第二十三話 美桜、問答す
斬り合いの間合いで爪と刀が交錯した時、私は薛絳華の妖気の中に濃密な煞気を感じ取りました。
薛絳華には殺された人間の怨念、無念、恐怖、悲嘆、苦悶……そういった霊的残滓が渦巻いているのです。
「あなたの纏う煞気が、はっきりと人を殺して喰らったことを物語っています! 化け猫が人を喰らうのは、虎が人を喰らうのに似たり。人の世の罪ではありません」
それは、私たち、日本から呼び出された魂が妖精人に封ぜられる理由。
「だからこそ、貴妃を騙り、宮中に災いをもたらす妖魔は逐わねばなりません!」
「死人と喰らうなど……なんと悍ましいことを口にする女っ! そのような言葉自体が、この者の邪悪さの証でございます!」
死者の煞気のこびりついた亡骸は、霊山の清浄な霊気とは性質が異なりながらも、強力な霊力の源となりえるものです。
修仙者がそんなものに頼るのは魔教・邪道に堕ちることですが、獣を本性とする妖魔にとっては人間もまた獲物の一種にすぎません。
「絳華の言うとおりだ! 宮中で殺人など起きてはいない! 貴様の言が本当ならば、騒ぎの一つにもなろうというものだ! 朕はそのような浅はかな嘘には騙されぬぞ!」
皇帝陛下が薛絳華の擁護を口にします。
しかし、それは私に一つの閃きをもたらします。
「殺人事件など起こす必要もないでしょう。薛貴妃を騙った化け猫の専横で罪を被せられ、処刑された女官や宦官はどれだけいましたか?」
「そ、それは絳華に無礼を働いた者たちのっ……」
「陛下っ! お耳を貸してはなりませんっ!」
宮中からでることなく、新鮮な屍肉を手に入れる手段としての権力濫用。
罪人の亡骸が損壊したところで、気にとめる者は少なく、心ある者も声をあげづらかったのでしょう。
周囲にいる女官や宦官たちに動揺が走っています。
「魏原様をはじめとした魯の忠臣を讒言し、一族までもを誅殺していたのも……その亡骸を、屍肉を貪るためですね!」
「魏原? そうか、魏原の名を出すか」
私が出した名前に薛絳華はぎろりとにらみを利かせ、鋭い爪で襲いかかってきます。
振り上げた右腕を振り下ろして、私を引き裂こうとする一撃!
私はゆらりと柳が風に靡くように避けてみせます。
「ああ、そうだったのか。とっておきのご馳走を……紙切れにすり替えてくれたのはお前たちか!」
すれ違いざまに薛絳華が私にだけ聞こえる大きさで、怒りに満ち満ちた言葉をかけてきます。
それはもはや自白です。
趙旭様が身代わりの呪符とすり替えた魏修くん、貞衡ちゃん、魏成くん。
薛絳華はあの子たちを食べようとして、牙を立てたら身代わりの呪符だったことを逆恨みしているのですね。
「これ以上、陛下の耳を穢す妄言を口にさせぬわっ!」
次は皇帝陛下にも聞こえるように声をあげながら、左腕を横薙ぎにする一撃。
「陛下、お願いでございます! わたくしを哀れとお思いになるのでしたら、どうか金華猫の宝珠をお持ちくださいませ!」
薛絳華は悲痛な声で哀願すると、妖気が皇帝陛下に向けて忍び寄ります。
謁見の時にも見ていた皇帝陛下を操る妖術です。
「……なっ!?」
しかし、その妖気は結界の前で遮られ、薛絳華は絶句します。
いや、自分でも入れない結界に妖術だけが入れると、なぜ思ったのですか?
「……わかった、絳華よ。待っておれ、朕が……いや、俺が自ら金華猫の宝珠を取ってくる!」
「ええっ!?」
しかし、次の瞬間には私のほうが絶句することになりました。
「陛下っ! いけません! 薛貴妃の様子は明らかにおかしいです! ここは今少し様子を見た方が……」
「うるさい! 惚れた女一人守れずして、何が皇帝か!」
引き留める宦官たちを振り払って、皇帝陛下は扉を開けると宝物庫の奥に駆けていきました。
「あは、あはははは、はははははははっ!」
皇帝陛下の姿が見えなくなった後、薛絳華が笑い出しました。
「何がおかしいのです?」
「……そんなことってあるものなのねぇ」
まだ、幾人かの宦官、女官の目があるからでしょうか? はっきりとは語りません。
けれども、私の推測を語るなら、術が通じなかったのに自分に惚れた気持ちだけで動き出した皇帝陛下を嘲笑っているのでしょう。
「ところで。先程から、わたくしを斬ろうとはしていませんのね?」
「っ!」
「先程の陛下とのやり取りの最中だって斬りかかってくれば、話を邪魔することもできたでしょうに?」
薛絳華、やはり頭がまわります。私が取り憑かれている薛貴妃を傷つけないようにしていること、こんなにあっさりと看破されてしまいました。
「わたくしを殺す以上の恐ろしい陰謀を持っているのですね、左道の輩よ! ああ、なんと悍ましいことでしょう」
自分を被害者に置く会話も忘れていません。
冷静になれば、綻びもあるでしょう。
ですが、この異常事態に結界の中にいる宦官、女官たちも何が正しいのかわからないという様子です。
それならば、見知った高貴な身分の薛絳華の言葉に耳を傾けています。
「そんなことはありません。あなたを確実に逃がさないためで斬るのを躊躇っているわけではありません」
私が薛絳華を斬るつもりがないと露見すれば、そこから先は逃げるも戦うも薛絳華が主導権を握ることになります。
私はそれを取り繕うため、大きく八相に構えます。
「本当に斬れるのかしら?」
「妖怪よ、覚悟!」
私は間合いを詰めて袈裟斬りに靡干を振り下ろします!
しかし。
「ふ、ふふふ……わたくしの勝ちのようねぇ?」
薛絳華の勝ち誇ったような声を前に、私は刀を振り下ろしきれませんでした。
薛絳華は何もしていません。そう、何も。
「その身体が斬られたところで、何も惜しくもないということですか?」
「さあ、どうかしら?」
薛絳華は私の攻撃を避けようとも、受けようともしませんでした。
肉体は斬られても、中の妖魔は無事に切り抜ける自信があったということですか?
薛絳華はゆっくりと私に近づいてきて、私の耳元に囁きました。
「幼子の骸を食む愉悦が、口の中で墨の臭いと乾ききった紙の味に変えられた屈辱を晴らしてやるわ! じわじわと切り刻んで嬲り殺してやる!」
次の瞬間、私の首をめがけて爪が振るわれます!
私はさっと体を捻って、それを躱しました。
「噛みしめるまで気付きもしなかったのですか? 人を喰らうなど私はしませんけれど、化け猫のお粗末さはよくわかりますね」
「フシャアア!!」
薛絳華は胡旋舞のような激しい回転から左右の爪を次々に私に向けて振るってきます。
「靡くを持って干となす!」
激しい旋風であろうと柳は風に任せて靡くだけです!
ですが、反撃がないと確信している薛絳華は大胆な連続攻撃で、私が防ぎきれなくなるのを狙ってきます。
三つに一つは靡くだけでは足りず、靡干の刀身で爪を受け流します。
ここは根比べです!
私が薛絳華の爪に引き裂かれるか、それとも私たちの作戦が成功するのか?
「そう、私の勝利はこの斬り合いにはありません」
「なんだと?」
「終わりです」
その瞬間、後宮の天井を突き抜けて霊気の奔流が薛絳華めがけて降り注ぎました!
趙旭様の逐邪離身の術が完成し、炸裂したのです。




