第十話 浮雲蔽日の都
覆されたる巣に完卵無し
外患内憂に巣が傾けば、繁栄を謳歌していた卵も無事ではすみません。
魯国。
建国から四百年、姚氏が皇位を継いできた王朝です。
桃剣観がある街も、魯国の一地方にあります。
趙旭様と私は、凌雲山掌門の姚凌霜様の依頼を受けて、魯国の都にやってきました。
「師父、なんと大きな街でしょう! こっちの世界でこんなに大きな街があるなんて想像もしていませんでした」
人、馬車、荷車、商店、屋台で賑わう都の大通りは、前世の池袋駅もかくやという人の多さです。
この世界の日常生活からは、部分的にでもこれほどの規模で、この雑踏が続いている様子を想像できていませんでした。
「この街の北方にある修仙門派・玉露観の掌門は、化神に至った姚師兄だ」
「姚師兄……玉宸真君のことですね」
「ちょっと、お兄さん! かわいい妹さんに、この櫛はどうだい? お兄さんみたいないい男にはお安くしちゃうよ」
話に割り込んできたのは、頬を赤らめた露店主の中年女性です。
趙旭様を見つめる瞳孔がハートになっているのは、この世界では比喩ではありません。
「いや、この者は妹ではなく……」
「間に合ってます!」
趙旭様が律儀に誤解を解こうとしているのを遮って、私は露店主さんにきっぱり断りをいれます。
そして、趙旭様の腕を掴んで再び歩き出します。
しかし、こうして人口の多いところでは遠くから眺めるばかりでなく、実際に趙旭様に声をかけてくる女性もでてきますね。
そうでなくても、道行く人々が男女を問わず、振り返る美貌が趙旭様です。
「まったく、趙旭様は歩くだけで街中が騒々しくなります」
「そうならば、私の未熟さの証だな。姚師兄であれば、修仙の中で発する霊気だけで、水が湧き、木が育ち、土地が豊かになって、世界を清然と整えていく」
「それで都は豊かなのですね。玉宸真君の弟君は魯室姚家の始祖、魯国は弟君を想う仙人に守られた国と言われるわけです」
「姚家始祖の時代から数千年の時を経れば、弟君の子孫は魯室だけではなかろうが、姚師兄が故郷を大切にしているのは事実であろうな」
おしゃべりしながら東西に延びる賑やかな大通りを進んでいくと、都の朱雀門と宮廷を結ぶ朱雀大路にぶつかります。
この辺りは一層の賑わいを見せており、その辻角にあるのは大きくて煌びやかな宮観です。
「あれが昭霊護国皇祖帝宮……姚師姐の紹介状にある宮観ですね」
周辺には多くの屋台が軒を連ね、皇祖帝宮で祀られる仙人に因んだ縁起物、仙人の活躍を語る人形劇や講談師、筮竹をふっている占い師など、宮観にあやかる商売がひしめいています。
「魯の高祖が王朝を開いた折、玉宸真君が宮廷に降り立った! 高祖は尊号として昭霊護国皇祖帝君を奉った」
人形劇の弁士がちょうど宮観に祀る仙人の縁起を語っています。
「その時、高祖の公主・姚凌霜が皇祖帝君の目にとまる! この公主こそが……」
「「昭霊護国公主!」」
「然り! 然り! 皇祖帝君の弟子となった公主が後の昭霊護国公主なのである!」
弁士の問いかけに人形劇を眺める子供たちが元気に答えます。
姚凌霜様はかなり人気者であるようで、お話のリクエストも次々にあがります。
「ねえねえ、金華猫退治のお話をして!」
「僕は猩猩退治がいい!」
「天子様と知恵比べしたお話~」
そんな賑やかな様子を横に私たちは宮観を見上げます。石の柱に尊号が彫り込まれています。
「あの宮に祀られているのは姚師兄と姚師姪のことであろう? なんともゴテゴテしたものだな。師父から賜る仙号はあれほどにはならぬ」
「かっこいいじゃないですか。高機動型とか局地戦用とか次世代主機試験型とかズラズラ並んでいるような感じです」
「美桜は時々わからぬことを言う」
玉宸真君は修仙界の師父から賜った仙号で正式なものです。一方、昭霊護国皇祖帝君は人界の皇帝が勝手に捧げた封号です。
「美桜です。とにかく皇帝陛下からすれば、立派なご先祖様が守ってくださることには感謝してもしきれないのでしょう。それにご先祖様の格があがるほど、皇帝陛下の格も上がるというものです」
「姚師姪は姚師姪、皇帝は皇帝。別人であろう? なぜ、格があがる」
「立派な先祖を持つ人には、先祖の名に恥じない行いが期待されるものです。他人からはもちろんですが、自分で自分にする期待でもあります。それは人品を磨き、育むものです」
もちろん、先祖の威光に頼って威張るだけの人も目にはつきやすいですけれどね。
趙旭様は本質をズバズバ指摘しすぎるので、少しは角の立たない考え方を入れてほしいものです。
「そういうものか。ん? 銅鑼の音がするな」
その時、遠くから銅鑼の音が響いてきます。
「官差が通るぞぉ! 道を開けよぉ!」
官差、お役人の一団が通るらしく、先触れが「回避」の牌を掲げて人々を退かします。
どこか淀んだ空気を運んでくる先触れたちを避けて、私たちも道の端で通過を待ちます。
先触れの後からやってきたのは檻車を伴った捕吏の一団でした。
檻車は一輛だけでなく、何輛も連なっています。
囚われているのは、年老いた夫婦、壮年のご婦人、幾人かの男女、母に抱かれた幼児、しくしくと泣いている少女、恐怖に耐えながらも毅然たらんとしている少年。
「一体、何事だい? 年寄りから子供までいるじゃないか」
「あれはきっと諫議大夫の魏原様のご一族だ」
「薛絳華を嬪から貴妃に格上げすべきじゃないと諫言して、皇帝陛下に誅殺されたらしい」
「ご一族まで誅殺するおつもりなのかしら?」
「子供もいるわ。なんて惨いことを……」
檻車が通り過ぎるのを見送る人々の中から、ヒソヒソ話が聞こえてきます。
その語り口から敬意と同情が感じられることから、忠臣と呼ばれるに足る立派な人物であったのでしょう。
「薛家の悪女め……」
「父君の薛公は謹厳な太守として名を知られていたというのに……」
「薛絳華が来てからというもの、聡明であった陛下はすっかり暴君にお変わりになってしまった」
人々の嘆く声が、薛絳華という妃の悪行が市井にまで届いていることを示しています。
その薛絳華こそが私たちが都にやってきた理由ですが、今はもっとやるべきことがあります。
「師父、魏家の方々を助けましょう。あれは妖魔の仕業ですから、私たちの領分です」
「根源は妖魔であろうが、人界の法の執行で動いているものを修仙の力で歪めることはできない。我らが姚師姪に依頼を受けたのも、その不文律があるからだろう」
私は囚われた人々を助けることを提案しますが、趙旭様は首を振ります。
私も日本からの転生者として法治主義の大切さはわかります。力を持つ私たち修仙者が感情で人界の法を捻じ曲げることは巡り巡って秩序を破壊し、弱肉強食を招来して良民を傷つけるものです。
けれど、檻車の中に子供の姿を見せつけられれば、胸がぎゅっと締め付けられます。
「……そう、ですね」
「だから、助けられるのは子供だけだ」
「師父?」
趙旭様の顔を見上げると、悲しげな微笑みを見せています。
「檻車の列を先回りするぞ」
「はい!」
趙旭様は大通りを離れ、人気のない路地に入ると跳躍します。私も追いかけます。
「鳥身 看るも見えず 疾く」
屋根から屋根へと跳び移る間に、口訣を唱えて術を発動しながら、先触れを追い越しました。
そして、私たちは素知らぬ顔で朱雀大路の野次馬の中に紛れます。
先程の術は存在感を減じるもので、街を行けば誰もが振り返る美貌の趙旭様を目立たなくさせるものです。
「師父、どうされるのですか?」
「身代わりを作り、入れ替える。全員は無理であっても、子供だけであれば刑吏の目を誤魔化せよう」
趙旭様は懐から三枚の呪符を取り出すと、そっと袖の中に隠しながら口訣を唱えます。
「黄花は 影を瑠璃の水に移し 紅葉は 光を錦繍の林に散つ。形を移し位を換う。疾く!」
それは囁き声よりも小さな声で、耳がよい者が至近で聞かねば雑踏に紛れてしまうでしょう。
袖の中の符が一瞬輝いたものの、見事に気配を消したまま術を発動させました。
「うわっ!」
「うへぇっ?! 突風だ!」
その時、にわかに強風が吹きすさび、土埃が舞い上がりました。
強風はすぐに止みましたが、気がつくと私の腕の中に幼子が、両隣に少年と少女がいます。まるで先程からずっと一緒にいたかのようです。
いつ入れ替わったのか、まるで見当がつきません。
「今は声は出せぬようにしている。子供らよ、母らをよく見送るのだ」
趙旭様は少年と少女に語りかけました。その声は優しくも厳しさを感じさせるものでした。
一方、檻車の中で幼子を抱いていた女性は戸惑った様子を見せます。
こちらからは先程までと何も変わっていないように見えますが、あの女性が今、抱いているのは替身符で作った身代わりです。
「あの母親には替身符とわかるようにしたが、他の者には区別はつくまい」
本物の我が子を探して視線を彷徨わせていた女性は、やがて私が抱いている我が子を見つけ、強い視線を向けてきました。
この表情は困惑、希望、不安、安堵が混じり合った複雑なもので、最後には偽物の我が子をぎゅっと抱きしめたまま、頭を下げるのでした。
私は視線を送ってくる女性に頷き返しました。
「……この子たちは守ってみせますから」
この世界には修仙者が実在し、超常の力が振るわれることは周知の事実です。
あの女性は「仙人が我が子を救ってくれた」、その可能性を必死で信じようとしているに違いありません。
やがて、檻車は妖気の立ちのぼる宮殿の中に消えていったのでした。
新章スタートです。
★評価、ブックマーク、よろしくお願いいたします!




