↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
56/83

#56 北へ、2度目の旅

5月の朝、王宮の中庭は、また動物園になった。


去年の冬の初めに、北へ出発した朝と同じだ。


いや、同じではない。去年より、ひどい。


——幻獣が、ついてくるからだ。


和平会議のために、国境のヴァルデン砦へ向かう。


一行は、僕と、王の名代のアーリアと、リーゼと、エステルと、ニナ。騎竜団から、ヒバリを含めて3騎。ヒバリには今回、乗り手をつけずに、ほかの2騎と並んで飛んでもらう。リーゼは、僕の護衛として、荷馬車の御者台に座った。そして、うちの子たちが、ざっと20体。


「これ、外交なのか?」


リーゼが呻いた。


去年の冬にも、同じことを言っていた気がする。


——出発の支度をしているあいだに、ソラが消えた。


荷馬車の幌の上にいたはずが、ふっと消えて、10m先の、行列の先頭の騎竜の鞍の上に出た。


騎竜団の団員が「うわっ」と叫んだ。


ソラは、また消えて、10m戻って、僕の頭の上に出た。


また消えて、行列の最後尾の荷馬の背中に出た。


消えて、頭の上。


消えて、先頭。


消えて、頭の上。


『たかい!』


「……楽しそうだね」


《瞬間移動》は、この2ヶ月で少し伸びた。まだ10mずつだけれど、続けて何度も跳べるようになった。行列の先頭から最後尾まで、10mずつ、ぽんぽんと。


リーゼの頭の上にも、1度出た。


リーゼは、頭の上のソラを見上げもせずに言った。


「……降りろ」


ソラは降りなかった。


——クルミは、弁当係になった。


一行ぶんの弁当を、ドーラが朝から作ってくれた。パンと干し肉と、茹でた卵と、蜂蜜漬けの杏。20人ぶんと、獣たちのぶん。


それを、全部、クルミが頬袋にしまった。


「重くない?」


『……』


クルミは、平気な顔をしていた。頬は、いつもどおりの膨らみのままだった。20人ぶんの弁当は、お気に入りの手前の棚ではなく、もっと奥にしまったらしい。


問題は、昼に出すときだった。


『おねがい。だして』


『いっしょ!』


一覧が浮かぶ。〈パン 24〉〈干し肉 30〉〈卵 20〉〈杏(蜂蜜漬け) 1壺〉〈匙 41〉。


「……匙は、いらない」


パンを選ぶ。出てくる。干し肉を選ぶ。出てくる。


杏の壺を選んだところで、クルミが止まった。


『……あと』


「あと?」


『ぼくの、あと』


——杏は、自分が先に食べてから、らしい。


結局、杏の壺は、クルミが3つ食べてから出てきた。モチがそれを見ていて、壺ごと抱えようとして、エステルに止められた。


——ギンは、行列の横を歩いた。


体長は、もう2mを超えた。重さは、冬の終わりに量った225kgより、たぶん、もっとある。去年の冬、北へ行ったときは、僕の上着の内ポケットに入っていた子だ。


今は、荷馬車の馬と、肩を並べて歩いている。


最初の1時間、馬たちは落ち着かなかった。耳を後ろに倒して、ギンのほうを横目で見て、足並みを乱した。神獣の匂いは、狼の匂いより、ずっと強いらしい。


2時間後には、耳が前に戻った。


3時間後には、クリが、ギンの肩に鼻をつけて、匂いを嗅いでいた。


ギンは、されるままになっていた。


荷台の上では、モチが寝ていた。出発して5分で寝た。荷馬車が揺れるたびに、400kgの白い山が、ゆっさゆっさと揺れた。車軸が、ずっときしんでいた。


——子イタチたちは、全員のポケットに入った。


フデはアーリアの外套のポケット。ハネはエステルの袖の中。トメはニナのフード。チンは荷馬車の御者台。ブンは、僕のフードに入ったはずだった。


峠の手前で、ブンが、いなくなった。


「ブン?」


フードの中は、空だった。


『ブン、どこ?』


『……』


念話は届いている。でも、この子は、場所の言葉をまだあまり知らない。


一行が止まって、全員でブンを探した。荷馬車の下。騎竜の鞍の下。道端の草むら。


いない。


スズリに『おねがい』すればよかったのだと気づいたのは、ずっと後だった。そのときの僕は、焦りすぎて、肩の上のスズリのことさえ、頭から抜けていた。


——荷馬車の幌の上に、チンが座っていた。


御者台から、いつのまにか、幌の上に移っていた。


座って、動かない。1点を、じっと見て。


僕は、チンの見ている先を見た。


幌の、生成りの布。


その布の上に、生成り色の、細長い膨らみが1つあった。


ブンだった。


幌と、まったく同じ色になって、幌の上で寝ていた。


《毛がわり》。


「……見つけにくすぎる」


チンは、ブンが見つかるまで、ずっとそこで待っていたらしい。


2匹で、1つの文鎮なのだ。


——峠道の途中で、クリが止まった。


荷馬車を引いている、栗毛の牝馬だ。ヴァルデン砦の厩にいた子で、この旅では、自分の生まれた砦へ帰ることになる。


その子が、急に、脚を止めた。


「どうした」


御者のリーゼが、手綱を引いた。クリは動かない。


僕は、荷馬車から降りて、クリの前に回った。


鼻先が、僕の手の甲に触れる。


『あし』


『……ここ』


クリは、右の前脚を、少しだけ浮かせていた。


僕はしゃがんで、蹄を持ち上げた。


蹄の裏の、溝のところに、尖った小石が1つ、挟まっていた。


峠道の、割れた石だ。


小刀の先で、そっと掻き出した。


小石が、ころりと落ちた。


『……あし、いい』


クリは、蹄を2回地面に打って、それから、自分から歩き出した。


「……お前のそれ、ほんとに便利だな」


リーゼが、手綱を持ち直して言った。


——その夜は、峠の宿場に泊まった。


宿の食堂で、アーリアが、旅の記録をつけていた。


王の名代として、毎日の出来事を書き留めて、王都へ送る。それも、この人の仕事だった。


僕は、向かいの席で、スープを飲んでいた。


——ふと、気づいた。


アーリアは、右手で、筆を持っていた。


去年の冬、北へ行ったときは、左手だった。行儀が悪いと叱られても、どうしても左が動く、と言っていた。


「右で書くようになったんですね」


僕が言うと、アーリアは、筆を止めた。


1拍だけ。


それから、顔を上げて、微笑んだ。


「ええ。行儀よくしようと思いまして」


「すごいですね。左利きって、直すの大変なのに」


「練習いたしました」


「そうなんですね」


僕は、感心して、スープの続きを飲んだ。


アーリアは、また、右手で書き始めた。


——食堂の暖炉の前では、ニナが、ラウの毛を梳いていた。


梳きながら、小さな声で、歌を口ずさんでいた。


帝国の歌のようだった。低い、ゆっくりした節回し。子守唄のようにも聞こえた。


「ニナさん、それ、なんの歌ですか」


ニナは、手を止めて、少し恥ずかしそうにした。


「帝国の、古い歌です。北のほうの村では、子どもに歌って聞かせます」


ニナは、少し考えてから、言った。


「……『北の竜には、海の向こうに友がいる』」


「竜?」


「はい。北の山に、大きな竜が1頭いて、その竜には、海の向こうに友だちがいる。竜は時々、友だちに会いに、海を渡る。……そういう歌です」


北の山の、大きな竜。


僕は、冬に見た、あの岩棚を思い出していた。


角の1本折れた、800年生きた古竜。


『めんどう』と言った、あの声。


「……あの人に、友だちなんているのかなあ」


僕が言うと、ニナは首を傾げた。


「あの人?」


「いえ。なんでもないです」


ニナは、また、ラウの毛を梳き始めた。


歌の続きを、小さく口ずさみながら。


——3日目の昼、ヴァルデン砦に着いた。


石の城壁が二重。北を向いた稜堡が3つ。去年の冬、ここで、僕は3日寝込んだ。


クリが、厩の前で、嬉しそうに鼻を鳴らした。


——和平会議は、翌日から始まった。


帝国の代表は、オルガ。王国の代表は、アーリア。


帝国は、頭を下げて、この冬を越すための助けを求めた。


王国は、まず、国境の安全を求めた。二度と同じことが起きないという、目に見える形を。


2日やって、その形が、まだ決まらなかった。


2日目の夕方、僕は、アーリアに頼んだ。


「国境の向こうの村へ、行かせてください」


370頭が、いる村だ。


アーリアは、少しのあいだ、僕の顔を見ていた。


それから、オルガのほうを向いた。


「帝国の宰相閣下。ヴェリシアのテイマーが、貴国の国境の村へ入ることを、許していただけますか」


オルガは、アーリアを見て、僕を見た。


「……護衛を、つけます」


それが、答えだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。