↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
34/82

#34 まだ、いっしょにいる

3日、僕は誰とも喋らなかった。


寝台に座って、壁を見ていた。


飯は運ばれてきて、そのまま下げられていった。水だけは飲んだ。飲まないと頭が痛くなって、頭が痛いと壁を見ているのがつらくなるからだ。


獣舎には行かなかった。


行けなかった、ではない。行かなかった。


——2日目に、トトが来た。


扉を蹴り開けて入ってきて、僕の前に立って、そして泣きながら怒鳴った。


「なんで来ないんだよ!」


僕は、壁を見ていた。


「ギン、待ってるんだぞ! 3本脚で立とうとして、何回も転んでんだぞ! なんで来ないんだよ!」


僕は、答えなかった。


答えると、それは言い訳になると思った。


トトは、10分くらい怒鳴って、それから、椅子を蹴って出ていった。


——3日目、エステルが来た。


彼女は、何も言わなかった。


寝台の横に椅子を置いて、そこに座って、僕の手に《癒し》をかけた。鶏に裂かれた手の甲の傷は、もう塞がっている。塞がっているものに、彼女は毎日《癒し》をかけた。


かけ終わっても、彼女は座っていた。


2時間、座っていた。


一言も喋らずに。


帰るとき、扉のところで、1度だけ振り返った。


「わたくしは、6歳から19歳まで、犬が怖うございました」


僕は、壁を見ていた。


「13年です」


彼女は、それだけ言って、出ていった。


——同じ日の夕方、リーゼが来た。


彼女は入ってくるなり、卓の上の冷めた粥を見て、鼻を鳴らした。


「食え」


「……」


「食えと言ってる」


「……」


彼女は、しばらく僕を見ていた。


それから、扉のほうへ歩いて、取っ手に手をかけて、こう言った。


「お前が潰れたら、あいつらは誰と話すんだ」


——扉が閉まった。


僕は、壁を見ていた。


見ていたが、その日の夜は、少し眠った。


——4日目の朝。


音がした。


かちゃ、という音。それから、何かが引きずられる音。


そのあとに、どすん、と重いものが倒れる音。


——僕は、寝台の上で、顔を上げた。


音は、廊下から来ていた。


かちゃ。ずる。どすん。


かちゃ。ずる。どすん。


3回目で、僕は寝台から降りた。


4回目で、扉に手をかけた。


5回目で、扉を開けた。


——ギンが、いた。


扉から3mほど離れた、廊下に。


3本脚で、立っていた。


左の前脚は、板と布で固定されて、胸に吊ってある。エステルが4日かけて添えたものだ。骨は、まだくっついていない。粉砕骨折というのは、そういうものだ。


95kgが、3本脚で立っている。


——狼の体は、4本で支えるようにできている。


前脚に、体重の6割が乗る。その前脚が1本ないということは、それが片側だけにかかるということだ。


だから、まっすぐ立てない。


体が、左に傾く。傾くのを、右前脚だけで支える。支えきれなくなると、倒れる。


——さっきの音は、それだった。


1歩進む。倒れる。起き上がる。また1歩進む。


「……ギン」


僕の声は、掠れていた。


ギンは、顔を上げた。


そして、1歩、進んだ。


倒れた。


石の床に、95kgが倒れる音がした。


「やめろ!」


手を伸ばした。


伸ばした手が、止まった。


ギンが、また、立ち上がっていた。


自分で。


右前脚を突っ張って、後肢で押して、体を起こして。


そして、僕を見た。


拾ったときと変わらない青い目で。


——1歩。


——2歩。


——3歩。


僕の前まで来て。


そして、首を伸ばして、僕の顔を、舐めた。


ざらざらしていない、柔らかい舌で。1回。


『ユウマ』


——僕の膝が、抜けた。


『まだ』


『いっしょ』


——3語だった。


この子が、3語を喋ったのは、2度目だ。


1度目は、雪の中で北を見て『あっち』『いや』と言ったとき。


——今度は、これだった。


『ユウマ』


『まだ』


『いっしょ』


——僕は、声を上げて泣いた。


床に座り込んで、白い首に顔を埋めて、大声で泣いた。


17年生きてきて、あんな泣き方をしたのは、初めてだった。葬式では泣けなかった。3ヶ月後に花を持って交差点に立ったときも、泣かなかった。こっちの世界に来てから、声を出さずに泣いた。


このときだけは、感情が決壊した。


——毛が、涙を吸った。


犬の毛が涙を吸うことは、僕はもう知っている。


神獣の毛は、犬の倍以上、吸う。


長いからだ。指が手首まで沈む毛が、全部吸う。吸って、そのあと、少し臭くなる。神獣も、濡れると臭い。


——廊下の向こうから、足音が来た。


いくつも。


アズキが、まっすぐ飛び込んできた。僕の顔に、24kgが飛びかかった。そのまま勢いよく、部屋のなかへと押し込まれた。舐めてきた。臭かった。


ススキが続いた。3歩後ろではなく、真横に来た。この子がぴったりとくっつくような距離に来るのは、初めてだった。


ソラが、僕の頭に着地した。


『とぶ!』


「うん」


『たかい!』


「うん」


フクが、胸に潜り込んだ。心臓の音のする場所に。


氷牙狼の4頭が、僕を囲んだ。ハギが、僕の膝に顎を乗せた。


——そして。


廊下の向こうで、破壊音がした。


「あ」


「兄ちゃん、逃げて!」


トトの声がした。


——モチが、来た。


400kgが、廊下を走ってきた。


砦の扉は、幅が1.2mしかない。


モチの肩幅は、1.4mある。


「モチ、やめ——」


——扉枠が、壊れた。


石ではなく、木の枠のほうが。


木材が3本折れて、上の石が2個ずれて、粉が落ちた。


白い熊が、部屋に入ってきた。


そして、僕の背中に、鼻を押しつけた。


『……しろいの……』


『……なく……』


「泣いてる」


『……いい……』


「うん」


『……なく、いい……』


——僕は、また泣いた。


クルミが、枕の下から出てきた。


いつのまにか部屋に入り込んでいたらしい。頬袋から出したのは、匙だった。昨日、僕が使わなかった粥の匙だ。盗んでいた。


「返せ」


『……』


「返せって」


『……』


返してくれた。


——寝台が、獣で埋まった。


正確に言うと、部屋が埋まった。


14体が入って、まだ廊下に5体並んでいた。


僕は、どんどん押されて、部屋の真ん中で、床に座っていた。


——このとき、僕は、1つのことを考えていた。


半年前、この子たちは、「はら、へった」しか言えなかった。


そこから、「あっち」が増えた。「あのひと」が増えた。「まえ」と「あと」が増えた。「ぼくの」が増えた。「まつ」が増えた。「やくそく」が増えた。


1つずつだ。


1つずつ、増えた。


そして今、ギンは「まだ」「いっしょ」と言った。


——絆とは、通じる言葉が1つ増えることだ。


僕は、そう思った。


思って、それから、口には出さなかった。言葉にした途端に、この半年が薄っぺらくなる気がしたからだ。


——同じ日の午後、2つのことが起きた。


1つ。念話が伸びた。


半径3km。同時に、10体。


僕はそれに、獣舎の前で気づいた。砦の北端から南端まで、全員と繋がったままだったからだ。


『アズキ』『ススキ』『モチ』『ヒバリ』『ソラ』『フク』『クルミ』『ハギ』『ミゾレ』『ギン』——10体。


十の声が、同時に鳴っている。


うるさい。


死ぬほど、うるさい。


「うるさい!」


僕は、獣舎の前で叫んだ。


そして、笑った。


4日ぶりに、笑った。


2つ。《スキル共有》が、3つ同時まで通るようになった。


これは、試して分かった。《利き鼻》と《遠目》を借りて、そこに《風読み》を足した。


酔わなかった。


——理由は、明白だった。


この4日間で、僕の獣が増えたわけではない。


1体も増えていない。


訓練もしていない。僕は4日間、壁を見ていただけだ。


増えたのは、そこではない。


——ギンが、40kmを走ってきた。


——ススキが、3歩の距離を破った。


——アズキが、獣舎の扉を開けて、まっすぐ来た。


そういうことだ。


僕は、ヴィルマに手紙を書けない。字が書けないからだ。だからトトに代筆させて、こう書いてもらった。


「絆が、深くなったので、伸びました」


トトは書きながら「それでいいの?」と聞いた。


「それでいい」


——うちの子は、31体になっていた。


7体、増えていた。


クルム村の避難民が、家畜を連れて砦に入っていた。そのうち7体が、僕の周りから離れなくなった。


山羊が3頭。荷役牛が1頭。犬が2頭。そして、鶏が1羽。


鶏は、あの女の子が抱いて逃げた個体だった。彼女は僕を見つけると、その鶏を差し出して「この子、お兄ちゃんのこと好きみたい」と言った。


僕は、鶏に手の甲を差し出した。


つつかれた。


痛かった。


——夕方、僕は砦の中庭に立った。


31体が、周りにいた。


ギンが、3本脚で、僕の隣に立っていた。


「これからのことを、聞きに行こう」


僕は言った。


『……』


『いく』


『いく!』


『……いく……』


『とぶ!』


——僕は、歩き出した。


4日ぶりに、まっすぐ歩いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。