#29 宣戦布告と、通じるようになった一語
12月19日、ヴォルガード帝国が宣戦を布告した。
文書は短かった。
アーリアが読み上げたのは、4行だった。
「『我らは飢えている。南は土地がある。よって、これを取る。異論があれば、剣で述べよ』」
——それだけだった。
広間が静まり返った。
理屈がない。名分もない。侵略の口実というのは普通、もっと飾るものだ。国境の権利がどうとか、条約の解釈がどうとか。
これは、飾っていなかった。
飢えているから取る、と書いてあった。
「……正直な文だな」
オズワルドが唸った。
「正直すぎます」アーリアは、書付を卓に置いた。
「これは、飾る余裕がないという意味です」
——ヴァルデン砦に、軍が集まった。
歩兵4000。騎兵600。工兵と輜重を合わせて1200。総勢6000。
そして、騎竜団の12騎。
軍議の席で、オズワルドは、これを明言した。
「言っておく。竜は、敵陣に突っ込ません」
将軍の1人が眉を上げた。
「ハーグ団長。竜は我が軍最大の打撃力では」
「打撃力ではない」オズワルドは断じた。
「竜は、目だ。空から見る目であり、敵に見せる影であり、伝令を運ぶ翼だ。突っ込ませれば、1日で半分死ぬ。それで残った6騎に、明日誰が偵察をさせる」
「しかし」
「わしは12騎全部を、生きて王都に返す」
彼は、そう言い切った。
「威嚇。警戒。探索。斥候。これがうちの仕事だ。それ以外はやらん」
——僕の番が来た。
僕は、軍議の卓の端に立たされた。
6000の軍を動かす人間が14人並んでいる部屋で、17歳の食客が喋る。まともな状況ではない。
僕は、緩衝地帯で見たことを、順番に話した。
灰色の大狼のこと。人間の隊列と歩調を合わせて動く獣の群れのこと。首の銀の環のこと。
そして、あの言葉のこと。
「あの子は、約束されていました」
僕は言った。
「南に土地がある。鹿がいる。群れも全部連れて行く。——そう約束されて、信じています」
「ふむ」
「そして、その約束は、たぶん守られません」
——沈黙。
14人の視線が、僕に集まった。
その沈黙の質を、僕は最初、緊張だと思った。
違った。
困惑だった。
「……綿貫殿」
いちばん端にいた老将が、口を開いた。70近い。北方戦線を3度戦った人だと、あとで聞いた。
「1つ、確かめたい」
「はい」
「獣に、嘘をつく必要が、あるかね」
「え?」
「獣は、鞭で動く。餌で動く。棒で叩けば退き、肉を見せれば来る。それだけの生き物だ」
老将は、悪意なく言った。
「そこに、嘘も本当もあるまい」
——僕は、言葉に詰まった。
詰まった理由は、反論できなかったからではない。
この人が言っているのは、この世界の常識だ、と分かってしまったからだ。
僕がこの半年で見てきたものは、この世界の誰にも見えていない。念話が使えるのは、大陸で僕1人だ。テイマーは37人いるが、他の36人は「獣に懐かれやすい」だけである。
だから僕が「獣が騙されている」と言っても、それは、理解されない。
「……あの子たちは」
僕は言った。
「本気で、信じてるんです」
「信じる、とは」
老将は、本気で不思議そうな顔をした。
「獣が、何を信じるのだね」
——僕は、答えられなかった。
答えるための言葉を、僕は持っていなかった。
軍議は、そのまま進んだ。
僕の話は「参考として記録する」ことになった。それは、要するに、作戦には反映しないという意味だった。
——広間を出たとき、僕は自分でも驚くくらい、腹を立てていた。
腹を立てている自分に、驚いた。
僕はあまり怒らない。というより、怒り方を知らない。人が本気だと、こっちの言い分を引っ込めてしまう。あの老将は本気だった。だから僕は引っ込めた。
引っ込めておいて、廊下で、拳を握っていた。
「ユウマさん」
アーリアが追いついてきた。
「あれは、あなたの説明が悪かったのではありません」
「分かってます」
「分かっておいでですか」
「……分かってます」
「では、なぜ、そのような顔をしておられるのですか」
僕は、足を止めた。
「悔しいからです」
僕は、そのまま砦の裏の獣舎へ行った。
——うちの子たちは、そこにいた。
24体。
砦の獣舎は狭いので、半分は外だ。氷牙狼の4頭と雪狐が、雪の上で平気な顔をしている。モチは日の当たる壁際に山になっている。ソラが梁にいる。フクと雪兎が2羽、藁の中で固まっている。
僕は、真ん中に座り込んだ。
膝の上に、ギンが乗ってきた。20kg。もう「乗る」というより「のしかかる」だ。
アズキが走ってきて、僕の顔を舐めた。
臭い。
「……お前ら」
僕は、そこで、なんとなく、送ってみた。
理由はない。
ただ、悔しかったから。
『やくそく』
——僕は、返事を期待していなかった。
3ヶ月前も、4ヶ月前も、5ヶ月前も、送った。ずっと送ってきた。散歩の前に、飯の前に、出かける前に。
そのたびに、返ってきたのは『……』だった。
沈黙。
——だから、そのときも、僕は。
『……まつ』
——僕は、顔を上げた。
「え?」
アズキが、僕の前に座っていた。
尻尾を、ゆっくり振っていた。
『やくそく』
僕は、もう1度、送った。
『……わかった。まつ』
——通じている。
僕は、膝立ちになった。
ギンが膝から落ちた。文句を言われたが、聞いている余裕はなかった。
『アズキ』
『ごはん!』
『違う。やくそく、って、なに』
『……』
『やくそく、って、どういうこと』
『……いった』
『いった?』
『いった。あと、なる』
——言った。あとで、なる。
僕は、その場に座り込んだ。
そうだ。
そうだった。
——この半年ちかく、僕は、この子たちに、ずっとそれを言ってきた。
「あとで散歩に行くよ」と言って、行った。
「また明日な」と言って、来た。
「待ってて」と言って、戻った。
「今日は忙しいから、夜にな」と言って、夜に行った。
1000回はやっている。たぶん、もっと。
——言ったことと、起きたことを、1000回、一致させた。
それが、この子たちの中に、1つの語を作った。
「言った。あとで、なる」
それが、この子たちにとっての「やくそく」だ。
僕は、震える手で、他の子にも送った。
『ススキ』
3歩後ろの狼が、顔を上げた。
『やくそく』
『……』
長い沈黙。
そして。
『……まもった』
——僕は、息を呑んだ。
『まもった?』
『……ユウマ』
『うん』
『……まもる』
この子は、僕がテイムした日から、1度も僕から離れていない。
森狼の群れが去った街道で、僕の3歩後ろについた日から、5ヶ月。
ずっといっしょにいること、それを約束だと言ってくれている。
『フク』
藁の中の兎が、耳を片方だけ動かした。
『やくそく』
『まってた』
——僕は、両手で顔を覆った。
待っていた。
そうだ。この子はいつも待っている。僕が出かけると、獣舎の入口の、いつも同じ場所に座って待っている。トトがそう言っていた。「フク、兄ちゃんが出てくとずっと戸のとこにいるんだよ」と。
僕は、それを、可愛いと思っていた。
可愛いと思って、それだけだった。
——語彙が、一段、増えた。
「まえ」と「あと」が通じるようになったのは、北へ行った頃だ。
そのうえに、「やくそく」が乗った。
——僕は、獣たちに囲まれて、しばらく動かなかった。
モチが寄ってきて、僕の背中に鼻を押しつけた。
『……しろいの……』
『……なく……?』
「泣いてない」
『……なく……』
「泣いてないってば」
アズキが顔を舐めた。ススキが3歩後ろに座った。ソラが頭に着地した。氷牙狼のハギが、僕の膝に顎を乗せた。ギンが、僕の背中側から、体を押しつけてきた。
20kgが押してくる。じわじわ押してくる。
——僕は、考えていた。
もし、「やくそく」が通じるなら。
あの灰色の狼に、僕は喋りかけることができる。
——でも、それだけでは、足りない。
あの子に「やくそく」が通じることは、もう分かっている。分かっているから、あの子は騙されている。
僕が伝えなければならないのは、そこではない。
伝えなければならないのは、その約束が。
——「うそ」だということだ。
僕は、顔を上げた。
『アズキ』
『ごはん?』
『うそ』
——沈黙。
『……』
長い。
『うそ』
『……』
——通じない。
僕は、目を閉じた。
『分かった。まだ、いいよ』
『ごはん?』
「うん。行こう」
僕は立ち上がった。
膝が痺れていた。30分近く座っていたらしい。
外に出ると、雪が降っていた。
砦の中庭では、6000の軍が、明日の準備をしていた。




