第二十四話 金華猫の鳴き声
眩い霊気の奔流が薛絳華の体を包み込み、眩しさに目を細めます。
『ンナアアアアアアアアアアアアアオオオオオォォォォ!!』
霊気の奔流の中から薛絳華の、猫の絶叫のような声が響き渡ります。
薛絳華の体から化け猫の影が見え隠れして、だんだんとはみ出している部分が増えていきます。
そして、ついには化け猫の影と薛貴妃の体が分離されました。
私は分離された薛貴妃の体を保護しようと動きます。
「ひゃあっ!?」
靡干が反応したので、私は飛び跳ねるようにして大きく距離を取りました。
直後、霊力の奔流が収まりつつある中から飛び出してきたのは、巨大な猫の爪による一撃でした。
空振りましたが、先程までよりも一段凶悪になっています。
『おのれぇ、我が本性を暴き立てるとは……だがっ!』
霊気の奔流が収まるとともに、化け猫の影は実体を伴った巨大な白猫になり、倒れている薛貴妃の体を跨ぐように着地しました。
その大きさは見上げるほどもあり、禍々しい凶相とあわせて、猫らしいかわいらしさなどありません。
明らかにそれまでの薛絳華とは違う声で、人間とは違った響きを持つ化け猫の声が響きます。
『この女の命が惜しくば、我に手を出すでない』
「……また人質ですか?」
化け猫は足元に倒れている薛貴妃の体の上に前肢を置きました。
少し力を入れられたら、たちまちに踏み潰されてしまうことでしょう。
「絳華あぁぁぁっ!!」
そこに皇帝陛下が戻ってきました。その手に握られているのは禍々しい光を帯びている宝珠です。
あれが金華猫の宝珠でしょうか?
『ハハハハハ、哀れなる皇帝よ! お前の大切な貴妃を守りたいならば、その宝珠を我に寄越すのだ!』
「おお、絳華よ! 絳華!」
「渡してはいけません! それこそ化け猫の思うつぼです! その化け猫こそ、薛貴妃に取り憑いていた妖魔です!」
『何の話だ、小娘? この妃を依代として我が来るのを求めたのは貴様らであるぞ? もっとも、貴様ら如きの木っ端道士の言うことなど我は聞きはせぬがな』
「絳華を依代に?」
この妖魔、皇帝の誤解はそのまま温存して嫌がらせをするつもりですね。
「本当に最後までずる賢いことですね」
『動くな! 貴妃の命が大切であるならばな』
「うっ……んんんっ……」
化け猫の足の下で、人間の姿に戻った薛貴妃が苦悶の声をあげます。
「ああ、絳華! 渡す! 渡すから絳華を離してくれ!」
皇帝陛下はそういうと、金華猫の宝珠を高く掲げながら、宝物庫の結界からでてきてしまいます。
宦官、女官たちが止めるのも聞きもしません。
化け猫は口を大きく開けて、宝珠を飲み込もうとしています。
しかし、震える皇帝陛下の腕はなかなか的確に宝珠を口にいれることができません。
『ええい、しっかりと転がし入れぬか!』
苛立った化け猫の意識が一瞬、私から逸れました。
「……!」
私は声もださずに一気に接近して化け猫の前肢に斬りかかります。
靡干が化け猫の脚を切り落とし、踏まれていた薛貴妃を抱きあげます。
『グミャアアアアアアアアアアアォォォォッ!!』
「皇帝陛下もこちらへ!」
「なにをするっ!?」
化け猫の悲鳴があがる中、私は薛貴妃を抱きかかえたまま皇帝陛下も突き飛ばすようにして、宝物庫の結界の中に押し込みました。
とりあえず、これで二人が犠牲になることは避けられます。
「おお、宝珠がっ……」
「えっ!?」
しかし、乱暴にやったのがよくなかったのでしょう。
私がぶつかった拍子に皇帝陛下は金華猫の宝珠を取り落としていました。
『おお、宝珠が我が手元に……前肢の恨みは存分に晴らさせてもらおうぞ!』
前肢を失った化け猫の足元に金華猫の宝珠が転がっています。
「させません!」
『遅いわッ!』
私は宝珠を取り上げようとしますが、化け猫はひょいと宝珠を飲み込んでしまいました。
途端に化け猫が澱んだ霊気の大きな奔流に飲み込まれました。
「きゃっ?!」
その澱んだ霊気に私は弾き飛ばされてしまいます。
あれは築基の修仙者が倒した妖魔から採れた宝玉で起きるような変化ではありません。
結界内にいる皇帝陛下に質問を投げかけます。
「あの宝珠は一体なんなのですか?」
「昭霊護国公主様が討ち取った金華猫の宝珠だと伝わっている。退治した証として下賜されたものだ」
「本当に? ただの金華猫の宝珠なのですか?」
金華猫とは化け猫のことです。直接の縁があるかどうかはわかりませんが、同種の妖魔の力を取り込むことで何らかの力を得ようとしていたということでしょうか?
戦う場所を考えないと宮廷や都の人々を巻き込んでしまいかねません。
澱んだ霊気はどんどん強くなっていき、廊下の装飾、窓、ついには屋根を突き破って竜巻のようになります。
「皇帝陛下は薛貴妃を連れて、宝物庫の奥へ避難してください」
私は今、もっとも近くにいる二人に避難を促します。結界の中であれば、下手に走って逃げるよりも安全でしょう。
「化け猫、あなたは薛貴妃の体を失った時点で詰んでいるのです。まともにぶつかれば、多少強くなったくらいで勝てると思わないことです」
私は宮廷から化け猫を引き離すため、ひとまず外に出ることにします。具体的な誘導先は趙旭様たちと相談です。
靡干の峰に乗り、大穴の空いた天井から御剣飛行で外に飛び出します。
『ハハハ、多少程度ではないわっ!』
「なっ!? でっかっ!!」
化け猫を覆っていた霊気の奔流の中から、巨大な猫の顔が飛び出てきます。
それは明らかに猫という枠を越えて、凶暴なクリーチャーであり、怪獣という類いのものです。
顔だけで私の背丈の数倍はあります。
『ンナアアアアアアアオオアオオオオオォォッッッッッッッ!!』
「きゃあああああっっ!!」
巨大化け猫の咆哮は衝撃波となって私に叩きつけられました!
「あっ、ぐぅ……」
霊力を体に巡らせて咄嗟に防御しますが、衝撃波の勢いと轟音に一瞬意識が飛び、御剣飛行を維持することができずに靡干から跳ね飛ばされます。
衝撃波の勢いのままに吹き飛ばされた私は、上下左右の感覚が失われて姿勢を立て直すこともできません。
(このままじゃ……地面に叩きつけられるかもしれませんね……)
ボスン
覚悟を決めかけた私の体を、硬すぎず柔らかすぎずな何かに受け止められました。
衝突の勢いは緩やかな減速によって打ち消されます。
「美桜、大丈夫か?」
「……師父?」
私を抱き留めてくれたのは、桃剣で御剣飛行している趙旭様でした。
「化け猫は妙な具合にはなったが、妖魔を切り離すことはできた。よくやってくれたな、美桜」
そう言ってくださった趙旭様の顔は心配そうな様子から、優しい笑顔に変わりました。
「美桜です」
私は少し照れ臭くて、いつもどおりにそう返しました。




