↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
33/82

#33 届かなかった

12月27日、帝国軍が動いた。


正面ではなかった。


彼らは、王国軍の陣を迂回して、東へ流れた。東には、国境沿いに小さな村がいくつか散っている。そのうちのひとつが、クルム村だった。


住民、86人。


家畜は、山羊が42頭。鶏が130羽。荷役牛が6頭。合計、178。


村に、柵はない。兵もいない。


「先行します」


僕は言った。


「待て」オズワルドが怒鳴った。


「本隊が回り込むのに半日かかる」


「半日かかるなら、なおさらです」


「1人でか」


「24体連れて行きます」


——僕は、動いた。


ヒバリの背に乗って、40分。


クルム村の上空に出たとき、僕は北を見た。


雪原に、黒い帯があった。


12km。歩兵の速度なら、3時間。獣が先行するなら、1時間半。


僕は村の広場に降りた。


村長は50代の男で、僕を見て「なんだ、あんた」と言った。


「王国軍から来ました。北から敵が来ます。3時間以内です。逃げてください」


「……なんだと」


「3時間以内です」


「証拠は」


——僕は、そのとき、説明する時間が惜しかった。


だから、外套の内側から、兎を出した。


フクだ。


片耳の垂れた角兎。危険度、星1つ。この子は臆病で、僕がテイムしてから半年、ずっと何かに怯えている。


僕は、フクを雪の上に置いた。


『フク。北、見て』


——兎の耳が、片方だけ立った。


そして、後ろ肢で、地面を叩いた。


ダン。


ダン、ダン、ダン、ダン、ダン——


止まらなかった。


村の広場に、その音が響いた。


雪を踏み固めた地面が、兎の後肢で叩かれる音。それが、途切れずに、続いた。


村長の顔から、血の気が引いた。


「……荷を出せ!」


彼は叫んだ。


「牛を出せ! 山羊を集めろ! 東の道だ! 走れ!」


——ここから2時間の記録を、僕はできるだけ正確に話す。


ススキと、氷牙狼の4頭が、村の外周を回った。


追い立てるためだ。人間は、危険を「聞かされる」より「見せられる」ほうが速く動く。狼が5頭、村の外を走っている。それだけで、迷っていた人間が走り出す。


アズキが、家を一軒ずつ回った。


『アズキ。人、いる?』


『いる!』


『何人』


『……ふたつ!』


数は苦手だ。それでも「いる」か「いない」かは分かる。27軒を、18分で回った。


モチが、荷車を引いた。


400kgが、荷車2台を同時に引いた。轅に縄をかけて、背中で引いた。老人が7人、荷車の上に乗った。


ソラが、屋根を渡った。


『ソラ。上から見て』


『とぶ!』


『人、いたら教えて』


『たかい!』


——見つけた。


北の外れの、納屋の屋根裏。


10歳くらいの女の子が、飼っていた鶏を追いかけて、そこに入り込んでいた。鶏が梁の上に逃げて、降りてこなかったのだ。


僕は納屋に走った。


「鶏が!」


「捕まえます。降りてください」


「でも!」


「連れてきますから」


——僕は、梁の上の鶏を、素手で掴んだ。


鶏は、暴れて、僕の手の甲を蹴った。爪が3本、皮膚を裂いた。血が出た。どうでもよかった。


女の子は、その鶏を抱いて泣いた。


そして、走った。


ツグミが、砦へ飛んだ。


僕は書けない。だから、リーゼが持たせてくれた「救援要請」の書付を、あらかじめ筒に入れてあった。それをツグミの脚に結んで、放した。


灰色の鳥は、雪雲の下を、一直線に北東へ消えた。


——1時間50分後。


村は、空になった。


住民、86人。


山羊、42頭。鶏、130羽。荷役牛、6頭。


全員、全頭が、東の街道へ出た。


僕は最後の一軒を確認して、広場に戻った。


そして、北を見た。


雪原の黒い帯が、もう、丘の上に来ていた。


——村は、燃えた。


火矢ではない。


帝国軍は、村を焼くために来たのではなかった。彼らは糧食を求めてきた。だから食料庫を開けて、中身を運び出した。


火が出たのは、屋内の炉に火が残っていたからだ。誰も、消していく余裕がなかった。


風があった。


1軒が燃えて、2軒目に移って、4軒目には手がつけられなくなった。


——僕は、村の南の丘から、それを見ていた。


村は焼けた。


だが、人は1人も死んでいない。


家畜は1頭も死んでいない。


——僕は、そこで、退けばよかった。


それが、正しかった。


僕は、退かなかった。


理由を、僕は今も、うまく説明できない。


村を焼く炎の向こうに、獣がいたからだ。


数百頭。あの子たちが、村の中を走り回っていた。食料庫の穀物袋を咥えて、運んでいた。命令されたとおりに。


そして、僕には、あの子たちが何を考えているかが、分かってしまった。


『はこぶ』


『みなみ、いく』


『やくそく』


——僕は、丘を駆け下りた。


背後で、誰かが叫んだ。エステルだったと思う。


僕は止まらなかった。


——村の南の外れで、僕は膝をついた。


そして、2つ借りた。


『アズキ。鼻、かして』


『いいよ!』


『ヒバリ。目、かして』


『いい』


——数を掴む。


370。


そのうち、僕の1km以内にいるのが、およそ120。


僕が同時に喋れるのは、5体。


——足りない。


まったく、足りない。


5体に伝えても、残りの365頭が動く。動けば、追撃が始まる。追撃が始まれば、東の街道で、86人が追いつかれる。


僕は、掴んだ。


5体。


『みなみ、つち、ない』


『やくそく』


『ない!』


『やくそく』


——駄目だ。


「うそ」が要る。


「うそ」という語が、要る。


僕は、その語を持っていない。持っていないなら、別の方法で伝えるしかない。


——見せればいい。


そう思った。


見せる。


北が、どうなっているかを。この子たちが「帰る」ことになる場所が、どうなっているかを。


それを見せるには、僕が、この子たちに触れる必要がある。


触れるには、近づく必要がある。


近づくには——


僕は、3つ目を、掴んだ。


『ギン』


——40km離れた砦にいる子に、届くはずがない。


届かなかった。


だから僕は、契約だけを頼りに、掴んだ。


同意なしでは、発動しない。それが原則だ。


——だが、このとき、返事が来た。


『いいよ』


砦にいるはずの子から。


1kmを、はるかに超えて。


——今でも、あれが何だったのかは分からない。


第4級・神獣。


その一語で片づけるには、あまりに都合がよすぎる。


《氷牙》が、僕の中に入った。


3つ目だった。


僕の上限は、2つである。


——世界が、白くなった。


音が消えた。


視界が、右から左へ、順番に落ちていった。落ちるというのは正確ではない。見えているのに、意味にならない。


鼻の奥で、何かが破れた。


熱いものが、口の中に流れ込んできた。


僕は、雪の上に、前のめりに倒れた。


——そこから先は、伝聞と、断片だ。


僕の意識は、そこで1度、切れている。


覚えているのは、雪の冷たさと、口の中の鉄の味だけだ。


以下は、あとで聞いた。


倒れた僕の上に、敵獣の群れが殺到した。


30頭以上。


そのうちの先頭が、僕まで6mのところに来たとき。


——白いものが、割り込んだ。


砦から、独断で走ってきた。


40kmを、2時間で。


体重、95kg。体長、1.2m。もう仔ではない。だが、成獣でもない。顔つきはまだ丸く、耳が体に対して大きい。


ギンは、僕を背に庇って、立った。


そして、一歩も退かなかった。


30頭を、1頭で止めた。


止めているあいだに、左の前脚を、砕かれた。


粉砕骨折。


橈骨と尺骨が、両方とも、3箇所ずつ。


それでも、退かなかった。


——上空から、ヒバリが降りた。


急降下だ。


飛竜の急降下というのは、翼を畳んで落ちる。落ちてから、地面すれすれで開く。開くときに、翼にかかる負荷が最大になる。


ヒバリは、開くのが遅れた。


僕を掴むために、体勢を無理に変えたからだ。


右の翼膜が、前縁から後縁まで、40cm裂けた。


裂けたまま、僕を掴んで、飛んだ。


——飛べる8騎が、援護に入った。


上空から降りて、低空を横切って、敵獣の群れの前を横断した。竜の影が地面を走ると、獣は伏せる。それだけで、時間が稼げる。


8騎は、1騎も落ちなかった。


飛行不能の3騎は、砦にいた。彼らは飛べないので、竜を牽いて、東の街道で負傷者と老人の搬送に回っていた。荷車が足りなかったからだ。


——ヒバリ1騎。援護8騎。砦の3騎。


12騎、全騎、生きて帰った。


——誰も、死ななかった。


住民、86人。全員。


家畜、178。全頭。


王国軍の兵、負傷19名、戦死ゼロ。


僕の獣、24体。重傷2体。死亡ゼロ。


敵の獣も、1頭も死んでいない。


——僕が砦の寝台で目を覚ましたのは、翌日の午後だった。


天井が、見えた。


石だ。ヴァルデン砦の石は、王宮のより粗い。


「起きたか」


リーゼが、椅子に座っていた。


僕は、口を開けた。


声が出なかった。喉が焼けていた。


「ギンは生きてる」彼女は先に言った。


「脚は砕けた。だが生きてる。ヒバリも生きてる。翼は裂けた。だが生きてる。……お前が聞きたいのは、それだろう」


僕は、頷いた。


「村は焼けた。人は86人全員助かった。家畜も全部だ。お前がやったことだ」


僕は、天井を見ていた。


——だから、どうした。


そう思った。


思ってしまった。


「……僕が」


声が、やっと出た。


「僕が、退いていれば」


「そうだな」


リーゼは、否定しなかった。


「お前が退いていれば、あの2体は無事だった」


——彼女は、嘘をつかなかった。


それが、いちばんきつかった。


「だが、退いていたら」彼女は続けた。


「お前は、あの獣どもに何も言わずに帰ったことを後悔する」


「……」


「どっちが正しいかは、わたしには分からん」


彼女は立ち上がった。


「飯は置いていく。食え」


扉が閉まった。


——僕は、天井を見ていた。


1日じゅう、そうしていた。


飯は、手をつけなかった。


窓の外で、雪が降っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。