10話 溢れかえる不思議
アルベルトさんに案内されて着いたのは、別荘から少し歩いたところにあった野原の広がる萌黄の緩やかな丘だった。
その丘は、特に放牧しているという訳でも耕作している訳でもないに関わらず、園芸用の洒落た柵で仕切りがされていた。
何故なのだろうなと思いながら、連れられるがままに着いて行くと、アルベルトさんが「先に入ってみて」と柵の扉を開けながら私をそう促した。
そこに私が足を踏み入れた瞬間だった。
踏み込んだ場所から咲くまであと少しの状態のお淑やかな花が生えたと思うと、それは見事に柵の中の萌黄を小ぶりの白のもので包みこんだ。
草叢でベールを目一杯に広げて覆い尽くしたようなその光景を、まさに魔法以外の言葉で表せる人を私は探し当てられる自信はなかった。
「わあ……」としか言葉が出ない私に彼は「気に入ってくれるといいんだけど」と口では言いつつも、浮かべられたその笑顔には私を伺う色が全く感じられなかった。
「凄いですよ!まるでっ、まるで__」
と少し前に大人の仲間入りをしたにも関わらず、心の中で"あの日"のように矢継ぎ早に湧き出てくるものに収拾がつかなくなっているとアルベルトさんが私の代わりに言葉を紡いだ。
「魔法みたい、かい?」
「は、はい!」と彼の言葉に続いて食い気味に言った後に我に返った私は、想像以上に普段より声が出ていたことに気付いた。
「すみません、驚いてしまってつい……」
「まあまあ。これくらいは本来の反応だし、想定内だよ」
「君があまり変わってないというのは驚いたけどね」という言葉に少し気恥ずかしさを感じつつ彼の顔を見ると、彼は顔付きを真剣なものに変えて片手で口元を覆っていた。
少しだけそうしていると彼の姿が見えなくなった。
一瞬魔法かなにかでも使って消えたのかと思ったけど、すぐに彼は外側の柵に背を預けて座り込んでいたのを見つけた。
そうしていると思うと、彼は人差し指をヒョイとやって何も無いところに半弧を描いた。
すると彼の手元に出てきたのはコンパクトな大きさの幾つかの実験器具。
調合用の器具だろうか。
それと一緒に幾つか出てきたのは、見た事のない調合物のようなものだった。
淡く発光した胡桃程のサイズで、アジュールブルーの色味とパールのようなツヤを持つ実に、針葉樹の葉によく似ているかと思えば、彼の手の中で雪のようにほろほろと形を崩す若竹色の葉。
それを彼は手際よく数分であっという間に液状にしたものを、空いた小瓶に詰めて私に渡したのだ。
その液の色は、実の方のアジュールブルーが勝ったらしい。
なんのために私にこれを渡したのか意図がさっぱり分からずにいると、「これをその蕾に垂らしてくれるかい?」と彼が言ったので丁寧にコルクで封をされたその小瓶を開けてから、言われるがままにそれを垂らした。
しかし、何も起こらなかった。
足りなかったのかな、と思った私はまたその花にもう1滴その液を垂らしたのだが、その花は途端に自らの色を失って枯れてしまったのだ。
「1滴で大丈夫……と言うには遅かったみたいだね?」
調合器具を片付け終えたのか、先程まで調合をしていたとは思えない程の速さでこちらに来た彼は私の後ろからそう声を掛けてきた彼に思わず私は「そういうことは早めに言ってくれませんか……!?」と突っ込まずにはいられなかった。
「まあまあごめんよ、でもすぐに生えてくるだろうから」
突っ込んだ私に対してそう呑気に言っている彼の言葉は、発言通り見事にそのまま現実となった。
枯れていた花はそこにはなかった代わりに、また新しく花が芽吹いて蕾の状態で成長を止めたのである。
1つの花を枯らしてしまったことに罪悪感を持ちつつも、不思議に思っていると「一先ずあそこの木のところまで行こう。そこで落ち着いてからの方が話せるだろうから」と彼は言うので、丘の上の木を目指して私は歩み始めた。
あまりにも聞きたいことがあり過ぎたので、歩んでいる間にも関わらず私は彼に問うことにした。
「これって、もしかしてこの草原になにか仕掛けみたいなものでもあるんでしょうか?」
「仕掛けも何も、この雑草はミロルと言ってね。踏み込んだその人の人柄を表す花を地面に咲かせる不思議なものなんだよ」
「へぇ……」
「君が一番先に入ったから、今は君のが主に覆い尽くしてる」と彼が言う通り、この小さく白い綿毛に包まれた蕾は間違いなくエーデルワイスだ。
植物好きとしての誇りを持ちながら仕事をしていた私が、見間違えるはずもなかった。
しかし少しその発言について私なりに疑問もあったので、私はそれについて問い掛けた。
「今の状況みたいに、もし1人じゃなくて複数人入った場合はどうなるんですか?」
「それは丘に着いてからの方が良く分かると思う。お楽しみだよ」
「なるほど……?分かりました」
紳士の笑顔よりかは砕けた笑みを浮かべる彼とそうやり取りをして丘の上の木の下に着くと、私達2人はそこに腰を下ろすことになった。
丘の上から見た景色は素敵で。
何より1番驚いたのは、私の歩いていた隣の彼の歩いていたであろう場所に別の花が咲いていたことだった。
私の記憶では冬にしか生長しないはずではあったけれど、彼からの話を聞くにこの草原に咲くものはどうやら季節は問わないものの様だった。(思い返してみればこの花も高山植物だったかと思い、その思考は辞めることにした)
アルベルトさんが言っていた答えは確かにそこにあったのだ。
2人して立派な木の下に腰を下ろした私達は話をまた再開した。
「僕の場合はクロホウシだからね。エーデルワイスの方が僕には馴染みが深いから、そっちが良かった気もするよ」
「何を言ってるんですか。クロホウシもいい花ですよ?」
「別に好き嫌いとか、そういうことじゃないんだよ」
「それは分かってますよ。それくらい10年程も付き合えば分かることですから」
そう返すと彼は一瞬キョトンとしたかと思うと、表情をフッと笑って崩しつつ「やっぱり君は変わってる」と言うので、「何が変わってるんですか!?」と思わず付き合いを始めてからの長年の思いを返すと「いやいや」と添えながら彼はこう言葉を続けた。
「特に人間というのは、人との関わりで殆どが荒波に呑まれるから、君くらいの歳までには心をすり減らしてしまう。その荒波を作ってる当人達は皆、大人になるというのを知ろうともしないか勘違いしたままなんじゃないかって思うんだよ」
私はそのことをただ聞いていることしかできなかった。
更に彼は言葉を紡ぐ。
「本当の意味で大人になるっていうのは、僕の見解だと2つ段階があってね。第1段階は子ども心をあくまでも上手く隠すこと」
彼は言葉を心の中に堰き止めていたので「……それと?」と聞き返すと彼は口を開いた。
「子どもの時に養ったその子ども心をいつまでも忘れずに大事にすることだよ」
「……そうですか。アルさんはやっぱり大人ですね」
「そう見えてるといいんだけどね」と微かに残る陽の光が混ざった、始まったばかりの夜空を見上げながら言う彼のその横顔からは、笑っていたにも関わらず信じられない程に自嘲の感情が乗っていた。
命短し恋せよ二人……と言いたいところですね。
序章完結です。
ここまでで、続きが気になった人は栞代わりにブックマークしていただけると嬉しいです。
それとブックマーク30行ったらジェーンのパイロット版イラスト公開をさせていただきます。(美術部のお友達のが届き次第とかもあるとは思いますが……達成と公開にラグが発生しかねないことについてはお詫び申し上げます)




