第十九話 趙旭、参内す
七年男女不同席
DNA鑑定などない時代に、男系で「家」という制度を作った結果が、男女の物理的な隔離に結実するのでしょう。
世界的に女系は流行っていないので、少なくとも前近代までの社会では、なんらかの合理性があったのかもしれません。
それが個々人の人生を豊かにしたかは別にして。
私たちが向かう後宮という場所は、男女不同席、「男女席を同じくせず」の極地とでもいうべき場所です。
立ち入れる男子は皇帝とその幼い血縁、それに男性器を切り落とした宦官だけです。
「よくぞ、いらした。趙道長。今日の献上の準備は整っているかな?」
洛侍郎と合流したのは、宮廷内の一室でした。
洛侍郎の関係者ということで、宮廷の城門は身体検査もなく、あっさり通過できました。
しかし、この洛侍郎の前で私たちは身体検査をされます。
自分の手の者でない警備体制へは権力で無理を押し通す傲慢さ、しかし、私たちが不祥事を起こさないように警戒もする狡猾さ。
佞臣という評判ですが、重ねて油断ならない奸臣でもあると感じます。
「毒、凶器、符印、いずれもなし。怪しいところはないようだが……」
洛侍郎に連れてこられた医官や文官が私たちの持ち込んだ仙薬の調合具一式を確認しています。
「どうしても、この茶碗でなければダメかね?」
とりわけ、皇帝陛下の寵姫たる薛絳華が口をつけることになる茶碗は念入りに調べられました。
医官は茶碗を何度も拭い、拭った布に毒の付着がないかを調べます。文官は茶碗の一部に何らかの符印が描かれていないかを虫眼鏡で入念に調べています。
宮廷の医官は外から持ち込まれた薬や食器を使うことに難色を示しているからです。
「他の器では、私の使う炎術の熱に耐えられない。そうなれば、薬の効果は薄くなるな」
「洛侍郎様から薛貴妃様に献上される霊薬です。洛侍郎様がお許しくださるなら、私たちはそれでも構いませんが?」
趙旭様は事実をそのまま口にし、私はそこに医官にとって圧になりそうな言葉を添えます。
医官は洛侍郎に視線を送ります。
すると、洛侍郎は首を縦に振りました。
「……やむをえまい。使ってかまわんぞ」
医官は渋い顔をしていましたが、洛侍郎の圧力を退けられなかったようです。
何かあれば、責任だけ押し付けられる辛そうな立場です。
しかし、医官の保身か、慎重さか、その茶碗はビンゴです。
それこそが妖魔退治のキーアイテムなのですから。
医官が茶碗を調べている様子を見ながら、私はそこに仕込んだ仕掛けのことを思い返します。
皇祖帝宮の居室で趙旭様と私は作戦を練りました。
「貞衡ちゃんが言っていた、符や術具も持ち込みを見張られている件。どういたしましょう?」
「それだが、融点の差を使おうと考えている」
「融点?」
知らない言葉ではありません。
固体が液体に変わる温度のことです。前世の理科で学びました。
しかし、なぜここで趙旭様が口にしたのかがわかりません。
「そなたのような妖精人の持ち込んだ知識体系は、修仙の技と応用力を高めている。今回もそうだ」
「郷里が褒められるのは嬉しいですが、具体的にはどうされるのです?」
「茶碗の底、茶溜まりに符印を刻み込む。それを融点の低い真金で覆って隠す」
「真金で符印を隠すのですか?」
「ああ。符印は、固体に覆われている間は霊力を外へ放つことができぬ。真金を溶かし、符印を覆う固体の覆いがなくなれば、その時点で逐邪離身の術が発動する」
趙旭様は茶碗と、そこに融かして流し込むために用意したと思われる金属の塊を取り出します。
どちらも修仙の世界では貴重な素材から作られたものです。
修行の中で様々な素材を集めてきた趙旭様はこういうものをさらっと出せます。
「色を合わせれば偽装できそうですね。しかし、真金をどうやって溶かすのですか?」
「妖魔、薛貴妃までの接近が許される距離は五十歩手前まで。調合を行う場所は百歩手前」
大まかに調合場所が60mから70m、受け渡しがその半分ですね。
五十歩まで近づいたら、女官に渡します。
「その差、五十歩で禹歩を踏み、私の三昧真火で茶碗を加熱する。この茶碗は熱に耐え、真金の偽装は溶けて符印が発動できる」
「禹歩を踏んでいたら、妖魔に気取られませんか?」
「禹歩を解いて、気取られぬ最小限の動きに変える。五十歩もあればそれができる」
先人の組みあげた禹歩を自分で組みあげ直す。
術理に深く通じていなければできないことです。
「それならば、気取られませんね」
ですが、趙旭様ができるというなら、きっとできるのでしょう。
この方は本当に天才ですから。
これが取り憑いている妖魔を、常人に見せることなく薛絳華の肉体から追い出す秘策です。
「趙道長、こちらだ。細かい作法は貴妃様から免じていただいている。とにかく頭を低くせよ、それで足りる」
洛侍郎はそう注意をすると、私たちを後宮と外廷の境界にある階の広場へと案内します。
「そなたらの霊妙清心潤顔明肌丹な」
道すがら、洛侍郎が語りだしました。
「薛貴妃様はいたくお気に召された。そなたの作る御前調合の霊薬が、さらなる貴妃様のご愛用となるならば、相応の地位を約束しよう」
洛侍郎の言葉は、褒美を与えるというよりは囲い込みです。
その相応の地位と役職で宮中に留まって、薛貴妃のご機嫌を取り続けろということなのでしょう。
「ありがたきお言葉、感謝いたします。そうなるよう調合には全霊の心配りをいたします」
趙旭様が拱手して頭を下げたので私も倣います。
洛侍郎の言葉に調子をあわせており、洛侍郎は満足気です。
趙旭様を官位役職で操れるとみて、安心したようです。
妖魔退治が終われば、桃剣観に帰りますけれどね。
やがて、後宮と外廷の境界線にある石畳の広場に辿り着きました。
外廷側からは後宮の女官たちが立つ舞台のようで、後宮側からは外廷の広場を見下ろす観客席のような、そんな場所です。
二つの場をつなぐのは幅が広いとはいえない階段くらいで、貴人が行き来しない接点だとわかります。
「支度を調えて、皇帝陛下、薛貴妃様の御来臨を待つのだ」
洛侍郎の指示に従い、私たちは石畳の上に炉を組み立てます。
薬匣、薬包、瓶などにいれた素材を並べ、薬研や薬匙など道具を準備していきます。
炉に炭をくべて、火種で火を起こしていると、洛侍郎が「平伏せよ」と短く言って平伏しました。
「皇帝陛下の御成り!」
洛侍郎の言葉から程なく、静鞭が一つ鳴らされ、皇帝陛下の御来臨が告げられます。
趙旭様も私も頭を広場の石畳につけて平伏します。
後宮の舞台の上に人の気配がやってきて、同時に妖魔の妖気がより強く感じられました。
真夏に冷房の効いた店から外に出た時の熱気のように、直に妖気が吹き付けてきます。
これが薛絳華に取り憑いた妖魔の妖力なのでしょう。
「美桜、平常心だ」
「はい」
趙旭様が私に小さく囁きました。相手に気取られないよう、反応を見せるなということです。
吹き付ける妖気は強力で、決して侮れない相手であることは明白です。
しかし、同時に妖気を隠そうともしないところに傲慢と未熟も感じられますね。
私たちが薛絳華に気取られないように霊力を抑え込んでいるのとは正反対です。霊力や妖力は垂れ流すよりも、静かに抑え込むことにこそ鍛錬の成果が現れます。
強いことは強い。しかし、鍛錬の十分でない相手は妖力に比して恐ろしくはありません。
趙旭様と私、それに薛貴妃の体から妖魔を追い出した後なら、上空で待機している姚凌霜師姉や謖たち凌雲山の修仙者たちも加勢してくれます。
これは負ける心配はありません!
新展開、後宮編の開始です!
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