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挫折した天才道士は俗世の加減がわからない ~趙旭傳 江湖逍遥録~  作者: 恋思川幹


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第二十九話 魯国皇帝本紀、ならびに諸列伝 後編

【董員外視点】


「行ってしまったなぁ、仲明よ」


 しんと静まりかえった桃剣観。

 いつも義弟の趙旭が座っていた場所を見つめながら、董員外は嘆息した。


 趙旭たちは、都への妖魔襲撃事件の後、身辺の整理を行うと廻国修行の旅にでることにした。

 昭霊護国公主、すなわち姚凌霜の取りなし、実際に存在した妖魔の襲撃、関係者の証言。

 それらによって、直接的に趙旭たちがお尋ね者になるようなことはなく、むしろ昭霊護国公主の協力者として名声をえたくらいであった。

 そうであっても、正体が妖魔であれど貴妃の身分も封(ほう)ぜられていた者を修仙の術を使って襲撃したことは不文律に反するものであった。

 その名声を人界の富貴に換えることを、趙旭は潔しとしなかった。


「かつて修仙者であった者として通すべき筋、か。せっかく山を下りてきてくれたというのに、わしには寂しいことよ」


 修仙者と常人の時間感覚は違う。

 趙旭は厳密にはすでに修仙者ではない。修仙を諦め、下山した道士である。

 しかし、金丹一品である趙旭は、事実上、力も寿命も時間も修仙者のそれである。

 自分の老い先が短いと自覚している董員外は、今朝、趙旭と美桜の旅立ちを見送ったことをもって今生の別れを予感していた。

 自分も若かった時から、どこか浮世離れしていた義弟ははたしてどう考えているのか。


『呼んでくれれば、いつでも大哥(ターコー)の元に駆けつける。文字通りに飛んでこよう』


 そう言って渡された宝珠は趙旭と連絡を取るための宝具である。

 けれども、修仙者である義弟を頻繁に呼び出すのも憚れる。


「十年に一度くらいならば、使ってもよかろうかのぉ? その頃ならば、都の大事件もこの街では昔の出来事になっていよう」


 趙旭の意を汲みつつ、義弟に会いたい自分の願いを重ねるならばそれくらいだろうかと考える。


「いやいや。十年に一度では、使うより先にわしの葬式になってしまうかもしれん。……息子や孫に使い方も心掛けも教えておかねばなぁ」


 例え、自分の子や孫であっても、義弟を便利な使い走りにさせるつもりはない。


「おや、董員外ではござらぬか。浮かぬ顔をされておりますな」


 不意に桃剣観に入ってくる者があった。


「おお、清堅殿か」


 特徴的な喋り方をする清堅であった。

 かつて悪さをして、趙旭に懲らしめられた妖精人であり、桃剣観の霊的儀礼の代行を任されている。


「やはり、趙旭殿が旅立たれて寂しく思っているのでござるか?」

「そのとおりよ。わしの人生に義弟、仲明はなくてはならぬ存在であった。しかし、修仙を極めた仲明の人生は長い。常人であった頃に義兄弟の契を結んだ董大哥の話など、ほんの一幕にもなりますまい」

「そう卑下なさるものではござらぬよ。拙者は好きでござるよ。街の皆が噂する、董大哥と趙二哥(アルコー)の物語はワクワクドキドキいたしますぞ」


 腐の者としても、と清堅が小さく呟いたのを董員外は聞きとらなかった。


「大袈裟に吹聴された話もあるが、語られない話も多いのだよ」

「ほうほう。それは気になりますぞ! お二人の秘蔵のお話、馴れ初めからじっくりと聞きたいでござる」


 清堅から熱心に求められて、董員外は悪い気持ちはしなかった。

 にっこりと微笑むと董員外は語り出した。


「そうだな。あれはまだ、わしが鼻を垂れた小僧であった頃の話でな」




【王婉児視点】


「爺(じじ)様。経書でわからないところがあるのです」

「おうおう。魏修よ。どこを学んでおるのかな?」

「子曰く、君子は器ならず、とあります。ですが、君子の持つべき才には器量がよくあがります。ここでの器とは別物なのでしょうか?」

「ほほう、魏修は賢いの。自身でその問いに気付くとは。それは、古今東西の学者たちが様々な解釈をつけてきた」


 厳粛で公正な役人として知られている王県令が、相好を崩して好々爺のように子供に学問を説いている。


「婆(ばば)様、刺繍のこの部分がうまくできません」

「そこはね、ここをこうしてこう……わかる? 貞衡」

「はい、こうですね」

「ふふふ、上手だわ。貞衡、あなたが糸の勘所を捉えるのが上手だわ」


 慈悲深くも気品と規律にこだわる王県令の夫人が、でれでれと甘い声を出して優しく指導をしている。


「まったく、人は孫には甘くなるというのは本当でしたのね」


 王婉児は自分や弟を厳しく躾けてきた両親の変貌ぶりに何とも言えない心持ちであった。

 「爺様」「婆様」などと呼ばせて笑顔が零れ落ちている。

 引き取った子供でこれなのだ。趙旭との間に子供が生まれていたならば……。


「ふぅ……」


 婉児は首を横に振った。詮無い思考が頭を過った、と。


 婉児が趙旭から引き取った諫議大夫・魏原の遺児たちは、王県令の家で育てられていた。

 地方官とはいえ、魯国官僚の一端として政治に通じた王県令が魏修に勉学を教え、夫人は貞衡に高貴な女性としての心得を説いている。

 まだ幼子の魏成は王県令の若い側室が婉児の末の異母妹と一緒に育てている。こちらも随分と気に入られているらしい。


「父上も母上もそれぞれに教えるべきことは教え、躾けるべきは躾けていますけれど、少し評価が甘いのが気になりますわね」


 かわいがるのはよいし、教えるべきことはちゃんと教えている。けれども、自分や弟が受けた躾に比べると甘いと感じてしまう、少しばかりの嫉妬があった。

 婉児は、子供たちがもう少し育ったら、やがてははっきりと諫めることもできる教育係を招聘したいと考えていた。


「仲明様に託された仕事でもありますし、昭霊護国公主様にまでお口添えをいただいております。立派に成し遂げてみせなければっ」


 中央の政情はいくらか不穏もあったようだが、皇后がしっかりと手綱をとっているらしく、地方にまで波及することはなかった。

 昭霊護国公主や皇后によって、すでに魏原の名誉回復は行われているので蔭位を受けることはできる。父の官位に応じて、少し高い官位から官吏に任用される特権だ。

 それでも、魏家としての実務的な政治基盤は解体されてしまっている状態だ。端的にいえば、後ろ盾がない。

 王家も官吏の一族であるが、いかんせん魏原ほどの高位の大夫ではない。

 忠臣・魏原の遺児ということであれば、政治的な利用価値を売り込むことができるが、売り込み先を間違えれば利用されて終わりになる。

 慎重に見定めていかなければならない。


「わたくしは、こういうことに頭を悩ませるのが、意外と嫌いではないのね」


 商売のことでは美桜に負けた。一足飛びに成果を求めて趙旭を見限ってしまった、その反省を今ではできている。

 それを踏まえたうえで、政治の舞台であれば自分が勝てるという自信が、今の婉児にはあった。

 そうであるから、魏修たちの将来を、魏家の再興を考えることはやりがいのある目標と言えた。


「魏家再興、どこまでやれば再興できたと誇ってよいものかしら?」


 魏家をそれなりの官吏に戻すだけであれば難しいことではない。魏家の名と王家の後ろ盾で成し遂げられる。

 しかし、それだけで「再興」と言えるのだろうか?

 事件が起きる前の魏家の威光を取り戻せたら「再興」だろうか?

 趙旭によくやったと褒めてもらえるだろうか?


「婉児姉様! これから薬草を採りに行きたいのです。よろしいでしょうか?」

「趙旭様に作り方を教わったお薬を、婆様に差し上げたいのですっ」


 考え込んでいた婉児の耳に子供たちの声が響いた。

 勉強の時間が終わったのか、魏修と貞衡が婉児のもとへやってくる。


「薬草取りですか? すぐに護衛の者を手配しますから、一緒に参りましょう」


 最初はぎこちないところもあったが、家族として接することにも慣れてきた。

 二人にとって、趙旭は命の恩人であるばかりでなく、生きる目標を授けた、家族の仇を討ってくれた人物である。

 薬草取りや薬品調合も、趙旭に保護されていた頃に協力して行った作業である。

 趙旭の元妻としては少々複雑な気持ちもあったが、その思い出を尊重するため、婉児はいつも薬作りを手伝うことにしている。


 事件後、「廻国修行に出る」と一度だけ趙旭が顔を見せた。

 子供たちと一緒に霊薬で稼いだという金銀を置いて、すぐに立ち去ろうとしたのを、せめて一晩の逗留をと無理に引き留めた。


 その晩の光景はありえたかもしれない別の未来の景色であったと婉児は思う。

 趙旭がいて、婉児がいて、子供たちがいて、共に食卓を囲んで賑やかに食事をするのはとても楽しい時間であった。

 しかし、それは趙旭の美貌に胸を焦がし、独占したいと願っていた自分の延長線にはないのもわかってしまった。


「さあ、早く早くっ!」

「婉児姉様、薬草が余ったら香嚢も作りましょう」

「ほら、二人ともはしゃぎ過ぎですわ。慌ててばかりでは、いい成果はだせないものよ。わたくしのように」

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