらん」


 兼太が振り向く。


「それでも、もう水をこぼさせた」


     *


 音は、その後も続いた。


 からん。


 右の林。


 からん。


 左の崩れ道。


 からん。


 水を汲みに下りる細い坂。


 鳴る場所は、そのたびに違った。


 けれど、続けては鳴らない。


 兵たちが立ち上がり、斜面を見て、何も見つけられずに戻る。


 しばらく静かになる。


 再び横になる。


 まぶたが重くなる。


 呼吸が深くなりかける。


 その頃を待っていたように、また鳴った。


 夜半(やはん)を過ぎる頃には、誰がどれだけ休んだのか、安蔵にも分からなくなっていた。


 まだ早いのに、夜番(よばん)の交代だと思い込んだ者もいた。


「もう代わる刻では?」


「まだだ」


「ですが、さっき木を打つ音が」


「交代の木は、まだ打っていない」


 兵は首を振った。


「聞こえた気がしました」


「竹の音と混じったんだろう」


「では、今は何刻です?」


 問いかけられた兵も、すぐには答えられなかった。


 夜の長さが分からなくなっている。


 別の場所では、喉を押さえた兵が水桶へ近づいた。


 半分閉じた目で、柄杓(ひしゃく)を取る。


「待て」


 兼太がその腕を掴んだ。


「何をする」


「水を飲むだけです」


「これは火消し水だ」


 桶の取っ手には、赤い布が結ばれていた。


 火薬箱や油紙に火が移った時のための水だった。


 飲み水の桶は、少し離れた岩壁の下にある。


 兵は赤い布を見つめた。


「見えていませんでした」


「見えていなかったでは済まない」


 兼太は言い切りかけて、口を閉じた。


 兵の目の下には、濃い影があった。


 立ってはいる。


 話もできる。


 それでも、目の前の赤い布を見落としている。


「飲み水は向こうだ」


 兼太が言った。


「俺も行く」


「一人で行けます」


「俺も喉が渇いたんだ」


 二人は並んで歩いた。


 安蔵は、その背中を見ていた。


 少し前の兼太なら、相手が水を盗もうとしたと決めていたかもしれない。


 今は、桶を見た。


 兵の顔も見た。


 だが、見たから眠気が消えるわけではない。


 疲れた者が間違える。


 その間違いを、別の疲れた者が疑う。


 疑う声で、さらに多くの者が起きる。


 敵の姿は、どこにも見えない。


 それでも、峠の内側では、小さなずれが重なり始めていた。


     *


 迅は、火薬箱のそばに座っていた。


 眠ってはいない。


 だが、起きているとも言い切れなかった。


 目を閉じると、音が鳴る気がする。


 目を開けていると、暗闇の中に何かが動いた気がする。


 火薬箱。


 水桶。


 斜面。


 眠る人足。


 油紙。


 火縄。


 一つを見れば、別の一つが気になる。


 全部を見ることはできない。


 それは昨日、身に染みて知った。


 それでも、音が鳴るたびに、首がそちらへ向いた。


 からん。


 今度は、水場へ下りる道の方だった。


 迅は立ち上がった。


「見に行きます」


 安蔵が、すぐに言った。


「火薬箱はどうする」


「ここからでも見えます」


「お前が下へ行けば見えん」


「誰かに見てもらいます」


「誰を起こす」


 迅は答えられなかった。


 すでに多くの者が起きている。


 それでも、火薬箱のそばに新たな見張りを置けば、その者は朝の荷下ろしに使えなくなる。


「俺が行きます」


 兼太が戻ってきた。


 安蔵は首を振った。


「お前も残れ」


「なぜです?」


「さっきから一度も横になっていない」


「眠くありません」


「眠い者ほど、そう言う」


 兼太が眉を寄せた。


 迅は、水場への道を見た。


「では、誰も行かないんですか?」


「二人出す」


「さっきも何も見つかりませんでした」


「今度も見つかるとは限らん。それでも、見ずにはおけん」


 安蔵は別の兵を二人呼んだ。


 一人は斜面を見る。


 もう一人は道の途中に残る。


 二人とも、音がした場所まで深く入らない。


 迅は火薬箱のそばに戻った。


 それでも、目は水場への道を追ってしまう。


 兵たちは、しばらくして戻った。


「人影は見つかりません」


「人の通った跡は?」


「分かりません。草が濡れていました」


「竹は?」


「折れたものはありました。ですが、いつ折れたのかまでは」


 それだけだった。


 音を出したものがどこにあるのか。


 誰かがその場にいたのか。


 離れた場所から鳴らしたのか。


 何も分からない。


 迅は、水場への道を見た。


 音のする方を見ている間、何か別のものが空いている気がした。


 だが、それが何なのか。


 迅には、まだ分からなかった。


     *


 空が、黒から灰色へ変わり始めた。


 薄明(はくめい)の道を、荷車のきしむ音が上がってきた。


「荷だ!」


 見張りの声が飛ぶ。


 兵たちが道の端へ寄った。


 灰ヶ峰城(はいがみねじょう)から送られてきた米、干し菜、油紙、縄、火縄だった。


 先頭を歩いていた辰五郎が、峠へ入るなり顔をしかめた。


 安蔵を見る。


「誰も寝ていないな」


「少しは休ませた」


「少し休んだ顔と、荷を持てる顔は違う」


 後ろから藤吉と嘉助が荷車を押してくる。


 車輪は泥を吸い、深い(わだち)を残していた。


 そのさらに後ろを、烈と八瀬隼人が歩いていた。


 烈は荷が無事に届いたことを城へ持ち帰る役として、八瀬隼人は荷札と荷の形を写す添え手として、荷隊に同行していた。


 烈は峠へ入るなり、眠りきれていない兵たちの顔を見回した。


「何があったんです?」


「あとで話す」


 安蔵が言った。


「まず荷を下ろす」


 藤吉が荷車の前へ回る。


「いつもの岩場へ寄せます」


 安蔵は周囲の兵を見た。


「手を貸せる者は前へ」


 五人ほどが出た。


 そのうち二人は、夜番をしていた者だった。


 辰五郎が一人の肩へ手を置く。


「お前は外れろ」


「動けます」


「膝が震えている」


 兵が自分の足を見る。


「寒いだけです」


「今は寒くない」


「人手が足りません」


「倒れて荷の下に入れば、もっと足りなくなる」


 辰五郎は、もう一人も外した。


「お前もだ」


「俺は震えていません」


「目が合っていない」


 兵は不満そうに顔を背けた。


 安蔵が言った。


「代わりを出せ」


「代わりも、よく休めていない」


 辰五郎の言葉に、誰も答えられなかった。


 荷車は止まったままだ。


 止めれば、峠の朝飯が遅れる。


 油紙が届かなければ、次に雨が降った時、火薬箱を覆えない。


 縄がなければ、濡れた荷綱(にづな)を替えられない。


「俺がやります」


 兼太が前へ出た。


 辰五郎は、その顔を見る。


「お前も休んでいないだろう」


「力は残っています」


「力だけで荷は持てん」


「なら、誰がやるんです?」


 兼太の声に、疲れた者たちの目が集まった。


 辰五郎は少し黙った。


「重いものは持たせん」


「では?」


「車輪を見る。止めるだけだ」


 兼太は頷いた。


 荷車を岩場へ寄せる。


 藤吉が前を引く。


 嘉助が後ろから押す。


 兼太と一人の兵が、左右の車輪へ付いた。


 辰五郎が声をかける。


「ゆっくりだ。急ぐな」


 荷車が動いた。


 泥に沈んだ車輪がきしむ。


 一歩。


 二歩。


 岩場の手前には、緩い傾きがある。


「止めろ」


 辰五郎が言った。


 藤吉が荷綱を引く。


 嘉助が肩を入れる。


 兼太は右の車輪へ、木の(くさび)を差し込んだ。


 その時、林の奥で音がした。


 からん。


 兼太の顔が上がった。


 手が止まる。


「音だ」


「楔を入れろ!」


 辰五郎が叫んだ。


 兼太が慌てて木を押し込む。


 だが、浅い。


 藤吉が荷綱を握り直そうとした瞬間、荷車がわずかに後ろへ下がった。


「下がるぞ!」


 嘉助が車輪へ飛びついた。


 荷車が傾く。


 積んでいた油紙の束が、横へ滑った。


 兼太が楔を蹴り込む。


 藤吉が荷綱を引き直す。


 辰五郎が荷台へ肩を当てた。


「押すな! 止めろ!」


 周りにいた兵たちが、一斉に手を伸ばしかける。


 何人もが触れれば、逆に荷台が揺れる。


 安蔵が叫んだ。


「言われた者だけ動け!」


 兵たちの手が止まる。


 嘉助の膝が泥へ沈んだ。


 藤吉が歯を食いしばる。


 辰五郎が荷台を押さえる。


 兼太は両手で楔を掴み、土へ押し込んだ。


 荷車が止まった。


 油紙の束が二つ、泥へ落ちた。


 米俵と火縄は落ちなかった。


 しばらく、誰も動かなかった。


 荒い息だけが聞こえる。


「綱を戻せ」


 辰五郎が言った。


 藤吉と嘉助が、ゆっくり荷車を立て直す。


 兼太は、泥の中の楔を見ていた。


「俺が……音を見ました」


 誰も責めなかった。


 それが、かえって重かった。


「敵が来たと思ったんです」


 辰五郎は、泥へ落ちた油紙を拾った。


「来たかもしれん」


「なら、見るべきだった」


「お前は車輪を見るために、そこへ置かれた」


「ですが、敵なら」


「全部は見られん」


 兼太が唇を噛む。


「音を見れば、車輪が空く。車輪を見れば、音の先が分からん」


 辰五郎は濡れた油紙を広げた。


 外側には泥がついている。


 中まで染みたかどうかは、まだ分からない。


「だから、誰をどこへ置くか決める者が要る」


 安蔵が言った。


「今夜と同じなら、明日の朝も荷を落としかける」


「今夜も鳴るでしょうか」


 藤吉が尋ねた。


「鳴らぬかもしれん」


「なら」


「鳴らぬと思って休めば、鳴るかもしれん」


 安蔵は、夜の間にこぼれた水と、泥へ落ちた油紙を見た。


「敵は米を奪っておらん。火薬箱にも触れた形はない」


 誰も口を挟まない。


「それでも、荷は遅れた」


 朝飯に使う米の荷下ろしは、すでに予定より遅れていた。


 油紙を一枚ずつ開き、泥水が中まで入っていないか調べなければならない。


 荷綱も確認する。


 疲れた者を外した分、人手も足りない。


 大きな損失ではない。


 だが、同じ夜が続けば、峠は確実に弱る。


     *


 迅は、泥のついた油紙を見ていた。


 林で音が鳴った時、迅もそちらを見た。


 兼太だけではない。


 ほとんどの者が見た。


 その瞬間、車輪を止める手が遅れた。


「音が鳴った場所だけが、狙いではなかった」


 迅が言った。


 安蔵が振り向く。


「何だ」


「音がした方を、みんなが見ました。その間に、荷が動いた」


「敵が荷車を押したわけではない」


「はい」


 迅は、泥の中へ沈んだ楔を見る。


「でも、俺たちの手を止めた」


 烈が、八瀬隼人の持つ木の皮を覗き込んだ。


 八瀬隼人は夜の出来事を聞きながら、音がした場所を炭の点で残している。


 右の林。


 左の崩れ道。


 水場への坂。


 峠の外れ。


「音の場所だけでは足りない」


 迅が言った。


「ほかに何を残すんです?」


 烈が尋ねる。


 迅は水桶を見る。


 荷車を見る。


 疲れた兵を見る。


「音が鳴ったあと、何が動いたか」


「何が?」


「兵が何人起きたか。水をこぼしたか。火を強くしたか。荷が止まったか」


 八瀬隼人が、木の皮の端へ新しい線を引いた。


「音は点。動いたものは線にします」


「それで何か分かるのか?」


 兼太が聞いた。


 迅は首を振った。


「まだ分からない」


「なら、何のために」


「分からないことを、なくさないために」


 兼太は黙った。


 八瀬隼人は、油紙が落ちた場所を木の皮へ写した。


 烈は安蔵へ向き直った。


灰ヶ峰城(はいがみねじょう)へ、何を持って帰ればいいですか」


 安蔵はすぐに答えなかった。


 報告できることは多い。


 竹を打つような音が、何度も鳴った。


 鳴る方角が変わった。


 人影は一人も確認できなかった。


 兵は十分に休めていない。


 水をこぼした。


 夜番の交代を間違えかけた。


 火消し水を飲もうとした者がいた。


 朝の荷下ろしで車輪が下がった。


 油紙が二束、泥へ落ちた。


 荷はまだ全て下ろせていない。


 だが、誰が鳴らしたかは分からない。


 竹筒がどこにあるのかも分からない。


 音が合図なのか、眠りを削るためだけのものなのかも断言できない。


「見たものは全部だ」


 安蔵が言った。


「見ていないものは?」


「見ていないと、そのまま言え」


 烈は頷いた。


「敵がいたとは言いません」


「いなかったとも言うな」


「はい」


「音の数も、分かる分だけだ」


「はい」


「それから」


 安蔵は、泥へ落ちた油紙を見た。


「今夜、誰を休ませ、誰を夜番に残すか決めなければ、明日の荷も危ないと伝えろ」


 烈の顔が僅かに強張った。


「誰を休ませるか」


「全員を起こせば、朝に動けぬ。半分を休ませれば、本物の敵を見落とすかもしれん」


「どうすればいいんです?」


「それを決めるために持ち帰るんだ」


 烈は言葉を飲み込んだ。


 八瀬隼人が木の皮を丸め、背へ結びつける。


 烈は道の先へ立った。


「行ってきます」


「急げ」


 安蔵が言った。


 烈は一歩踏み出し、止まった。


「速くですか。崩さずですか?」


 安蔵は烈を見た。


「崩さずだ」


 烈が頷く。


 八瀬隼人とともに、灰ヶ峰城(はいがみねじょう)へ続く道を下りていった。


     *


 朝の光が、峠の土を赤く照らし始めた。


 荷下ろしは、まだ終わっていない。


 眠れなかった兵たちは、岩陰で短く目を閉じていた。


 兼太は荷車の右側に立っている。


 今度は林を見なかった。


 車輪と楔だけを見ている。


 それが正しいのかは、まだ分からない。


 本当に敵が斜面を登ってきた時、音を見なかったことを悔やむかもしれない。


 迅は火薬箱のそばに立ち、林と荷下ろし場の間へ目を動かした。


 どちらも同時には見られない。


 音が鳴ったら、また首がそちらへ向くかもしれない。


 その時、何が空くのか。


 迅には、まだ分からなかった。


 からり。


 音がした。


 炭焼き道(すみやきみち)へ続く方角だった。


 昨夜までの音より、わずかに高い。


 兼太が顔を上げる。


 迅も振り向いた。


「今までと違う」


 兼太が言った。


 安蔵は、すぐには兵を出さなかった。


 音のした林。


 荷車。


 水桶。


 眠る兵。


 火薬箱。


 一つずつ見る。


 どれも、まだ動いていない。


 もう一度、音が鳴るのを待った。


 だが、何も聞こえなかった。


 風が木々を揺らす。


 朝の鳥が一羽、峠の上を越えていく。


 音は、峠の外で鳴っていた。


 それでも、削られているのは峠の内側だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ