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挫折した天才道士は俗世の加減がわからない ~趙旭傳 江湖逍遥録~  作者: 恋思川幹


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第二十八話 魯国皇帝本紀、ならびに諸列伝 前編

【皇帝視点】


「皇帝陛下にあらためてご挨拶を申し上げます。太守・薛護の娘、薛絳華でございます」


 魯国皇帝の前に一人の女が跪いていた。

 魯国の都市で太守を務める薛護の娘、薛絳華である。


「本当に何も覚えていないのか?」


 皇帝は薛絳華に下問する。

 薛絳華は恐縮して身を縮こまらせる。


「皇帝陛下のご期待に添えず、申し訳ございません」

「それはよい。答えよ」

「はい。わたくしは入内のために都に向かっておりました。その途次で古い宿場に宿泊いたしました折、恐ろしい猫の妖魔に襲われましたところから記憶がございません。目を覚ました時、畏れ多くも皇帝陛下に抱きかかえられて宝物庫におりました」

「聞いていたとおり……であるか」


 あの事件の後、薛絳華の様子がおかしいことに気付いて医官に見せた。

 結果、薛絳華はこの後宮での日々を何も覚えていないという報告があがったのである。


 皇帝は大きな溜息をついた。

 薛絳華はびくりと震え上がった。

 太守の箱入り娘として育てられた薛絳華には、権力者があからさまに大きな落胆を見せる様子はいかにも恐ろしく、顔を真っ青にして震え上がっている。

 そんな様子さえ、皇帝を失望させた。


「わたくしが不用意なばかりに、わたくしに取り憑いた妖魔が宮中を荒らしたと聞かされました。わたくしはどのような罰でも受けます。どうか、家族には罰が及ばぬように……」

「もうよい」


 罰は自分一人で負うと目を潤ませ、震えながら懇願する様は健気ではある。


「は?」

「もうよい、と言ったのだ!」

「も、申し訳ございませんっ!」


 後宮に入内してくる令嬢たちは大きく分けて二種類がいると皇帝は了解していた。

 一つは男であれば士大夫に列して朝堂を差配していたであろう政治力に長けた女たち。

 彼の皇后はそのような女である。

 薛貴妃の台頭する後宮ではじっと雌伏していたが、妖魔の暗躍が明らかにされ、討伐されると勢力を盛り返した。

 皇后の権威の下に、瞬く間に妖魔に取り入って私腹を肥やしていた廷臣を粛正してしまった。

 外戚の力が強い時代が始まるだろう。

 盟友にも政敵にもなりえる、強い女だ。伴侶として心安らかに臥所を共にできる女ではない。


 もう一つは屋敷の奥の部屋で蝶よ、花よと大切に育てられ、美しく無垢で無知で従順なだけの深窓の令嬢たち。

 皇帝にとっては装飾品ほどの価値しかない女たちである。


 今、目の前にいる薛絳華は後者の典型のような女であった。


「薛絳華よ、そなたの入内は凶事に晒されたことを理由としてなかったものとする。ついては入内後に与えた妃としての身分は抹消する。実家まで護衛をつけて送らせよう」

「それは流刑でございますか? 蟄居でございますか?」

「どちらでもない! 巷間では薛絳華が後宮で悪女として暴虐に振る舞ったと、もっぱらの噂になっている」


 長く一緒にいた女が知らない表情(かお)をしていることが苛立たしかった。

 同じ顔立ちでありながら、ここまで様子が変わるのかと、皇帝は驚きを禁じ得ない。


「しかし、それは先般、都を襲撃した猫の妖魔がそなたに取り憑いていたからである。これは昭霊護国公主様がおっしゃられたことだ! 故にそなたと薛家の名誉は守られるものとする」

「あ、ありがとうございます。皇帝陛下の御厚恩に感謝してもしきれません!」

「実家に戻って、後は好きにするがいい」


 皇帝はそう言うと薛絳華との面会を打ち切り、玉座を立った。

 薛絳華からは見えないところまで来た時。

 柱を強く叩きつける音が響いた。


「あれは朕の愛した絳華ではない」



【姚凌霜視点】


 凌雲山の道院は、その名の通りに雲の上に届く高い山の頂にある。


「師母(スーム)、お召しとの由にて、弟子、趙謖が参上いたしました」

「来たな、括常よ」


 趙旭の甥にして金丹の修仙者である趙謖が、掌門である姚凌霜の洞府に呼び出されていた。

 崖の先端で流れる雲を見つめながら霊力を練っていた姚凌霜は振り返って、愛弟子に笑いかけた。


「そなたは妾の下で修行に励み、わずか三十年で金丹に至った。今は九品であったな?」

「はい、師母のご指導の賜物でございます。ここからさらに品格をあげるため、犬馬の労も惜しまない覚悟です」


 趙旭を相手に揉め事を起こした頃に比べて、随分と成長した弟子を姚凌霜は嬉しく思った。

 慢心や驕りが表情にでて、その美貌を損ねていたのだが、それが消えて素直に好ましい美貌が見て取れるようになった。

 あの化け猫との戦いは、趙謖の心を大きく成長させたと感じている。

 それは、今日、呼び出したことと無関係ではなかった。


「妾もまた、掌門として一派を開いているが、金丹三品に過ぎぬ。かの戦いの折、趙師叔(スース)が金丹一品の、そのまた最高峰を見せてくれた」


 姚凌霜は、魯国の都で見た趙旭の戦いぶりを思い返し、その凄まじさに心打たれていた。


「あらためて師叔の如き高みを目指し、長期の閉関に入ろうと考えている。しかし、我が父が建国した魯王朝を見守りたい気持ちも消えてはおらぬ。現に都は危機に晒されたばかりである」


 閉関とは第三者との交流を断ち、ただただ修行に打ち込む期間を設けることをいう。

 姚凌霜は魯国初代皇帝の娘であり、長く魯国を見守ってきた。妖魔や魔道の門派など、修仙者の不文律を破らない範囲で国と民に降りかかる災厄を振り払ってきた。

 そのためか、昭霊護国公主と呼ばれ、皇室からも庶民からも祀られている。


「私の閉関中、頼れる弟子に後事を託したい。そのもっとも有力な候補が、括常、そなただ」

「はっ! ありがとうございます! 師母のご期待に応えてみせます」


 掌門の閉関中の代行は大きな出世である。かけられた期待の大きさに趙謖の表情が明るくなる。


「しかし、金丹とはいえ九品に過ぎないのでは、いささか心許ない。妾の修行の前に、まずは弟子を育てなくてはな」

「喜んで励みます! 師母より、一層のご鞭撻を賜りたく存じます」


 姚凌霜は、趙謖がこのまま才能を活かして高みに登れる修仙者となるならば、修仙の道を共に昇る道侶とするのも悪くないと考える。

 かつて趙旭の美貌に焼かれた心の、小さな焦げ跡を癒やすために、よく似た面影を持つ少年を見つけてきた。

 本物の趙旭の圧倒的な美貌と才能を見せつけられて猶、美と才に劣る趙謖を物足りないと感じることはなかった。

 とっくに趙謖は趙謖であったのだ。


「さあ、行こうぞ、括常。妾たちも修仙を諦めた者の背を追いかけてばかりはおれぬ」

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