第三十話 趙旭、浮雲のごとし
不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し
趙旭様は極端な禁欲主義者というわけではありませんが、無いことにも、有ることにも、頓着しないという点で模範的な修仙の風格があります。
それは自身が不義に手を染めないという美点ではありますが、人が時に不義を働いてでも富貴を求めることへの理解がまるでありません。
修仙を諦めた者が下山して人界の富貴を求めるのはよくある話で、修仙で得た薬や占いの知識、武術の腕などを振るって世俗の成功を求める者は少なくありません。
趙旭様は修仙を諦めた者の身の振り方の手本と考えて、下山しました。
しかし、そうした俗塵に塗れた道士として生きていくには、趙旭様には欲が足りていないのです。
「……はぁ、まさかまた、こんなひもじい想いをすることになるなんて……」
大河の畔、渡し場に隣接して賑わう市庭では、美味しそうな饅頭を蒸している香りが漂ってきます。
今の私にそれを買うだけのお金がありません。
辟穀の行を修めて食事は要らないはずなのに、お腹がぐぅっと鳴っているような気がします。
「辟穀の行を修めた金丹の道士たる我らに、今更、食事など必要あるまい?」
「そりゃ、飢えたりはしませんけれどね」
必要はなくとも、目の前の美味しそうなものに目移りするくらいの感情は残っているのです。
「大体、婉児様と魏修くんたちのところに立ち寄った時、どうして路銀まで渡してしまったんですか?」
そう、趙旭様は桃剣観と霊薬売りで稼いだ大金をほぼ全て婉児様と魏修くん、貞衡ちゃん、魏成くんのために置いてきてしまったのです。
「桃剣観の商売はもともと私にも商売ができると、婉児に証明するためのものであった。霊薬造りでは子供たちに大いに手伝ってもらったからな」
「だからって、路銀にと考えていた分まで渡してしまってどうするんですか? ああ、私が婉児様に遠慮して宿を別にしていたばかりにっ……。せめて、近くにいたら止めようもあったというのにっ……」
私の手持ちは多くなく、ここに来るまでに使い果たしてしまいました。
私が頭を抱えていると、趙旭様は何かを思い出すように考え込んだ後に答えました。
「あの時、よくよく考えてみれば、我らに路銀は必要ないと気付いたのだ。辟穀の行を修めているから食事は必要ない。山中での修仙では風雨雷電に晒されながら打坐を組み続けること数ヶ月ということもあったではないか。ならば宿も不要であるし、路銀は不要であるとな」
「まだ、山で修仙を続けているつもりなんですか? 何の為に下山したんですか? 修仙を諦めたからですよね? なら、もっと俗人らしくありましょうよ?」
趙旭様の理屈は通っています。通ってはいますが、それでいいのかと問い詰めずにはいられません。
「ふむ。そうか、そういう考え方もあるか」
この、物事に囚われない気質こそが金丹一品まで至りながら、さくっと修仙に見切りをつけた理由でもあるのでしょう。
「山に戻って修仙を続けるなら、それはそれでいいですよ? 私は師父についていくだけです。ですが人界で生きていくのであれば……」
言いかけたところで趙旭様が私のことを抱き寄せました。
「ほえ?」
「そうか、ついてきてくれるか」
その趙旭様の声には、なぜか安堵の感情がこもっているように感じられました。
「もう! 見限ったりしませんから、離して下さい」
私はなんとも照れ臭くなってしまい、趙旭様を……振り払えません。体術の研鑽の差です。
太くはありませんが引き締まった腕と、硬い中に力強い鼓動を響かせている胸板に包まれているのは心地よくはあるのですけれど。
いえいえ、過ぎたる美貌の趙旭様が人目もはばからずに市庭の中で女の子を抱き寄せているというのが、もう色々と破廉恥といいますか。
「まだまだ修行が足りないな」
「そ、それはともかくですよ。食事も宿も、当然輿などもいらないとしましょう。ですが、目の前の滔々と流れる大河はいかがするつもりですか?」
私はとにかく、離してもらえないかと実務的な話を進めることにします。
「御剣飛行では旅情がないと、ここまで歩いてきました。けれど、渡し賃がなければ渡し船には乗れません。いいのですか、御剣飛行での渡河で」
「そうか。ここまできて、それでは味気ないな。なるほど、幾ばくかの路銀は必要であったのだな」
趙旭様が深く納得したという様子を見せています。
「桃剣観や霊薬売りの時のように、何か路銀を稼ぐ手立てを案じてはくれぬか?」
「む、無理です! 無理ですからっ! 何の後ろ盾もない、準備もない、無一文からお金を稼ぐなんてバイタリティ、私にはありませんからっ!」
事もなげに無茶振りをする趙旭様に、私は全力で拒否します。
董員外や姚凌霜様の名声と資金の助けがあったから商売っぽいことができただけで、私自身はちょっと聞き齧りの前世知識があるだけですっ!
「そう謙遜することもあるまい。行くぞ、美桜」
「美桜ですからあああああああああああぁぁぁっ!!」
完結までお読みいただき、まことにありがとうございました!
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