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挫折した天才道士は俗世の加減がわからない ~趙旭傳 江湖逍遥録~  作者: 恋思川幹


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第二十話 三歩

「苦しゅうない! 面(おもて)をあげよ!」


 遠くから大きな声で命じられます。

 言われるままに顔をあげ、後宮の舞台を見上げると、絢爛豪華な装束に身を包んだ男女とそれを取り囲む家来たちが居並びます。

 声をあげたのは、隣に立っている宦官でしょう。


「洛黄門侍郎よ。此度、皇帝陛下、貴妃殿下への霊薬を献上するとの由、まことに大義である! 近うよれ、直答を許す」

「ははっ!」


 宦官が再び形式張った声をあげ、洛侍郎がそれに応じて舞台近くに寄っていく中、私は舞台上の薛絳華を眺めます。

 絵に描いたような中華ファンタジー悪女、いえ悪役令嬢です。この世界の人間は二次元デザインなので、本当に文字通りにそういう印象になります。

 気高く美しい女性が、しかして、どことなく下品な印象を帯びています。

 妖魔が取り憑いている影響なのでしょう。

 皇帝陛下のほうは立派な髭を蓄えた威厳はそこそこのおじさんです。頬がこけて目元に深い隈が浮いているのが見て取れるのに、機嫌のよさそうな笑みを浮かべているのがかえって不健康そうに見えます。


「先般、献上いたしました霊妙清心潤顔明肌丹を殊の外、薛貴妃様がお気に召したとの由にて、この度は丹薬を作りし道士を伴って参じました。この場で調合された霊薬ともなれば、ますます貴妃様の美貌に磨きがかかりましょう」


 洛侍郎が嬉しそうに手柄を吹聴しています。声を張っているわけではありませんが、修仙者である私たちには容易に聞き取れる距離です。


「うむ。絳華よりよきものであると聞き及んでおる。近頃の絳華の肌は、前にも増して吸いつくようになめらかになったのは、その霊薬の効用であろうな」


 皇帝陛下は洛侍郎に答えます。内容は下ネタですが、遠くから見ていると威厳を保ったまま談笑しているように見えます。

 やんごとなきお方は仰ぎ見られることに慣れておられるのだと感じます。私も修行で聴覚が鋭敏になっていなければ、まさかしょうもない会話をしているとは思わなかったでしょう。


「ねえ、陛下! 待ちきれませんの! おしゃべりはそれくらいにして、霊薬を作らせてくださいまし!」


 薛絳華は焦れたように皇帝陛下にせがんでいる様子が子供のようです。

 新鮮な霊力の供給が欲しくてたまらないのでしょうが、遠目にも少しばかり品がありません。

 けれども、見方を変えれば天真爛漫といった様子にも見えて、術数権謀蔓延る後宮にあっては一服の清涼剤のような存在であるのかもしれません。

 そんな薛絳華がしなだれかかると、皇帝陛下の瞳から光が消えて、虚ろになります。


「洛侍郎ヨ。御託はもうよイ。ただちに絳華のために霊薬を作らせヨ」

「陛下、かしこまりましてございます」


 妖気を隠そうともせず、皇帝陛下の精神に働きかけているようです。

 少し不自然な様子になった皇帝陛下が洛侍郎に命じました。

 これほどあからさまであったからこそ、姚凌霜様はいち早く、薛絳華に取り憑いた妖魔の存在を察知していたのでしょう。

 修仙は人間界の政治には立ち入らない。

 その不文律を理解したうえで悪用している悪辣さでもあります。


「霊薬作りを披露せよ!」


 そして、洛侍郎から私たちに声がかかりました。


「「ははっ!」」

「始めるぞ、美桜(ビオウ)」

「美桜(みお)です。はい、師父(スーフ)」


 命じられたので平伏してから、趙旭様と一緒に霊薬作りに取り掛かります。

 小さな八卦炉に炭をいれて火をおこし、霊草を刻んで乳鉢で汁を搾り、霊石を薬研で粉にしていきます。


「釜中の水泡を数え、湯加減を知らせよ」

「はい」


 八卦炉に乗せた釜に霊水を入れて沸かし、棹秤で分量を量った素材を適切なタイミングで投入します。

 それぞれ一つ一つに、かなりの霊力を宿した素材です。

 あくまで素材の力であるかのように見せる調合になっていて、趙旭様や私の霊力は注ぎません。

 それでも匂い立つような霊気が沸き上がっているのを捉えることができます。

 私が霊山で苦労して材料をそろえた甲斐があるというものです!


「丸薬にいたしますものは、ここで長期保存用の練物を投じます。しかし、保存用の練物には霊力がほとんどありませんので効力が薄くなるのです」


 釜の中を匙で掻き回しながら、趙旭様は霊薬の解説をしています。

 その言葉は何人かの宦官、女官を通じて皇帝陛下や薛貴妃に届けられます。

 彼らは興味深そうにこちらを眺めています。


「本日は丸薬にはいたさず、濃い霊力をそのまま取り込めるよう、薬湯といたしました」


 趙旭様が最後に仕上げをして出来上がりです。私は例の茶碗を取り出して、趙旭様に差し出しました。

 趙旭様は片手に茶碗を受け取ると、柄杓を手に取り、薬湯を茶碗に注ぎ込みます。

 さあ、ここからが本番です。


「五十歩までの接近を許す! 薬湯を献上せよ!」

「ははっ!」


 趙旭様は茶碗を捧げ持ち、皇帝陛下のもとへ静々と進み始めます。

 足元は長い裾に隠れて見えづらくしています。その中で妖魔である薛絳華に気取られない、極限まで分解した禹歩を踏んでいるはずです。

 一歩、二歩、三歩……。

 趙旭様が禹歩を踏む度に霊力が高まっていきます。


 茶碗を受け取る役であろう女官が階段を降りて、五十歩の位置までやってきます。

 女官に茶碗を受け取るまでに、高まった霊力は三昧真火になって、茶溜まりを覆う真金を溶かすはずです。

 茶碗の底で露出した符印は不可視の霊力波を作り出し、薛絳華の体から妖魔だけを叩き出します。

 そうなれば、妖魔はもはや宮中とは縁もゆかりもない存在となり、大手を振って討ち取ることができます。


「ああ、とてもいい匂いがして待ちきれないわっ!」


 その時、薛絳華が身を乗り出してきました。

 貴人が座すべき場所を離れ、欄干から身を乗り出してきます。


「これ、絳華。仕方のないやつだ。愛いのう」


 皇帝陛下はそんな薛絳華を窘めつつも愛おしいという様子です。

 そんなやりとりに気付いた受け取りの女官は、三歩、趙旭様に近づきました。

 薛絳華が動いたので、その分だけ五十歩の距離を保とうと修正したのでしょう。


 趙旭様が女官の手前で立ち止まります。

 まだ、四十六歩。

 女官に茶碗を手渡すのに、一歩で届いて四十七歩。


「…………っ」


 私は緊張で息をのみます。


 あと三歩。

 そのまま歩けば女官を通り越してしまいます。

 そのまま茶碗を渡せば符印を解放することができません。


「道士殿、どうなされた?」


 女官は立ち止まった趙旭様の様子に怪訝そうな顔を向けます。


「……ふぅ、妖魔の浅慮を見誤っていた。不文律は守れぬか」


 趙旭様は天を仰ぎました。

 不審を覚えた衛士たちの緊張が高まるよりも早く。


 タッ! タッ! タッ! ダンッ!


 趙旭様が隠すことなく、素早く正確に四歩の禹歩を踏みました。

 茶碗の中で三昧真火が発生し、真金の覆いが溶けていきます。


「邪を逐(お)い、身より離れよ! 急急如律令!」


 茶碗から眩い霊気の奔流が噴き出しました!

 露出した符印から放たれた逐邪離身の術です!


「曲者っ……!」


 そこでようやく趙旭様の正体に気付いた薛絳華は貴妃として声をあげます。

 けれども、次の瞬間には霊気の奔流に飲み込まれていきました。


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