↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
84/87

#84 東へ

出発は、3日後の朝になった。


ハイデルンまでは、馬車で4日。


同行は、アーリアと、エステルと、リーゼ。


アーリアは、母に会うため。エステルは、治療のため。リーゼは、護衛だ。


「わたしは、なんで毎回、護衛なんだ」


「リーゼさんが、いちばん強いからです」


「……」


リーゼは、何も言わずに、荷馬車に鞍を積んだ。耳が、少し赤かった。


——獣は、誰を連れていくか、1体ずつ聞いて決めた。


まず、幻獣たち。


僕と、いっしょに力を使ってくれる子たちだ。何が起きているのか分からない場所へ行くなら、この子たちがいてくれると心強い。


スズリとスミ。フデとハネ。アサとバン。コナ。ソラ。クルミ。


ブンとチンは、聞く前から、もう外套のフードの中にいた。


トメだけは、残ることになった。書庫の羊毛の箱で、留守番をしてくれる。『ここ』と言って、箱の中で丸くなったきり、動かなかった。じっと、とどまるのが得意な子なのだ。


それから、ギン。アズキ。ススキ。フク。


ツグミも、連れていくことにした。何かあったとき、王都へ知らせを運んでくれる子がいると心強い。


そして、モチ。


モチには、聞いてみた。


『モチ。とおい。いく?』


『……いく……』


返事は、いつもどおり、遅かった。


でも、迷いはなかった。


残りの子たちは、トトとドーラに預けた。


ナギの飛行訓練は、トトが続けてくれることになった。ハネもバンもいないけれど、ナギは、もう、中庭から怖がらずに飛び立てるようになっている。


「堀に落ちたら、おれが泳ぐ!」


トトは、胸を張った。


それから、腰に、空の樽を縄でくくりつけた。


浮き輪の代わりらしい。


4日目に飛び込んで、リーゼに引き上げられたのを、まだ覚えているのだ。


——出発の朝。


中庭に、馬車が2台と、荷馬車が1台、並んだ。


王が、見送りに来ていた。


王は、アーリアに、包みを1つ渡した。


「エレオノーラに、渡してくれ」


「はい、父上」


包みの中身は、聞かなかった。


王は、それから、僕の手を、両手で握った。


大きな手だった。指輪が、ごつごつしていた。


「綿貫殿。頼む」


「はい」


それだけだった。


——旅は、のんびりしていた。


東への街道は、なだらかな丘の間を、ゆっくり登っていく。


麦の刈り入れが終わった畑。羊のいる牧草地。ところどころに、小さな村。


9月の空は、高かった。


毎朝、出発の合図は、ソラが出した。


宿場の中庭で、皆が馬車に乗り込むころ、ソラが、宿の屋根の上から、ふわりと滑空してくる。


そして、僕の頭に、着地する。


ぽすん、と。


『たかい!』


それが、出発の合図になった。


1日目の朝は、たまたまだった。2日目の朝は、御者が「あの、頭の上のが乗ったら出るんですか」と聞いた。3日目の朝には、御者は、ソラが降りてくるのを待っていた。


——モチは、荷馬車の後ろを、歩いてついてきた。


北へ向かったときは、荷馬車の荷台に乗せてもらって、出発して5分で寝ていた。


でも、今回は視察ではなく、王女の旅だ。王妃様のお見舞いにいくため、派手な出発とはいかないが、クルミに収納してもらって、身軽過ぎるのも良くない。荷馬車は1台きりでも、王妃様への荷物と、皆の荷物が、山のように積んである。400kgの白い熊が寝転がれる隙間は、どこにもなかった。


だから、歩く。


荷馬車の後ろを、のそのそと。


1日目の昼過ぎ、僕は、気づいた。


モチの目が、閉じていた。


歩いている。


ちゃんと、荷馬車の後ろについて、歩いている。


なのに、目が閉じている。


10歩に1回くらい、すう、と、寝息みたいな息が聞こえる。


「……モチ、寝てる?」


『……ねて……ない……』


いや、寝ていた。


前を行く荷馬車の、車輪の音と、馬の匂いを頼りに、ついてきているらしい。


熊は、鼻がいい。犬より、いいくらいだ。目を閉じていても、荷馬車の匂いさえ追えれば、まっすぐ歩ける。


——そのとき、前の馬車から、笑い声が聞こえた。


声を出して、笑っていた。


アーリアだった。


馬車の窓から、身を乗り出して、後ろのモチを見ていた。


モチが、目を閉じたまま、道端の石に、こつんとつまずいて、それでも目を開けずに、また歩き出したところだった。


アーリアは、口元を手で押さえていた。


でも、押さえきれずに、笑っていた。


肩を、震わせて。


——アーリアが、声を出して笑うのを、僕は、初めて聞いた。


いつもは、口元だけで、綺麗に笑う人だ。


こんなふうに、肩を震わせて笑うのは、初めて見た。


アーリアは、僕が見ているのに気づいて、慌てて窓から顔を引っ込めた。


——その夜、宿場の食堂で、アーリアが、母の話を、少しだけした。


「母は、父をからかうのが好きなのです」


「からかう?」


「はい。父が大きな声で何か言うと、母は、静かに、ひと言だけ返すのです。それで、父は、あたふたして何も言えなくなってしまって」


アーリアは、少し笑った。


「……わたくしは、子どものころ、それを見るのが、好きでした」


それから、窓の外を見た。


東の空に、月が出ていた。


アーリアは、それ以上、話さなかった。


僕も、聞かなかった。


——3日目の昼。


街道の脇で、ラバが座り込んでいた。


荷を山ほど積んだ、茶色のラバだった。


持ち主の男が、手綱を引っぱって、困り果てていた。


「おい、立て。立ってくれ。今日じゅうに峠を越えねえと」


ラバは、立たなかった。


脚を折りたたんで、街道の土の上に、どっかりと座ったまま。


耳を、後ろに倒していた。


僕は、馬車を止めてもらって、降りた。


「あの、少しだけ、いいですか」


男は、怪訝な顔をした。


僕は、ラバの前に、ゆっくりしゃがんだ。


目を合わせないように、少しだけ横を向いて。


契約していない子の声は、鼻先が触れるほど近くまで寄らないと、届かない。


ラバが、首を、少しだけ伸ばした。


僕の顔の前に、ラバの鼻先が来た。


触れては、いない。


触れるか、触れないかの、ところ。


息が、僕の頬に、温かく当たった。


——声が、届いた。


『おもい』


『ひだり』


——重い。左。


僕は、立ち上がって、ラバの背中の荷を見た。


麻袋が、左右に振り分けて積んであった。


一見、釣り合っているように見えた。


でも、よく見ると、左の袋のほうが、少しだけ、低い位置に垂れていた。


中身が、偏っているのだ。


「左の袋、何が入ってますか」


「……鉄の、蹄鉄だが」


「右は」


「羊毛だ」


——左は鉄。右は羊毛。


袋の大きさは同じでも、重さは、ぜんぜん違う。


「左の肩が、痛いんだと思います。重さが、左にばかりかかってて」


男は、目を丸くした。


それから、何も言わずに、荷を下ろし始めた。


僕と、リーゼと、男の3人で、荷を積み直した。


蹄鉄を、左右に半分ずつ分けて。羊毛を、その上に。


最後に、男が、ラバの左の肩を、手のひらで、ゆっくりさすった。


ラバが、立ち上がった。


ぶるっと、体を震わせた。


それから、男の胸に、鼻先を、ぐいぐいとこすりつけた。


「……悪かったな。気づかなくて」


男は、ラバの首を抱いて、言った。


それから、僕を見た。


「あんた、何者だ」


「テイマーです」


男は、首を傾げた。


テイマーが何をする人なのか、この国の人は、だいたい、知らない。


——4日目の夕方。


街道が、深い森に入った。


背の高い木が、両側から覆いかぶさって、空が細くなった。


森の匂いが、した。


湿った土と、苔と、落ち葉の匂い。王都の匂いとも、北の雪原の匂いとも、違う。


ギンが、鼻を高く上げて、匂いを嗅いでいた。


アズキが、馬車の横を、尻尾を振りながら、行ったり来たりしていた。


森が、少しだけ、開けた。


その向こうに、館が見えた。


灰色の石の、大きな館だった。


いちばん端に、古い、細い塔が、1本、空に向かって立っていた。


塔の窓に、夕日が当たって、赤く光っていた。


「……あれが、ハイデルンの館です」


アーリアが、馬車の窓から外を見て、言った。


声が、少しだけ、震えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。