#18 2つまでなら、なんとか
11月の半ば、2つのことが同時に起きた。
1つ。念話が伸びた。
半径200m。同時に、3体。
気づいたのは、獣舎から書庫までの距離で3体と繋がったままだったからだ。アズキといっしょにトトにも走ってもらって測ったら、210mで切れた。
2つ。《スキル共有》が、2つ同時まで通るようになった。
これに気づいた経緯は、あまり格好よくない。
僕は嬉しくなって、アズキの《利き鼻》とヒバリの《風読み》を、同時に借りた。
『かして』
『いいよ!』
『ヒバリも、かして』
『いい』
——結論から言うと、1時間吐いた。
匂いと、気流が、頭の中で衝突したのだ。
《風読み》というのは、飛竜が空で使う感覚だ。空気の層の温度差、上昇気流の柱の位置、地形にぶつかって巻いている渦。それが、皮膚の表面に地図として貼りつく。
そこへ《利き鼻》が来ると、どうなるか。
匂いにも、方向と密度がある。
つまり、2つの立体地図が、同じ頭の中で、別々の座標系で展開する。
僕は獣舎の壁に手をついて、そのまま崩れた。
「ユウマ殿!?」
駆けつけたオズワルドに、僕は「大丈夫です」と言って、それから彼の靴に吐いた。
——ここから、訓練が始まった。
言い出したのは僕だ。オズワルドが「団の訓練場を使え」と言い、リーゼが監視につくことになった。
彼女は最初、露骨に嫌そうな顔をした。
「わたしは竜騎士だぞ」
「すみません」
「……まあ、いい。どうせヒバリが暇してる」
やったことは、地味だ。
誰の、何を、どの順で、何秒借りるか。
まず順番。《風読み》を先に入れて、体に馴染ませてから《利き鼻》を足す。逆にすると、必ず酔う。
次に時間。第2級・魔獣のスキルは、単独なら10分保つ。2つ重ねると、5分で頭が痛くなる。3分が実用の限界だと分かった。
そして、返し方。
急に切ると、頭が真っ白になる。じわじわ返すと、平気だ。
「そら、次」
リーゼが訓練場の端から声を飛ばす。
「《遠目》と《利き鼻》。3分。あの旗の色を3つ、順に言え」
「はい」
《遠目》はヒバリのもう1つのスキルだ。上空1kmから地上の兎を見分ける視力。これを借りると、訓練場の端の旗が、目の前にあるように見える。
ただし、視野が狭くなる。
望遠鏡を目に押しつけているのと同じで、周りが消える。だから足元が見えなくなって、僕は3回、転んだ。
「阿呆」
「はい」
「足元は借りない方が見える。切り替えればいい」
「はい」
——4日目の夕方、彼女は水の入った革袋を放って寄越して、それからこう言った。
「おい」
「はい」
「お前、疲れが顔に出ないな」
「そうですか」
「そういう奴の無理は、分かりにくい」
彼女は僕を見ずに言った。
「だから、自分で言え。きついときは、きついと言え。言わない奴は、いつか勝手に潰れる。潰れられると、こっちが困る」
「……はい」
「返事だけはいいな」
彼女はそう言って、竜舎のほうへ歩いていった。
僕は、それが褒め言葉だと気づくのに、3日かかった。
——ここで、うちの子たちの数を、1度きちんと数えておく。
アズキ。魔犬。体高58cm、体重24kg。
ヒバリ。飛竜。翼開長13m、体重710kg。
ススキ。森狼。相変わらず無口で、3歩後ろ。
モチ。魔熊。400kg。増えた。冬毛だから、らしい。
ソラ。魔モモンガ。滑空する魔獣。体長18cm。頭に着地する。
フク。角兎。片耳が垂れている。今日も何かに怯えている。
クルミ。魔栗鼠。僕の靴べらを盗んだ。
ツグミ。伝令鳥。王都と北の国境を1日半で飛ぶ。
スミ。書庫の白イタチ。スミの夫と子5匹は、まだテイムしていない。
バウ。王の老犬。15歳。膏薬が効いて、今は自分で階段を上れる。
ゴマ。厨房の猫。今も鼠を洗濯場の裏に運んでいる。やめる気配がない。
——11体。
3ヶ月と少しで、11体になった。
寝るとき、僕の寝台には毎晩、平均して4体が乗っている。乗る顔ぶれは日替わりで、お決まりの並びがあるらしい。アズキが必ず胸。ススキが足元。ソラとフクとクルミが空いたところ。モチは物理的に入らないので、寝台の横の床に寝る。400kgが床に寝ると、部屋が揺れる。
寝返りは、相変わらず打てない。
——さて。
その訓練の5日目に、それは起きた。
王都の西、街道の切通し。
崖崩れである。
昨夜の雨で斜面が緩んで、朝方に落ちた。街道が完全に埋まって、荷馬車が5台、立ち往生していた。
僕らが着いたときには、すでに人が集まっていた。土砂の上に登って、木の棒で突いている。誰かが叫んでいる。
「牛が2頭、下にいる!」
「御者の倅が見当たらん!」
——僕は、荷車から飛び降りた。
「リーゼさん、ヒバリを!」
「もう来てる」
彼女は既に竜を降りていた。判断が速い。
僕は土砂の縁に立った。
土砂の幅は30mくらい。深さは、浅いところで1m、深いところで3m。
『ヒバリ。目、かして』
『いい』
『アズキ。鼻、かして』
『いいよ!』
順番は守った。まず視覚。それから嗅覚。
——世界が、二重になった。
視界の中心が、望遠鏡になる。土砂の表面の、石の1つ1つが見える。木の根が折れた断面の、繊維の向きまで見える。
そこへ、匂いの地図が重なる。
土。水。折れた木の樹液。馬。人。人。人。人——集まっている20人ぶんの匂いが邪魔だ。捨てる。
捨てて、残ったものを拾う。
「……牛」
僕は指をさした。
「そこ。そこの、石が3つ重なってるところの、2m下」
「2m!?」
「もう1頭は、そこから右に4m。こっちのほうが浅いです。1mもない」
人が走った。
鋤が入る。土が跳ぶ。
「それから」
僕は目を閉じた。
匂いが、多すぎる。
集中する。呼吸を落とす。犬は嗅ごうとしていない。地図の上で、いつもと違うところだけを拾う。
——子どもの匂いというのは、大人と違う。
汗の成分が違う。皮脂が少ない。それに、この子は今朝、パンを食べている。ミルクのパンだ。口の匂いが残っている。
「……荷台の下だ」
僕は目を開けた。
「3台目の荷馬車! 横倒しになってるやつ! あの荷台の、下です!」
「下は土砂だぞ!」
「土砂の中じゃない、荷台と地面のあいだです! 車軸が支えになって、隙間ができてます! そこに潜り込んでる!」
御者の1人が、悲鳴みたいな声を上げて走った。
——掘り出すまで、28分。
牛が2頭。両方とも生きていた。1頭は前肢を折っていた。もう1頭は無傷だった。
そして、3台目の荷馬車の荷台の下から、6歳くらいの男の子が出てきた。
土まみれで、震えていて、泣いてもいなかった。
父親が抱き上げた瞬間に、やっと泣いた。
——鋤を握っていた男たちが、20人、いっせいに手を止めた。
いちばん手前の1人が、柄から手を離した。鋤が土に倒れる音が、やけに大きく響いた。誰かが「おい」と言って、誰も答えなかった。土砂の縁に立っていた村の女が、その場にしゃがみ込んで、両手で口を押さえた。
さっき「土砂の中だぞ」と怒鳴り返してきた男は、荷台の下の隙間を覗き込んで、それから僕を見て、また隙間を覗き込んだ。何度もやった。何度やっても、そこは人ひとりぶんの高さもない暗がりのままだった。
——全員、無事だった。
僕はスキルを返して、土砂の縁に座り込んだ。
じわじわ返す。急に切ると、頭が真っ白になる。分かっている。分かっているのに、このときは急いだ。
案の定、目の奥が痛くなって、鼻の奥に鉄の味がした。
「おい」
リーゼが革袋を差し出した。
「きついか」
「……きついです」
「よし」
彼女は、それだけ言って、僕の隣に座った。
騎竜団の隊員たちが、遠巻きに僕を見ていた。
泥だらけで、鼻の下に血をつけて、革袋の水をこぼしながら飲んでいる17歳を。
その目つきが、ここ数日と違っていた。
前は「変な奴」を見る目だった。
今は、違った。
うまく説明できないが、たぶん、「数に入れる」目だった。
——その夜。
僕らが王都に戻ると、王宮の門が開いていた。
夜中に門が開いているのは、早馬が来たときだけだ。
中庭に、泥だらけの馬が2頭。鞍から降りた伝令が、膝をついて水を飲んでいた。
オズワルドが階段を三段飛ばしで降りてきた。大声が、中庭じゅうに響いた。
「北からか!」
「はっ。ヴィンド地方より」
「読め!」
伝令は、書付を読み上げた。
1つ。ヴィンド地方北部で、氷牙狼の群れによる家畜被害が拡大している。周辺3村。頭数は40を超えると見られる。危険度、星4つ。
2つ。——これが問題だった。
国境の向こう、ヴォルガード帝国の側で、獣の群れが不自然な動き方をしている。
「不自然とは、なんだ」
「そこまでは、報告にありません。ただ、哨戒隊の長がこう書いております」
伝令は、書付を読み直した。
「『あれは、群れが移動しているのではない。歩調が揃いすぎている』」
——中庭が、静かになった。
オズワルドは、書付を受け取って、しばらく見ていた。
それから広間に上がって、卓に地図を広げた。
彼は地図を睨んだまま、腕を組んで、動かなかった。
僕は、その横に立っていた。
北の空は、王宮の窓から見ると、いつも雲が低い。この1ヶ月、ずっとそうだった。
11体。
半径200m、同時3体。
スキルは、2つまで。
それが、そのときの僕の全部だった。




