第九話 趙旭、身上を語る
私は慎重に扉を開けます。
すると、そこには華やかな装束を身に纏った可憐なお姫様がいました。
いえ、「お姫様」よりも「公主」という言い方のほうが似合う、細やかな刺繍に彩られた水藍色の襦裙、髮髻にさされた精緻な細工の簪が否応にも目に入ってきます。
「開門いただき、感謝いたす。此度は我が不肖の弟子が大変ご迷惑をおかけした」
公主のような華やかさを纏う、凌雲山掌門たる姚凌霜様が丁寧に頭を下げました。
その時、午後に押しかけてきた謖が姚凌霜様の後ろにいることに気づきます。
謖は自分の師母が頭を下げたことに腹をたてたのか、険しい目付きで私を睨んでいます。
「これ、括常も頭を下げぬか!」
「いたっ! 申し訳ございません、師母」
が、姚凌霜様はパシンと畳んだ扇で謖の頭を叩き、謖は渋々と頭を下げます。
括常と呼んだのは、それが謖の字なのでしょう。
「この弟子から話の詳細を聞き出せたのが今しがたのことであった。すぐさま取る物も取り敢えず、かような夜分に駆けつけることとなったことを許されよ」
「掌門娘娘のご来訪を賜り、恐縮でございます。ただいま我が師父も支度を整えております。どうぞ、中にはいってお待ちください」
よその掌門娘娘ですから賓客として丁寧に対応すべく、拱手して頭を下げ、屋内へ入るように勧めます。
「いや、深夜に押しかけたのはこちらの落ち度。見れば着替える時間も惜しんで扉を開けていただいた様子。こうして駆けつけたことを伝えられた故、妾たちは朝までここで待たせていただく所存である」
「掌門娘娘を外でお待たせするわけには……」
姚凌霜様には、私が変化の術を使っていることを見抜かれているようです。直前まで気配を察せなかったことといい、はっきりと実力者であることがわかります。
そんな地位も実力もあるお方を夜明けまで外で待たせるというわけにもいきません。
「姚師姪、修行の年数ではあなたが先達だ。そう謙ることもあるまい。入られよ」
と、後ろから趙旭様の声がしました。
「趙師叔! 此度は我が不肖の弟子が大変な失礼をした! 畏くも太霄道尊太師祖の末の直弟子である趙師叔を下山道士呼ばわりなどと! にも関わらず、寛大な処置をいただいたこと、まことに感謝の極みである」
趙旭様がでてくると、姚凌霜様は本当に恐縮しているという様子で膝をつき、頭を下げています。
趙旭様にも口調は変わらないので、迂闊に他者に謙った言葉遣いができない身分のご出身かもしれませんね。
「あなたの来訪で目も冴えてしまった。詫びたいというのなら話し相手になってほしい」
「承知した。失礼いたす」
姚凌霜様と謖を桃剣観の中に通します。
私は灶房(かまど部屋)に行き、お茶の準備を始めます。火起こしする時間も惜しいので道術でお湯を沸かして、茶葉や茶器を用意します。
お茶を持って戻ってみると、謖が叩頭していました。
「まことに申し訳ありませぬ! あなた様が叔父上であるとは露知らず、この趙括常、数々のご無礼をいたしました」
私はお茶を趙旭様と姚凌霜様にお出しすると、叩頭している謖を見下ろして首をひねります。
「何事ですか?」
「この趙括常は我が亡き兄・趙伯統の子、つまり甥なのだそうだ。もう頭をあげよ」
「甥っ子……ですか?」
同じ趙姓だったのは、ただの偶然ではなかったのですね。
顔をあげた謖の表情は、スーパーヒーローを見る男児のようです。昼間の見下していた態度が嘘のようです。
「紹介しよう。我が弟子で妖精人の姫美桜だ」
「浄輪仙姑より狐の妖精人に封ぜられし姫美桜と申します」
私はあらためて自己紹介をします。
「ほう、妖精人か。それで風変わりな読みも持つか。よろしく頼む、美桜師妹」
「恐縮でございます」
あれ? 姚凌霜様は風変わりと言いつつも、ちゃんと「みお」と呼んでくださいますね?
「趙師叔はよい弟子を得たようだ。妾も括常には期待していたが、育て方を誤ったところもあったようだ」
「みお」読みのことを聞きたかったのですが、次の話を始めた姚凌霜様を遮る訳にもいきません。
「趙師叔がわずか十年で金丹に至った頃、我が師父の供をして、一度だけ師叔に拝謁したのを覚えておられようか。趙師叔の眩いばかりの才能に、妾もこのように優れた弟子を持ちたいと考えておった」
姚凌霜様の声が情念に揺らいだように見えました。
この方も顔か、才能か、趙旭様に魅入られてしまった女性の一人なのかもしれません。
「凌雲山に門派を構えた時、近くに師叔の生まれ故郷があると知って訪ねた。すると才気と仙骨に恵まれた少年が目についてな。それが括常であった。趙師叔の甥御であると知り、妾は天数というものを感じたものよ」
昼間、「驕り」と書いてあった顔付きが剥がれてみると、なるほど趙旭様に似ている美青年です。
切れ長の目元が、怜悧な印象にも、目付きの悪さにも化けるのが損をしてそうです。
そんな謖を見る姚凌霜様の視線は優しいです。
「目元などは兄嫁によく似ている」
趙旭様は懐かしむように微笑みます。
下山した時に趙旭様のご実家を訪ねましたが、家族や友人の多くはすでに亡くなっていました。面識はなかったとはいえ、近い血縁の青年には懐かしさを感じるのでしょう。
「括常は三十年で金丹に至った。趙師叔には及ばぬが、普通の修仙士が百年を一つの目安にするなかでは確かな才能であろう。だが、妾は少しばかり甘やかしすぎたようだ」
「姚師姪、私は気にしていない。そう責めてやるな。私が下山道士なのは確かだしな」
姚凌霜様は謖に対して、才能は間違いなくあるとした一方で問題があると認識しています。
それを趙旭様のほうが取りなしている始末です。
「仮に趙師叔ではなく、本当に取るに足らないと言われる下山道士であったとしても、かような態度は紛うことなき驕りである」
姚凌霜様はため息をつきます。
「まことに申し訳ございません、汗顔の至りでございます! あの……無礼のついでにお尋ねいたします。叔父上は名だたる修仙士に讃えられる才能がありながら、なぜ下山されたのですか?」
恐る恐ると謖が趙旭様に問いかけます。
「私には速く昇る才はあったが、高く昇る才はなかったのだ」
「高く昇る才?」
「十年で金丹に至ったが、四十年修行しても元嬰に至る道を見出せなかったのだ。ならば、執着せずに、潔く下山して人界で富貴の身を目指そうと考えた」
「たった四十年の修行で元嬰に至れぬと結論づけるのは早かろうに。我が師父も嘆いておられた」
謖の質問に答える趙旭様に、姚凌霜様は首を振ると、お茶を一口飲みました。
「時間の多寡ではないのだ。険しい山でも時間をかけて昇ることはできる。その労を厭うつもりはなかった。しかし、私の昇るべき山は、それそのものが霧散して消えてしまった」
「それで妖魔退治の商売ですか。叔父上ほどの実力者であれば、確かにご提案は合理的でした。あらためて短慮をお詫び申し上げます」
趙旭様の言葉に謖が感心したように言います。
手のひら返しをしているようにも思えますが、趙旭様のことを尊敬しているのは本当の様子です。
「凌雲山の手に負えない依頼だけ、趙師叔が引き受けるという話であったな」
その会話を聞いていた姚凌霜様はしばし考え込みます。
「趙師叔がすでに人界の道士であるというのなら、依頼したい妖魔退治がある。修仙の不文律のために、我ら修仙士には手をだしづらい懸案があるのだ」
「師叔」と書いて「スース」と読ませたかったのです。
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