第四話 風水の庭
人の作るに由ると雖も、宛も天自ら開くがごとし。
園林の造営に関する理念で、「人間が作るものであっても、まるで自然が作り出したかのようにする」という意味合いだと、徐大人は語りました。
「なるほど、とても立派なお庭です」
「気の流れも悪くない。清々しい空気だな」
趙旭様と私がやってきたのは、妖魔退治の依頼人である徐大人自慢の園林です。
町中にありながら、植栽に覆われて喧噪は遠く、石を積み上げた假山の麓と池の畔の間には立派な楼閣が建てられています。
「あの假山に使っている奇岩は、修仙の山として名高い凌雲山より取り寄せました」
「あの池の畔に咲く芍薬は、やはり修仙の山である玉露観で株分けしていただいたものです」
石造りの回廊を、徐大人の解説を聞きながら奥へと進んでいきます。
自慢たらしい語り口で興味がない人であれば飽きてしまうのでしょうが、観光地のボランティアガイドと思えば、十分に興味深いお話だと私は聞き入ってしまいます。
「嘘ではないが……本当かといえば、無理筋といったところか」
「修仙の山から取り寄せたというのは少し大袈裟ですね。せいぜい麓からですね」
趙旭様がそこまで興味を示さないのは、修仙界の雄渾な大自然に比べたら感動も薄いからでしょうか。
趙旭様が気にしたのは、気の流れや徐大人の自慢が話を盛っていることのようです。
やがて、回廊は池の手前で途絶えてしまいました。
「この池は園林を造作する前から、この土地にあった天然の池です」
「ほう。この池の上に水榭を建てれば、気の流れを緩やかに留めて、この地の人々の福徳に繋がるであろう」
徐大人が池の説明をすると、趙旭様が感心を示しました。
「はい、趙道長のおっしゃるとおりです。造園を任せた風水師の先生も同じことを言っていたのですが、水榭を建てようとする度に妖魔があらわれて工事の邪魔をしてくるのです」
「それで回廊が途切れているのですね」
それまでニコニコと庭の説明をしていた徐大人の顔色が青褪めていきます。
私が回廊の途切れた部分を覗き込むと、まるで捻じ切られたかのような石畳の断面が見えています。
これを妖魔がやったのなら、よほど恐ろしい想いをしたことでしょう。
ですが、この池に邪悪な気配の名残など感じとれません。
「人の被害はあったのか?」
「いえ、幸いに家人にも工事の人足にも、怪我人や死人はありませんでした」
「そうか、それはよかった」
被害がないと知った趙旭様は安心したように微笑みます。
「趙道長、この地に住まう妖魔をどうか退治してくださいませ! お礼は千金を厭いません」
徐大人は拱手して懇願します。
千金を惜しまないという言葉からも必死な表情からも、徐大人の不安が伝わってきます。
「わかった。概ね、何が起きたかの見当はついた。徐大人、妖魔退治が望みということだが、それは手段である。この池をどのようにしたいのか、聞いておこう」
「風水の先生に言われたとおり、水榭を建てられれば最上です。ですが、今はもうそこまでの贅沢は申しません。ただただ恐ろしい妖魔が尋ねてこないとなれば安心です」
これまでの商売では顧客の需要からズレてばかりでしたが、専門のこととなれば違います。
師父は本当に隅々まで気を配ることができています。
「よいだろう。水榭を建てる準備を始めるといい。工事の着工日にまた呼んでくれ。鎮土は私が行う」
趙旭様は腰に佩いていた桃剣、桃の木で削り出した木剣を空に放り上げ、人差し指と中指でビシっと指し示します。
すると桃剣は空中にピタリと止まります。ひょいと飛び上がって桃剣の鎬の上に降り立ちました。
修仙者の移動手段としてポピュラーな御剣飛行です。
「帰るぞ、美桜」
「は、はい。徐大人、失礼いたします」
私は徐大人に拱手して礼をすると、短褂の袖から羽衣を取り出して、フワリと空に舞い上がります。
私たちが本当に空を飛ぶ姿を見て、徐大人は感激した様子で見上げていました。
安心してください。私は長褲を履いていますよ。
鎮土の儀式が行われる日がやってきました。
徐大人の園林には、すでに木材や石材などの建材が積み上げられています。
私はあの池の前に道壇を作り、香炉、線香、燭台、浄水盆、令旗、三清鈴、弾墨線、筆、硯、法印、霊符用の紙、と道具一式を並べます。
「師父、準備が整いました」
「では、はじめようか」
私が声をかけると趙旭様は道壇の前まで悠然とした様子で進み出ました。
徐大人と彼が雇った木匠、工事の人足たちがその様子を眺めています。
「あれが噂の趙二哥か」
「女っぽいわけじゃねえのに、すげえ綺麗だ」
「ありがたや、ありがたや」
半束髪にして残りの黒髪は背に流し、眉目は秀麗で、細身でありながら引き締まった筋肉を持つ美青年に、人足の男たちも思わず見惚れてしまうようです。
いつもどおりの服装ながら、深みのある玄青に染められた広袖の道袍も威容を引き立てています。
董大哥の弟分なので趙二哥と呼ぶのは、特に人足のような階層を含めた江湖の荒っぽい文化の人々です。
「かわいい嬢ちゃんもいるぞ」
「馬鹿ヤロ、銀髪に紅眼で趙二哥のお弟子さんっていやぁ……」
「聞いた聞いた、うちの親方が先代の花瓶を飾り直して運気が上がったっていってた」
「そう、桃剣観で占いをやってる美桜娘娘だ」
私のことも噂されています。木匠の親方は前に占いに来てくれた方です。
対外的にはビオウ読みは仕方ありません。普通は「みお」とは読まないので。
身内である趙旭様には「みお」って呼んでほしいのですけれどね。前世も含めて、私なのですから。
「趙道長、よろしくお願いいたします」
徐大人が趙旭様に拱手して深々と礼をします。
それを見て、木匠、人足の人々もそれぞれに礼をします。
「これより鎮土の儀をはじめる。美桜よ、弾墨線で結界を張り、徐大人たちを護れ」
「いりますか?」
「慢心、予断は不要」
「失礼いたしました!」
私は道壇の上から弾墨線をとります。
弾墨線は墨つぼともいい、墨にひたした糸をピンと張り、それを弾いて綺麗な直線を引く大工道具です。
墨に霊力を注ぎ、徐大人や木匠、人足の皆さんを囲う八卦陣を引いていきます。
「朝雲 南北を指し 夕霧 西東を正す。疾く! 八卦陣」
禹歩を踏み、腕の動きを含めて指で導引を結び、口訣を唱えると、八卦陣に光が宿り、結界が起動します。
それを見ていた趙旭様は道壇に向かうと、無詠唱で指先に火を灯し、燭台と香炉の線香に火を灯します。
「三山縹眇なり滄瀛の外 五岳嵯峨なり赤県の中」
趙旭様の禹歩と導引は、舞踊のように美しく、刃のように研ぎ澄まされて無駄がありません。
「露を防ぐ古松千載に翠なり、風を待つ危葉は九秋に紅なり」
腰の桃剣を引き抜くと、今度は剣舞へと変わります。
桃剣から溢れる霊気が光となって輝き、幻想的な美しさを増していきます。
桃剣観の名前の由来でもある桃剣は、霊峰奥深くに根を張る桃の樹から賜った枝を削り出して作られました。
人と善良なる者は斬れませんが、妖魔や妖気を斬ることができます。
「落泉布を曝して飛鵠を懸く、晴雨糸を収めて薄虹閉づ」
趙旭様が儀式を進めるほどに、この地に通う気の流れが、光の奔流となって可視化されていきます。
その光の奔流の中で舞い続ける趙旭様の美しさは筆舌に尽くしがたいものです。
「こ、こんな鎮土の儀式は見たことがない!」
「本物の仙人様だぁ」
鎮土の儀式を見慣れているはずの徐大人も木匠も、眼の前で起きているスペクタクルな光景に度肝を抜かれています。
巷間の道士や築基で下山した修仙者が行う鎮土の儀式と、金丹一品のそれでは物が違います。
「仁者 山を楽しぶるは何の寄する所ぞ 国家の襟帯 西東に在り」
趙旭様が儀式を続けている中、私の背筋に悪寒が走ります!
「師父!」
「ああ、出てきたようだ」
霊気の光彩の奔流に墨を流したように、にわかに天が掻き曇り、冷たい突風が吹き下ろしてきます。
砂煙が舞い上がり、小石が飛び交いますが、趙旭様はその中で微動だにしません。
「さて、どのような妖怪であろうな?」
趙旭様は道壇から三清鈴をとると激しく打ち鳴らしました。
邪を払う三清鈴の響きが突風を打ち払います。
『この池を埋め立てるのはまかりならぬ! 我らはこの池の霊力で浴するものなり!』
おどろおどろしい声を響かせているのは、鰐、江豚、鬼魚の姿をした巨大な妖魔が現れたのです。
回廊の石畳を捻じ切ったのは、きっとあの鰐に違いありません。
「なるほど、やはり狙いはこの地の霊力であったか」
しかし、趙旭様は妖魔たちの巨大さなど素知らぬ様子で眺めています。
「だが、このように良民を脅すやり方は懲らしめなくてはならないのでな」
趙旭様はすっと桃剣を構えるのでした。




