第二十一話 香嚢
「やりましたか!?」
逐邪離身の術をまともに喰らった薛絳華は、その場でうずくまっています。
成功していれば、取り憑いた妖魔だけがその肉体から追い出されて、犠牲者であった薛貴妃だけが宮中に残ります。
周囲に目を配り、追い出されたはずの妖魔の姿を探します。
「……仕損じたか」
「っ?!」
趙旭様の言葉が耳に届いた刹那、私の身体に何かが巻き付いてきました。
両腕を胴体ごと縛り付けられ、同時に身中に巡らせていた霊力がかき乱されて、修仙者としての力を発揮することができません!
「宮中での妖術使用の罪にて捕縛する! 大人しくせよ!」
「捆仙縄……っ」
私を縛り付けているのは捆仙縄と呼ばれるポピュラーな霊具で、それを使ったのは宮中の衛士たちです。
見れば趙旭様も泰然とした様子で、捆仙縄に捕まっています。
隠密に術を発動させる手はずは三歩のズレによって破綻し、趙旭様は公然と術を使わざるをえなくなりました。
その結果、衛士たちが私たちを拘束して、包囲しているのです。
「この魯国は皇祖帝君と昭霊護国公主様による守護の元にある! 怪しい妖術使いにも、このように対処できるのだ!」
誇らしげに語りつつ、私たちに槍の穂先を突きつけてくる衛士たち。
「ふふふ、この捆仙縄を下賜した昭霊護国公主様とは味方である姚師姐のこと。解除方法は事前に聞いて……って、あれ? んん?」
姚凌霜様から事前に捆仙縄が宮中の警備で使われていることは聞いていました。捆仙縄に捕まった時の解除方法は、捆仙縄そのものの霊力波長に自分の霊力をあわせることです。
「……波長が聞いていたのと違う? いえ、何かに邪魔されている感じ……?」
扉を解錠したのにつっかえ棒があるかのような、余計な妖力がノイズを作っている感じです。
これは、あの妖魔の仕業ですか?
討伐にくる者がいるとすれば、姚凌霜様に縁のある修仙者と読んでおり、捆仙縄をそのままにせずに細工を仕掛けていたのでしょう。敵ながら見事な推測と対策です。
おかげで、今、私たち、とてもピンチです。
「……陛下ぁ、わたくし、その者たちに呪いをかけられましたわ! すぐに極刑に処してくださいましっ!」
やがて、術を受けてうずくまっていた薛絳華が顔をあげます。
細くなった瞳孔、口元にのぞく牙、髪の間から見え隠れする猫耳。
その姿は……猫耳美少女!
半端に正体が顕わになって、猫の妖魔としての異形と人間の姿が入り交じった状態になったのでしょう。
「おお、おおっ! 絳華や、美しいそなたに汚らわしい呪いの獣の耳が生えるなど……なんと恐ろしいことだ。障りはないか? 朕はどうすればよい?」
「……ぐっ……。……お願いいたします、呪いの元を絶ってくださいませ」
そんな自身の異形を「呪いを受けた」と意味を読み替えて、皇帝陛下や周囲の人間にアピールをする。妖魔も狡猾に知恵を巡らせています。
しかし、皇帝陛下の「汚らわしい獣」という発言には不機嫌を見せています。妖魔として自分の真の姿を貶されたことに苛立ちを覚えているのでしょう。
「何をしておる! 早う、そやつらを討ち取らぬか!」
「しかし、洛黄門侍郎。捕まえて背後関係を吐かせねば……」
「貴妃様のご命令じゃ!」
洛侍郎は自分が連れ込んだ道士の不祥事が、自分に累を及ぼすのを怖れたのか、皇帝陛下が命じるよりも先に私たちの殺害を声高に主張します。
衛士たちはその性急さに戸惑いますが、洛侍郎は重ねて声を張り上げます。
衛士たちの槍の穂先の包囲網が迫ってきます。
霊力さえあれば、何の脅威にもならない普通の刃物が、今はとても恐ろしいです。
「……霊力を封じられて縛られたまま、相手は武装した兵士ですか。ちょっと荷が重いですね」
捆仙縄を解除できないものかと先程から試みていますが、うまくいきません。
救いがあるとすれば、趙旭様がまだ泰然とした様子で立っていることです。
何か、何か、打開策があるのですよね、趙旭様っ!
「すまぬな、美桜」
こちらに振り向いた趙旭様が、諦めたような笑みを浮かべて私に謝罪しました。
まさか、趙旭様をもってしても手詰まりなんですかっ!?
ここでおしまいですかっ!?
「美桜ですからぁっ!」
「殺れぇ!!」
洛侍郎の声で衛士たちの槍が突き出されます。
私は思わず目をつぶります。
次の瞬間、私は不意に抱き上げられたような浮遊感を覚えます。
「人界の法も不文律も破ること無く終えるはずが、失敗してしまった。そなたの尽力もあったというのにな」
「ふぇ……?」
私が目を開けると趙旭様の腕の中にいて、宮中の上空にいました。
串刺しにされる直前に助けられ、抱き上げられたまま御剣飛行で空中に退避した……でいいのでしょうか。
見下ろせば、槍を突き出した衛士たちが私たちを見上げ、趙旭様を拘束していた捆仙縄は石畳の上に落ちています。
「あの……さっきの謝罪って……そんなことですか?」
「他に何がある?」
「紛らわしいのにも程がありますっ! その……てっきり捆仙縄で手も足もでなくて、守り切れなかったことへの謝罪とばかり……」
最期を覚悟していた緊張から解き放たれて、私は趙旭様に抱きかかえられたまま力が抜けてしまいます。
ああ、とっさに口をついて出た言葉がアレだったのは、ちょっと気恥ずかしくなってきます。
「それに関しては貞衡に助けられた」
趙旭様は懐から香嚢を取り出しました。貞衡ちゃんが渡していたものです。
「中身の小蘭草に霊力を蓄えていたおかげで、捆仙縄は手早く解除できた。こうして桃剣を呼び寄せる時間も得られるほどにはな」
趙旭様は私の捆仙縄を外側から解除してくれます。霊力が身体を巡り出します。
「さて、我らは魯室を狙ったお尋ね者になってしまったが、妖魔退治の後始末だけはつけなくてはな」
隠密に事を運ぶ算段はすでに崩れ去っています。
ここから薛絳華に取り憑いた妖魔退治となれば、薛貴妃という身分を持つ存在に対する襲撃になります。
「ついてきてくれるか? 美桜」
「美桜です。もちろんお供します、師父」
趙旭様の問いかけに、私は力強く答えました。




