#19 北へ行きます
ヴィンド地方への調査行きが決まったのは、報せが入った3日後だった。
編成は、こうだ。
騎竜団から3騎。指揮はリーゼ・ファルク。記録係として第三王女アーリア・エル・ヴェリシア。教会からの監視役という名目でエステル・リーヴェ。護衛と輜重の兵が20人。獣舎番として、トト。
トトは、僕が言い出す前に荷物をまとめていた。「8体だぞ! 兄ちゃん1人で世話できるわけないだろ!」と怒鳴られた。12歳に怒鳴られて、僕は素直に頭を下げた。事実だったからだ。
そして、僕。
——それから、獣が8体。
出発の朝、王宮の中庭は、完全に動物園になった。
まずモチである。
荷車に積む荷が多いという話を、この熊はどこかで聞いてきたらしい。
『……もつ……』
「持たなくていい」
『……もつ……』
「持たなくていいってば」
400kgが荷車の下に潜り込んで、背中で持ち上げた。
車輪が、4つとも浮いた。
「うわあああ!」
荷が崩れた。干し肉の袋が破れて、中身が中庭に散らばった。兵が10人がかりで拾い、そのあいだにモチが3袋ぶん食べた。
次にソラだ。
この子は高いところが好きで、しかも人の頭を「高いところ」だと認識している。
出発の準備をしている20人の兵の頭を、次から次へと渡り歩いた。
「うわっ」
「なんだ今の」
「頭! 頭に何かいる!」
『とぶ!』
「ソラ、降りて」
『たかい!』
「人に乗らない」
『とぶ!』
会話が成立しない。この子は2語で足りている生き物なので、こちらの言うことは基本的に半分しか聞いていない。
クルミは、輜重隊長の財布を盗んだ。
正確には、頬袋に入れた。
発覚したのは出発の直前で、僕は輜重隊長に頭を下げながらクルミを追いかけ、王宮の中庭を3周した。捕まえて頬袋から出したら、財布のほかに、鍵が2本と、ボタンが5個と、干し葡萄が大量に出てきた。
干し葡萄は返さなくていいと言われた。
フクは、緊張していた。
この子は臆病で、いつも何かに怯えている。今日は特に人が多いので、朝からずっと後ろ肢で地面を叩いていた。
ダン。ダン。ダン。
「フク、大丈夫だから」
ダン。ダン。
「誰も襲ってこないから」
ダン。ダン。ダン。ダン。
「……分かった。上着に入れ」
僕は上着の胸に兎を入れた。角が刺さった。
ススキは、黙って僕の3歩後ろに立っていた。
この子はいつもこうだ。何も言わない。ただ、僕が動くと動く。止まると止まる。中庭が大騒ぎになっているあいだも、微動だにしなかった。
そしてアズキは。
全員に、吠えて回った。
理由はない。たぶん嬉しかったのだと思う。兵に吠え、馬に吠え、モチに吠え、荷車に吠え、最後に自分の尻尾に吠えた。
「……これ、軍なのか?」
リーゼが、鞍の上で呻いた。
「調査隊です」
「調査隊は熊を連れていかん」
「うちの調査隊は連れていきます」
アーリアが帳面を開いて、真面目な顔で書き取っていた。
「『第1日。中庭にて、荷車が浮上』」
「書かなくていいです、それ」
「記録係ですので」
エステルは、僕から5歩の距離を保っていた。
これは進歩である。2週間前まで、彼女はこれだけの数の獣たちがいる方向に体を向けることすらできなかった。
「エステルさん、平気ですか」
「……モチ様は、平気です」
「様?」
「あの方は、恩人ですので」
400kgが恩人になっていた。
——街道を、北へ。
初日は平坦だった。
王都の周りは麦の産地で、刈り入れの終わった畑がどこまでも続いている。空が広い。土の色が黒い。
——2日目に、密航者が見つかった。
食料の木箱を開けたら、猫が出てきた。
ゴマである。厨房の猫。三毛で、鼠を洗濯場の裏に運ぶ癖のあるやつ。
「お前、なんで」
『……』
『ねずみ』
「鼠はいないぞ」
『いる』
いた。
木箱の中に、干し肉を齧っていた鼠が2匹。ゴマは道中ずっと、輜重の荷を守っていたことになる。
これで9体になった。
輜重隊長が、ゴマを両手で持ち上げて、額をくっつけて礼を言った。財布のことは、たぶんこれで許してもらえた。
——道中は、正直に言うと、楽しかった。
野営の焚き火を、獣たちが囲む。
これは見物である。
火に近い順に、お決まりポジションがある。いちばん近いのがフク。この子は寒がりなので、火のいちばん近くに陣取って、誰が近づこうとも場所を譲らない。次がアズキ。ススキは焚き火から3歩後ろ。ソラは僕の頭。クルミは僕の膝。ゴマは兵の膝を毎晩替える。
そしてモチは、火の反対側に山になって寝る。
400kgが風上に寝ると、風除けになる。これに気づいた兵たちは、3日目から自分の寝床をモチの陰に移し始めた。
寝袋は、僕のぶんが毎晩なくなる。
理由は簡単で、獣が先に入るからだ。僕が寝ようとすると、既に中にアズキとフクとクルミがいて、隙間がない。どうにか体を押し込むと、上に乗られる。
4日目から、僕は寝袋に入るのをやめた。モチの腹にもたれて寝るほうが、暖かい。
蜂蜜の壺をめぐる攻防もあった。
モチが蜂蜜を好きなのはもちろん、クルミも好きだった。
この2頭のあいだで、静かな戦いが起きた。
クルミは、モチが寝ているあいだに壺の蓋を開けて、頬袋に詰める。詰めるのだが、蜂蜜を頬袋に入れると当然ながら大惨事になるので、この子は毎回、口の周りをべたべたにして、それから顔を上手く洗えなくて怒る。
モチは、クルミを追い払わない。
代わりに、壺を抱えて寝るようになった。
クルミは、400kgの腕の中から壺を引きずり出そうとして、3晩続けて失敗した。
4晩目、モチは壺に前肢を乗せたまま、片目を開けてクルミを見ていた。
『……だめ……』
『……』
クルミは諦めた。
——アズキは、川に落ちた。
はしゃぎすぎたのだ。
浅瀬で、水を跳ね上げて遊んでいて、足を滑らせて、そのまま流れた。3mほど流されて、自力で上がってきた。
上がってきて、僕のところへ走ってきて、そこで体を振った。
「やめ——」
遅かった。
濡れた犬は臭い。
これは何度でも言う。本当に臭い。しかもその飛沫が、僕の上着と、隣にいたアーリアの外套に、まんべんなく飛んだ。
「あっ、すみません、これ、あの」
アーリアは、外套に飛んだ水滴を、しばらく見ていた。
それから、笑った。
「ユウマ様。この匂いは、どうすれば取れるのですか」
「乾かすしかないです」
「乾いたら取れますか」
「取れません。ですが、マシにはなります」
「……そうですか」
彼女は帳面を開いて、書いた。
「『第4日。犬が川に落ちた。匂いは取れない』」
「本当に書かないでください、それ」
「記録係ですので」
——ここまでが、楽しい話だ。
ここからは、そうではない。
北へ進むにつれて、畑が痩せていった。
最初に気づいたのは、麦の株の間隔だった。王都の周りでは、刈り株が拳1つぶんの間隔で並んでいる。ヴィンドに入ると、それが拳3つぶんになる。株そのものも細い。
畑が減って、牧が増える。牧の草も短い。
そして、獣の姿が減った。
これは、僕にはかなりはっきり分かる。
《利き鼻》を借りなくても分かる。街道沿いの藪に、獣道がない。糞がない。鳥の声が少ない。
王都の郊外なら、1日歩けば鹿の足跡を10は見る。ヴィンドに入って2日、僕は1つも見ていない。
「エステルさん」
僕は馬車から降りて、地面に手をついていた彼女に声をかけた。
彼女は、しゃがんで、土を握っていた。
「……土が、冷たいです」
「冷たいですね」
「わたくし、南の生まれです。土がこんなに冷たいものだとは、知りませんでした」
彼女は土を落として、手を払った。
領主の館で、その夜、記録を見せてもらった。
アーリアが読み上げてくれた。
「『ヴィンド地方、20年間の記録。初雪の日付が、20年で31日早まっている。麦の刈り入れが19日遅れている。冬の平均気温が——』」
彼女は、そこで1度、言葉を切った。
「『3度、下がっている』」
「3度」
「はい」
僕は、その数字の意味を、すぐには掴めなかった。
3度というのは、日常の感覚では大した数字ではない。今日は昨日より3度寒い、と言われても、上着を1枚足すだけの話だ。
だが、それが20年続いたらどうなるか。
麦が実らなくなる。牧の草が伸びなくなる。木の実が減る。木の実が減れば、それを食べる鼠や兎が減る。そして、鹿も下へ降りる。鹿が降りれば——狼が、追う。
「氷牙狼が村を襲っているのは」
僕は言った。
「それのせいですか」
「因果関係を断定する記録はありません」
アーリアは言った。
「ですが、この20年の被害報告の件数と、初雪の日付は、きれいに重なります」
彼女は帳面を閉じた。
「そしてユウマ様。この寒さは、ここで止まっているわけではありません」
「というと」
「北です」
彼女は、窓のほうを見た。
「北のヴォルガード帝国は、ここよりさらに北にあります。ここで3度なら、あちらでは、もっとです」
館の窓の外で、風が鳴っていた。
——その夜、僕は厩でモチにもたれて寝た。
400kgの熊は、冬毛が生え揃って、去年より2割ほど大きく見えた。
『……さむい……?』
「ちょっとね」
『……はいる……』
「はいる?」
『……なか……』
熊が、腕を上げた。
——僕は、その日、熊の腕の中で寝た。
暖かい、なんてものではなかった。熱いくらいだった。毛の中に手を入れると、下毛が密で、指が沈む。そのさらに下に、皮膚があって、心臓の音がある。
犬より、ずっと遅い。1分間に、40回くらい。
その遅い音を数えているうちに、僕は眠った。
外では、風が鳴り続けていた。




