↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
81/87

#81 踏ん切り

夜、獣舎の屋根に登った。


王宮の東の外れ。去年の冬にも、この夏にも、ギンと並んで座った場所だ。


今夜は、積み藁から、ゆっくり登った。


ギンは、もう、降りるときの跳び方を覚えている。積み藁のほうへ、ちゃんと1歩ずつ下がれる。だから、今夜は、先に屋根の上にいた。


どすん、と僕の隣に、座り直した。


屋根の板が、みしりと鳴った。


9月の夜は、もう、少しだけ涼しい。


ギンの体に寄りかかると、毛の表面が、夜気で冷えていた。その奥に、指を差し込む。手首まで沈む。そこは、いつも、少しひんやりしていて、気持ちがいい。


——海の向こうへ行くと決めてから、ずっと、考えていたことがある。


宝物庫の、花束のことだ。


7月に、帰らないと決めた。


なのに、8月の終わりに、また見に行った。


見て、枯れていなくて、ほっとした。


ほっとして、それが、後ろめたかった。


——帰らないと決めたのに、花束を見に行ってしまう。


それは、たぶん、片足だけ、向こうに残しているのと同じだ。


体はこっちにあって、片足だけ、まだ、あの交差点に置いてある。


その足を、どうにかしないと、海の向こうへは、行けない気がした。


「……ギン」


ギンが、耳だけ、こっちに向けた。


「ここで、踏ん切りをつけないと、だめだよね」


『……』


踏ん切り、は、通じなかった。


当たり前だ。僕だって、うまく説明できない。


僕は、ギンの首に、顔を埋めた。


銀白の毛は、干し草と、雪の匂いがした。夏でも、この子からは、雪の匂いがする。


「宝物庫には、もう、行かない」


声に出して、言ってみた。


言ってみたら、思ったより、ちゃんと声になった。


「花束のことは、ヴィルマさんに見てもらう。それで、教えてもらう」


ギンの尻尾が、屋根の板を、1回だけ、とんと叩いた。


——翌日、書庫へ行って、ヴィルマに頼んだ。


花束のことは、これから、ヴィルマに見てもらいたい。僕は、もう、宝物庫へは行かない。


その代わり、最後に、もう1度だけ、見に行かせてほしい。


ヴィルマは、羽根ペンを置いて、僕の顔を、しばらく見ていた。


「承知しました」


それだけだった。


理由は、聞かれなかった。


——宝物庫を開けるには、王族の立ち会いがいる。


王が、鍵の束を持って来てくれた。


王は、何も聞かなかった。僕の顔を見て、それから、何か言いかけて、口を閉じた。


廊下の先に、扉が3枚ある。


1枚ずつ、開けて。


いちばん奥の、腰ほどの高さの台の上に。


白い花束があった。


トルコキキョウと、名前を知らない小さいのが何種類か。ラッピングのビニールと、花屋のシール。


ヴィルマが、花びらを数えた。


「214枚。変化なし」


——1枚も、枯れていなかった。


僕は、台の前に、膝で立った。


花束の高さに、目を合わせて。


——あの日を思い出して。


あの交差点の、横断歩道の手前の、ガードレール。


そこに白い花を置こうとして、しゃがんだ、あの日。


アスファルトの、昼間の熱がまだ残っていた。


ほんの一瞬だけ、それが、膝に戻ってきた。


——それから、消えた。


ここは、宝物庫の、石の床だった。


ひんやりしていた。


僕は、花束を見た。


心の中で、話しかけた。


母さんと、陽菜に。


———突然いなくなって、ごめんなさい。帰らないと決めて、ごめんなさい。


僕は、大好きなもふもふたちに囲まれて、忙しくも幸せな日々を送っています。


楽しい毎日を手紙に書いて、送れればいいんだけど。


僕のまわりは、超優秀チートなもふもふたちでいっぱいだから、連絡手段を探すことは、諦めていません。


母さんと陽菜の幸せを、遠くから祈ってます。———


——言い終えて、しばらく、そのままでいた。


花束は、何も言わなかった。


当たり前だ。


花は、獣じゃない。念話は、届かない。


白い花びらが、宝物庫の窓のない暗がりの中で、手燭の灯りを、ほんのりと映していた。


214枚。


1枚も、欠けずに。


——立ち上がった。


膝が、少し鳴った。


「ありがとうございました」


ヴィルマと、王に、頭を下げた。


それから、扉のほうへ、歩いた。


1枚目の扉を、出た。


2枚目の扉を、出た。


3枚目の扉を、出た。


振り返らなかった。


振り返ったら、たぶん、また、足を止めてしまうから。


後ろで、王が、鍵をかける音がした。


かちり、と最後の鍵が鳴った。


——廊下に、ギンがいた。


宝物庫の扉の前の、廊下の真ん中に、きちんと前肢を揃えて、座っていた。


ギンの頭の上に、白い小さなものが乗っていた。


スズリだった。


僕が、宝物庫に入っているあいだ、ずっと、2匹で、ここで待っていたらしい。


スズリが、ギンの頭から、ひょいと跳んで、僕の肩に移ってきた。


それから、動かなくなった。


肩の上で、宝物庫の扉のほうを向いて、じっとしていた。


「スズリ? 行くよ」


『……』


「帰ろう」


スズリは、動かなかった。


扉を、見ていた。


扉の、ずっと奥を。


——スズリの目は、壁の向こうを見る。


《千里眼》。遠くを見る。壁の向こうを見る。


『スズリ。なに、みえる?』


スズリが、小さな鼻を、ひくひくさせた。


『はな』


『みえる』


——花。


見える。


3枚の扉の向こうの、いちばん奥の台の上の、白い花束が。


ここからでも。


書庫からでも。


たぶん、王都のどこからでも。


この子は、壁の向こうを見られるのだ。


僕が、宝物庫に行かなくなっても。


この子が、代わりに、見ていてくれる。


——そう言っているのだと、分かった。


僕は、肩の上のスズリを、手のひらで包んだ。


真っ白な夏毛の奥に、小さな心臓が、とくとくと速く打っていた。


『スズリ、ありがとう』


送った。


スズリが、僕の手のひらの中で、首を傾げた。


それから、はっきり、返してきた。


『ありがとう』


——言葉が、行って、帰ってきた。


ルーセの朝に、初めてこの子が返してくれた言葉。


あの日から、この子は、ちゃんと、この言葉を知っている。


僕は、笑った。


笑ったら、少しだけ、目の奥が熱くなった。


ギンが、立ち上がって、僕の腰に、鼻先を押しつけてきた。


ぐいぐいと。


廊下の先へ。宝物庫と、反対のほうへ。


「……うん。行こう」


ギンに押されて、歩いた。


振り返らなかった。


肩の上で、スズリだけが、ずっと後ろを向いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。