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#62 南から、船乗りの王子様

6月。


南の海洋王国マリネアから、客が来た。


第二王子、リオ・マリネア。


王宮の正門に着いた一行を見て、門番が、首を傾げた。


王子の一行というのは、普通、立派な馬車で来る。旗を立てて、楽隊を連れて。


リオの一行は、荷馬車だった。


幌のない、頑丈な荷馬車が3台。いちばん前の荷台に、若い男が、あぐらをかいて座っていた。


日に焼けた、赤銅色の肌。潮で色の抜けた、麦わらのような金髪。袖をまくった腕に、縄の擦れた痕が、何本も走っていた。


「よう! ここがヴェリシアの王宮か! でかいな!」


大声だった。王宮の中庭の、端から端まで届いた。


門番が、槍を持ったまま、固まっていた。


「……あの、どちら様で」


「リオ・マリネア! マリネアの第二王子だ! ……です! 申し遅れました!」


最後だけ、急に丁寧になった。


たぶん、国を出る前に、誰かに言い方を教わってきたのだと思う。


——リオは、荷台から飛び降りて、2台目の荷馬車の後ろに回った。


「こいつも、紹介しないとな」


荷台の上に、大きな木の桶があった。


大人が2人、手を広げて抱えられるくらいの。水が、なみなみと張ってある。


その水の中に、何かがいた。


焦げ茶色の、つややかな毛。丸い頭。ずんぐりした体。


仰向けに、ぷかりと浮いていた。


「ウミカワウソ!」


僕は、思わず声を上げていた。


「うわ、うわ、うわ、ウミカワウソだ! 海の、あの、仰向けで貝を割る! 本物だ!」


リオが、僕を見た。


目が、きらりと光った。


「おう! 分かるか!」


「分かります! 毛の密度が、1cm四方に10万本とかある、あの!」


「そうそう! こいつら、脂肪がほとんどないから、毛で体温守ってんだよ! だから毎日、毛づくろいに何時間もかけてさ!」


「知ってます! 毛の間に空気を溜めて——」


「そう! で、濡れても肌まで水が届かない!」


——僕らは、中庭の真ん中で、30分喋っていた。


王が、出迎えの口上を言いかけたまま、待っていた。


アーリアが、王の隣で、困った顔をしていた。


「……綿貫殿」


王が、ようやく口を挟んだ。


「すみません!」


「すまん!」


僕とリオが、同時に謝った。


——ウミカワウソの名前は、コンブといった。


リオの船の、乗組獣なのだという。


「船乗りたちが名前をつけたんだ。海藻の森で昼寝するのが好きだから、コンブ」


「食いもんだ!」


トトが、獣舎の入口で、叫んだ。


「兄ちゃん! 食いもんの名前だ! うちの子の仲間だ!」


「うちの子じゃないよ」


「でも食いもんだ!」


トトは、ものすごく嬉しそうだった。


——ただ、コンブは、元気がなかった。


桶の中で、仰向けに浮かんだまま、ほとんど動かない。前肢を、胸の上で組んでいる。何かを抱えるような形で。何も持っていないのに。


「この3日、何も食わねえんだ」


リオの声が、急に低くなった。


「魚も、貝も、ウニも。いつもは1日に、体重の4分の1くらい食う奴なのに」


僕は、桶の縁にしゃがんだ。


コンブの鼻先が、水の上に出てきて、僕の手の甲に、触れた。


冷たくて、濡れていて、ひげがちくちくした。


念話が届いた。この子とは、まだ契約していない。それでも、これくらい近ければ、声だけは届く。


『いし』


『ない』


——石。


僕は、コンブの体を見た。


前肢の下。脇腹のところの皮が、少したるんでいる。


ウミカワウソは、そこに、ポケットのような皮のたるみを持っている。貝を割るための、お気に入りの石を、しまっておく場所だ。


そのたるみが、空っぽだった。


「リオさん。この子、石を持ってませんでしたか。脇のところに」


「持ってる! 丸くて、白くて、縞の入ったやつ! 3年くらいずっと同じのを大事にしてて——」


リオは、そこで、言葉を止めた。


「……ない」


「3日前から、ないんだと思います」


「3日前って、王都に着いた日だ」


——僕は、嫌な予感がした。


3日前。王都の宿に着いた一行。桶の中の、きれいな石。


王宮に上がったのは今日だが、リオたちは3日前に王都に着いて、王宮に上がる支度のために、宿に泊まっていたのだという。


——クルミは、春になってから、ときどき王宮の塀を越えて、城下まで出かけていく。帰ってくると、頬が、出かけたときより膨らんでいる。


僕は、獣舎の梁を見上げた。


ふわふわした塊が、頬を、少しだけ膨らませていた。


「……クルミ」


『……』


「3日前、王都の宿に、行った?」


『……』


「行ったね」


『いし、きれい』


——やっぱり。


僕は、ため息をついた。


『おねがい』


『……』


『だして』


『……』


『あのこの、だいじな、いし』


梁の上で、クルミが、少しだけ首を傾げた。


僕は、桶の中のコンブを、指さした。


コンブは、仰向けで浮かんだまま、胸の上で前肢を組んでいた。何もない胸の上で。


クルミは、それを、長いこと見ていた。


『……だいじ』


「うん。だいじ」


クルミは、梁から降りてきた。


僕の肩に乗った。


『いっしょ!』


——一覧が浮かんだ。


〈シャツ(白) 1〉


〈匙 41〉


〈どんぐり 96〉


〈小石(きれい) 15〉


14だったのが、15になっていた。


僕は、〈小石(きれい)〉の行の中から、1つを選んだ。


丸くて、白くて、縞の入ったやつ。


クルミが頬を揉むと、ころりと、僕の手のひらに落ちてきた。


握ると、ひんやりしていた。表面が、すべすべに磨かれていた。3年間、毎日、貝を割ってきた石だ。


——僕は、その石を、桶の中に差し出した。


コンブが、目を見開いた。


前肢が、ぱっと伸びた。


石を、掴んだ。


胸に抱えた。


そして——。


桶の中で、ぐるりと、1回転した。


2回転。


3回転。


水しぶきが、桶の縁を越えて、僕の顔にかかった。


コンブは、3回転してから、仰向けに戻った。


胸の上に、石を抱いて。


それから、水の中から、前肢の片方を伸ばして、僕の手の甲に、触れた。


濡れた、小さな、指のある手だった。


——後頭部が、じんわり温かくなった。


テイム、成立。


46体目。


『いし、くれた』


『いし、くれた、ひと』


「……石、くれた人、って」


僕は、笑った。


「ごめんね。僕の子が取っちゃって」


『いし、くれた』


コンブは、そう繰り返して、石を脇のたるみにしまった。


それから、リオが桶の横に置いた干し魚を、1匹まるごと、ばりばりと食べ始めた。


3日ぶりの食事だった。


——クルミは、僕の肩の上で、それを見ていた。


コンブが、ちらりと、クルミを見上げた。


脇のたるみを、前肢で、ぎゅっと押さえた。


クルミが、頬を、ぷくっと膨らませた。


2体は、しばらく、にらみ合っていた。


しまい込む者どうし、というやつだ。


——リオとは、1時間で、すっかり仲良くなった。


獣舎の前の石段に並んで座って、海の生き物の話をした。


ウミカワウソの話。巨大な海亀の話。群れで狩りをする大きな海の魚の話。


リオは、海の話になると、止まらなかった。


僕も、動物の話になると、止まらなかった。


止まらない者どうしが喋ると、もう、ほんとに時間を忘れる。


「竜の話も、していいか」


リオが言った。


「竜!?」


「おう。マリネアの船乗りはな、竜の話が大好きなんだ」


リオは、南の空を指さした。


「海の向こうに、竜の飛ぶ大陸がある」


「……大陸」


「船乗りは、〈果ての大陸〉って呼んでる。行って帰ってきた奴は、ほとんどいない。遠いし、潮が荒いし、途中で嵐に捕まる」


リオは、にっと笑った。


「でも、俺の船なら、行けるぜ」


——僕は、南の空を見上げた。


6月の、青い空だった。雲が、白く、高いところを流れていた。


竜の飛ぶ、大陸。


「……行ってみたいなあ」


口から、出ていた。


言ってから、自分で、少し驚いた。


帰る方法を、探していたはずの僕が。


行ってみたい、と言っていた。


海の向こうへ。


リオが、僕の肩を、ばんと叩いた。


「だろ!」


——夕方、リオは、王と会うために、王宮の奥へ行った。


リオの来訪の、表向きの目的は、マリネアとヴェリシアの同盟だった。


南の海の国と、北の山の国。


手を組めば、互いに足りないものを補える。


表向きの目的は、それだった。


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