#47 墨の一家
最近、おかしなことが続いていた。
外套のポケットが、妙に重い。
何も入れていないはずなのに、右も左も、ずっしりしている。手を入れると、何もない。出すと、また重い。
フードに、毛がついている。
白くて細い毛だ。僕の髪ではない。アズキの赤茶でも、ギンの銀白でもない。
書庫で座った椅子が、なぜか温かい。
誰かが座っていたような温かさだ。僕が座る前から。
——僕は、疲れているのだと思っていた。
戦のあと、ずっと忙しかった。ヒバリの翼、ギンの脚、バウの捜索、幻獣の鑑定。疲れていれば、ポケットくらい重く感じる。
そう思っていた。
——ある朝、外套を着ようとして、持ち上げた。
ポケットとフードから、白いものが、ころころころころころ、と転がり出てきた。
5つ。
床の上で、5つとも、ころんと仰向けになって、それから、きょとんとした顔で起き上がった。
子イタチだった。
「……え」
5匹。
体の大きさは、もうスミとほとんど変わらない。冬毛は真っ白で、尻尾の先だけが、ほんの少し黒い。
秋に、書庫の石壁の隙間で、目も開いていなかった5匹だ。
生後10日だったあの子たちが、生後5ヶ月になっていた。
「お前たち、いつから」
5匹とも、僕を見上げていた。
1匹が、僕の手の甲に、鼻を寄せた。
もう1匹が、足首に。
もう1匹が、指先に。
残りの2匹は、転がり出た拍子に、もう僕の手にぶつかっていたらしい。
——後頭部が、じんわり温かくなった。
1回。
2回、3回、4回、5回。
5回、続けて。
「……うそだろ」
テイム、成立。
5匹同時に。
44体。
——ポケットが重かったのは、この子たちが入っていたからだった。
フードの毛は、この子たちの毛だった。
椅子が温かかったのは、この子たちが先に座っていたからだった。
何週間も、ずっと。
誰にも気づかれずに。
僕にも、トトにも、アズキの鼻にも。
「隠れるの、うますぎない?」
5匹が、首を傾げた。
そろって、同じ角度で。
——理由は、あとで分かった。
スズリを肩に乗せて、見てもらったのだ。
『おねがい』
『いっしょ!』
1匹ずつ、見ていった。
5匹とも、両親と同じ、幻獣だった。
——それから、もう1つ分かったことがある。
僕が書庫で座った椅子が、いつも温かかった理由。
スミだった。
スミは、僕がどの椅子に座るかを、先に読んでいた。
《先読み》。相手が次に何をするか、この先どうなるかが、少しだけ分かる。
スミは僕が座る前に、子どもたちをその椅子で待たせていたのだ。温めておくように。
「……聡明すぎない?」
スミは、書庫の卓の上で、前肢で顔を洗っていた。
聞こえていないふりをしていた。
——名前をつけることになった。
トトは、書庫の卓に記録帳を広げた瞬間から、もう決めていた。
「書き物の名前!」
「だよね」
「スミと、スズリの子だもん! 書き物の名前しかない!」
僕は、5匹を見た。
メスが3匹。オスが2匹。
メスの3匹は、それぞれ好き勝手に動き回っている。1匹は棚の隙間を覗き込み、1匹はトトの膝に擦り寄り、1匹は床の上で、ぴたりと止まって動かない。
「フデ」
いちばん好奇心の強い子。筆。
「ハネ」
いちばん甘えん坊の子。筆の、はね。
「トメ」
いちばん慎重な子。筆の、止め。
「字を書くときの、筆の動かし方なんだ。はねて、止める」
「かっこいい!」
トトが書きつけた。
——問題は、オスの2匹だった。
この2匹は、いつも一緒にいる。
小さいほうが、大きいほうの背中に乗っている。大きいほうは、小さいほうを乗せたまま、座って動かない。
どこへ行くにも、2匹で1つ。
「2匹で、ひとつ!」
トトが叫んだ。
「兄ちゃん、2匹でひとつになる書き物の道具って、ある?」
「……ある」
僕は、少し考えてから言った。
「文鎮。紙が動かないように、上に置く重し。……ブンと、チン」
「ブンと、チン!」
トトは、腹を抱えて笑った。笑いながら書いた。
小さいほうが、ブン。大きいほうが、チン。
チンは、名前を呼ばれても、座ったまま動かなかった。
文鎮らしかった。
——その日のうちに、それぞれの力が見えてきた。
僕は、外套のボタンを1つ、なくしていた。
3日前だ。中庭で、アズキに飛びつかれたときに飛んだ。雪の中を探したが、見つからなかった。
『フデ。おねがい』
フデが、ぴょこんと顔を上げた。
『いっしょ!』
——雪の下が、透けたわけではない。
ただ、中庭のある1点が、ぽうっと明るく見えた。
《探り当て》。
隠れたもの、埋もれたものを、見つける力。
フデが、その1点へ走っていって、雪を掘った。
小さな木のボタンが、出てきた。
フデは、それを咥えて、僕の足元まで戻ってきた。
尻尾の先を、ぴんと立てて。
——ハネは、トトの膝に擦り寄っていた。
トトは、記録帳に名前を書いていた。
「……あれ」
トトが、自分の書いた字を見て、首を傾げた。
「おれの字、きれいになってる」
僕には読めない。だから、分からない。
でも、隣で見ていたアーリアが、帳面を覗き込んで言った。
「本当ですね。トトさんの字とは思えないくらい」
「ひどい!」
《はげまし》。
そばにいる仲間の力を、一段上げる。
ハネは、トトの膝の上で、満足そうに丸くなっていた。
——ブンは、いなくなった。
書庫の奥の、埃の積もった棚の下に入っていって、出てこなくなった。
探したら、棚の下の埃と、まったく同じ色になって、埃の中で寝ていた。
白い冬毛が、茶色くくすんで。
《毛がわり》。
周りの色に、溶け込む力。
見つけられたのは、棚の前に、チンが座っていたからだ。
ブンのいる場所の前で、じっと動かずに。
——そのチンは、耳を立てていた。
書庫番の老人が、奥の卓で、ぶつぶつ独り言を言っていた。台帳の数字が合わない、とか、昼飯がまだだ、とか。
チンは、その独り言を、身じろぎもせずに聞いていた。
人の言葉は、分からないはずだ。
でも、声色で分かるらしい。書庫番の機嫌がいいか悪いか。それを聞き分けて、機嫌が悪いときは、ブンをくわえて、そっと棚の奥へ下がる。
《聞き耳》。
「……噂話が好きなんだな、この子」
チンは、座ったまま、動かなかった。
——トメは、だれにも気づかれないよう、そっと寄り添っていた。
本当に、静かに佇むのが上手かった。
《忍び足》。
僕が気づくと、いつも足元にいた。音も立てずに。
——その夜、念話が伸びた。
寝台で横になっていたら、頭の奥が、ふわっと広がった。
前にも、何度かあった感覚だ。
届く範囲が、遠くなった。繋げられる数が、増えた。
半径5km。同時15体。
44体になって、ようやく、なのかもしれない。
いや、きっと、時間なのだ。この冬、ずっと喋ってきた時間。
——寝台の上は、埋まっていた。
胸の上に、フデとハネ。
脇に、トメ。
首の横に、スズリ。
枕に、スミ。
腹の上には、ブンとチン。外套を寝台の端にかけておいたら、2匹で引っ張ってきて、僕の腹の上に運んだフードの中で寝ている。
ソラは頭の上。アズキは足元。
子イタチは、見た目より重い。5匹で、たぶん2kgくらいある。胸の上が温かくて、少し苦しい。
5つの小さな寝息が、ばらばらに鳴っていた。
1秒に1回くらい。速い。イタチは、寝ていても忙しい。
——僕は、天井を見ていた。
フデ。ハネ。トメ。ブン。チン。
今日つけた名前を、1つずつ、頭の中で呼んでみた。
呼ぶと、胸の上の小さいのが、少しだけ動く。
——ふと、思ってしまった。
帰れば。
この子たちの名前を、もう呼べなくなる。
念話が消える。誰が呼んでも、この子たちには、ただの音にしか聞こえなくなる。
今日つけたばかりの名前も、呼べなく……。
——僕は、目を閉じた。
胸の上で、ハネが、僕の顎の下に頭を押しつけてきた。
温かかった。




