#44 ソラの目、クルミの頬袋
晴れた朝だった。
中庭の雪は半分溶けて、石畳が黒く濡れていた。
そこに、人が並んでいた。
王。ヴィルマ。オズワルド。ドーラ。トト。エステル。リーゼ。アーリア。
そして、獣舎から出てきた、うちの子たち。
「1体ずつ、見てください」
ヴィルマが言った。帳面を開いて、羽根ペンを構えている。
僕は、中庭の真ん中の椅子に座った。
肩に、スズリが乗っている。
『おねがい』
『いっしょ!』
——世界が、少しだけ透けた。
「では、1体目」
——ソラが、僕の頭に着地した。
呼んでいない。いつもどおり、勝手に来た。
僕は、頭の上に手を伸ばして、ソラを両手で包んで、目の前に下ろした。
体長18cm。綿を薄く伸ばしたような毛。大きな目。
その目が、いつもどおり、どこか遠くを見ていた。
視界の端に、文字が浮かぶ。
……はい。もう、いましたよ。
〈ホークーモモンガ(第3級・幻獣)〉
《瞬間移動》
「……ソラ。幻獣です」
ヴィルマの羽根ペンが、帳面の上で止まった。
トトが、手に持っていた桶を落とした。
「瞬間移動、だそうです」
「しゅんかん……」
トトの口が、開いたまま閉じなかった。
——2体目。クルミ。
梁の上から降りてきて、僕の膝に乗る。頬がいつもどおり、ぱんぱんに膨らんでいる。
〈パフリス(第3級・幻獣)〉
《異空間収納》
ドーラが、手に持っていたおたまを落とした。
——3体目。スミ。
〈コバートオコジョ(第3級・幻獣)〉
《先読み》
「スズリの奥さんなので、そうかなとは思ってました」
僕が言うと、エステルが、手に持っていた祈りの本を落とした。
——4体目。シモ。
ロヴィ村の屋根裏から来た、白イタチ。僕の枕元に鼠を置く子。
〈コバートオコジョ(第3級・幻獣)〉
《気配遮断》
「……鼠を置いていくのに、1度も気づけなかったのは」
「そういうことだったらしいです」
リーゼが、腰の短剣の柄から手を離した。握っていたことに、今気づいたらしかった。
——5体目、アサ。6体目、バン。
ロヴィ村の、雪兎の2羽。フクにくっついて離れない子たち。
〈シエルウサギ(第3級・幻獣)〉
《結界》
〈シエルウサギ(第3級・幻獣)〉
《波紋》
オズワルドが、兜を落とした。
——7体目。
コナが、いなかった。
「コナ?」
獣舎の隅の、藁の下に隠れていた。念話を送ると、藁の中から、ひと言だけ返ってきた。
『ほる』
「……掘りたいの?」
『あっち、ほる』
——僕は、ヴィルマに言った。
「掘らせてあげてもいいですか。獣舎の外の、菜園の端で」
「どうぞ」
コナは、藁から飛び出して、菜園の端に着くなり、前肢で土を掘り始めた。
速い。
驚くほど速い。冬の土が、見る間に後ろへ飛んでいく。
僕は、掘っているコナを見た。
〈ルミエフォルペ(第3級・幻獣)〉
《浄化》
——そのとき、気づいた。
掘っているコナの体が、うっすら光っていた。
白い冬毛の縁が、朝の光とは違う色で、ほんのりと。
僕が瞬きをすると、もう見えなかった。
——ここまでで、幻獣が7体。スズリを入れて、8体。
王が、僕のすぐ後ろで、椅子の背を掴んでいた。
いつから掴んでいたのかは分からない。気づいたら、両手で握りしめていた。
「幻獣が……8体」
王の声が、震えていた。
——8体目。フブキ。
日に1度、北を見る、片目のない大きな狼。
〈氷牙狼(第2級・魔獣/特殊個体)〉
《冬告げ》《群れ導き》
「特殊個体、だそうです」
「特殊個体が……1体」
王の膝が、少し曲がった。
「……神獣が1体……幻獣が8体……特殊個体が1体……」
王は、椅子の背にしがみついたまま言った。
「この獣舎ひとつで、国がひとつ買える」
——誰も、笑わなかった。
代わりに、みんなが、ぽつぽつと言い始めた。
「……ソラ、兄ちゃんの頭の上で、遠くばっか見てた!」
トトだった。
「屋根の上とか、厨房の煙突とか! おれ、ずっと、何見てるんだろって思ってた!」
「クルミが干し果物を、樽ごと一晩で消したことがあったね」
ドーラが、おたまを拾いながら言った。
「樽ごとだよ。あの体で。おかしいとは思ってたんだ」
「……あの逞しい後ろ脚」
オズワルドが、兜を拾いもせずに、うっとりと言った。
「騎竜の脚を20年見てきた俺が認める。兎のものとは思えん、実に立派な後ろ脚だ。あの腿の張り。あの踵の角度。1度、じっくり触らせてもらいたいと、ずっと思っていた」
リーゼが、黙って1歩、オズワルドから離れた。
「シモに、後ろに立たれて」
リーゼが言った。
「わたしが、気づかなかった。1度だけな。気のせいだと思ってた」
「コナが掘ったあとの土は」
エステルが言った。
「なぜか、清らかな気配がして。施療院の庭より、ずっと」
——その種族にしては、ちょっと違う。
みんな、そう思っていたのだ。
——個性だと。この子はそういう子なのだと。
それは、個性ではなかった。
——魔獣たちも、見た。
フク。《胸騒ぎ》——災いが来る前に、分かる。
「86人を、救った警報の、正体です」
僕が言うと、アーリアが帳面を胸に抱いた。
ツグミ。《帰還》——どこからでも、帰るべき場所に、必ず帰れる。
氷牙狼の4頭。ハギ、ミゾレ、アラレ、ヒョウ。4頭とも《凍て牙》《雪隠れ》。
——そして、ススキ。
僕の3歩後ろに、いつもどおり座っていた。
僕は振り返って、見た。
〈森狼(第2級・魔獣)〉
《しんがり》——背後の気配を、必ず察する。
——僕は、椅子から立てなくなった。
背後の気配を、必ず察する。
3歩後ろ。
最初に会った日から、ずっと。王宮でも、北の雪原でも、戦場でも。寝るときも、寝台の足のほうで、距離を守って。
僕は、この子がただ、そういう性格なのだと思っていた。
違った。
この子は、僕の背中を、守っていたのだ。
最初に会った日から、ずっと。
——僕は、ススキの前に、しゃがんだ。
ススキは、動かなかった。
そして、首を、ぐっと前に伸ばした。
僕は、その首に、顔を埋めた。
灰色の毛に、白い差し毛。冬毛は分厚くて、顔が半分沈んだ。狼の匂いがした。雪と、藁と、少しだけ獣舎の匂い。
ススキは、首だけを貸してくれた。
足は、1歩も動かさなかった。
——最後に、ギン。
中庭の真ん中に、ギンが座っていた。体長2.0m、225kg。
僕は、ギンを見た。
〈フェンリル(第4級・神獣)〉
《氷牙》《雪駆け》《遠吠え》《重奏》
——その下に、まだ、何行も続いていた。
にじんでいた。
読めなかった。下にまだまだ続く文は。光が強すぎて、文字の形がほどけていた。
『……まぶしい』
肩の上で、スズリが目を閉じた。
前肢で、自分の目を覆っていた。
「スズリ?」
『まぶしい』
——僕は、《千里眼》を切った。
ギンは、何も分からない顔で、尻尾を振っていた。
——ヴィルマが、帳面を閉じた。
「偶然では、ありませんね」
「偶然?」
「これだけの幻獣が、1人の周りに集まることです」
彼女は、中庭の子たちを見渡した。
「伝承の幻獣は、人を避けます。紛れて、隠れて、見つからない。それが、自分から寄ってきている」
「……なんで」
「テイマーという、あなたの力と、あなたのやり方でしょう。待って、聞く。取り上げずに、頼む。——あの子たちは、それを見ていたのだと思います」
僕は、頭の上に手をやった。
ソラが、いつのまにか、また乗っていた。
「ソラは、最初から、あなたを選んで降りてきたのでしょうね」
ヴィルマが言った。
「人間を観察したうえで。この王宮で、いちばん乗り心地のいい頭を」
——頭の上で、ソラが『たかい!』と言った。




