第45話 王冠は、王を助けるためではない
朝陽が差し込む王宮の評議会室。
長机の上に山のように積まれた古文書と羊皮紙の束を前に、四人の人間が集まっていた。
国王アルノルト二世、臨時王命校正官ユリウス・ヴェルナー、宰相コンラート・ハイム。そして、目の下に濃い隈を作りながらも、尋常ではない興奮で目をギラつかせている王立魔法学院のミラ・フェルベック博士である。
「――では、さっそく解析結果の報告に移ります!」
ミラがバンッと机を叩き、一番上に置かれていた羊皮紙の束を指差した。
「これは、王冠の宝珠内部に暗号化されて蓄積されていた、直近一年間の『自動履歴データ』を可読化したものです」
「自動履歴……。初めに見せていただいた記録の、続きですね」
ユリウスが眼鏡を押し上げた。
「ええ。まずは、王冠がいかなる法則と認識で事象を記録していたのか、古い順からいくつか確認してみましょう。ヴェルナーさん、読み上げをお願いできますか?」
「承知しました」
ユリウスは一番上の羊皮紙を手に取り、その文面を一瞥して、微かに眉を動かした。
そこには、異様なほど無味乾燥で、一切の情緒を排した公文書体の文字が並んでいたのだ。
「読みます。……『発動文:猫の手も借りたい。対象:王都周辺の公的および野良の猫。結果:王宮への大量集結、およびそれに伴う可動物の経路確保。訂正:猫の帰還命令。備考:私有の飼い猫は対象外』」
「……」
アルノルトの顔が、僅かに引きつった。あの日、王宮中が毛まみれになり、大パニックに陥ったあの凄まじい事件が、たった数行の無機質な事務連絡として処理されている。
「次に行きます。『発動文:未処理の公文書だって山ほどある。対象:各部署の未処理書類。結果:一室への山積み。訂正:元の部署への返還。備考:私有物への作用なし』。……次。『発動文:壁を取り払う。対象:第一・第二会議室を隔てる可動壁。結果:隣室の秘密会議との物理的合流。訂正:発動文撤回。職員による壁の再設置。備考:情報隔離の崩壊を確認』」
ユリウスの淡々とした、平坦な朗読が続く。
『発動文:花を添える。対象:王宮所有の装花。結果:演台への密集』
『発動文:気を引き締めろ。対象:近衛隊の王国支給装具。結果:留め具の一段収縮。備考:人体への直接作用なし』
『発動文:国境の門を開こう。対象:エルデン側管理の門および防護柵。結果:半開き。備考:他国法域への作用不能』
次々と読み上げられる、この一年間の大事故、珍騒動の数々。
当時はあんなに必死に駆け回り、怒号が飛び交い、国家の危機だと騒ぎ立てていたというのに。こうして後から定型の事務フォーマットで羅列されると、ただの「滑稽な失敗集」にしか聞こえない。
「く、ふっ……」
ついに、コンラート宰相が扇子で口元を隠し、肩を震わせて笑いを堪え始めた。
「……笑い事ではありませんよ、宰相閣下。この調子で、あと数十件あります」
ユリウスはジト目でコンラートを睨んだ後、手元の羊皮紙の束をパラパラと捲った。
「それにしても、この記録フォーマット……まるで、私がこの一年間、法制局で書き続けてきた始末書の束を見ているようです。国家の最高神器の記録が、下級官吏の業務日誌と同レベルとは」
「まさにそこなのです!」
ミラが身を乗り出し、机の上に広げた別の古文書――ボロボロの『魔導具開発日誌』の翻訳文を指差した。
「なぜ、記録がそんな無味乾燥な公文書体なのか。なぜ、あれほど強力な魔法のアーティファクトでありながら、引き起こす事象は『非致死』で『最小規模』にとどまり、人体そのものには直接干渉しないのか。……その答えが、この古代の日誌にありました」
ミラは大きく息を吸い込み、議場に響く声で宣言した。
「古代王冠は、現代で信じられているような『王の言葉を国土へ行き渡らせるための演説補助装置』などではありません。その本来の目的は――『暴君対策の教育・抑制装置』です」
「教育装置、だと?」
アルノルトが身を乗り出した。
「はい。古代のエルデン王国において、絶対的な権力を持つ王の『軽率な一言』がいかに国を乱すか。それを防ぐため、古代の魔術師たちはこの王冠を作りました」
ミラは履歴の束を指差した。
「王が比喩や抽象語で物事を曖昧に命じた時、王冠は意図を読まず、あえて『字義通りの最小の現実結果』を返す。そして、その失敗を事務的な公文書体で自動記録し、本人に突きつける。そうすることで、王自身に『口は災いの元である』『自分の言葉には物理的な重さと責任がある』という事実を、強制的に学ばせるための装置だったのです」
「……」
「だから人体を直接操作せず、規模も抑える。ただ、運用の混乱まで無害になるわけではありません。復旧に走るのは、皆さんですから」
静寂が、評議会室に満ちた。
ユリウスは、アルノルトの横顔を見つめた。
アルノルトは、自分の両手をじっと見つめ、深く沈黙していた。
「『必要なところへ優先して』も、ここにあるか」
王が訊いた。ユリウスは該当する記録を差し出した。
「後から地域と数量を指定し直した記録もあります」
「初めに、それを言えばよかったのだな」
「はい」
王は冠に触れた。
「ずいぶん回りくどい教師だ。返却する課題が多すぎる」
「添削する側としても、同感です」
「……もう一つ、重要な報告があります」
ミラが、古文書の最後のページを開いた。
「初期から謎だった、修復記録にある『第一更新刻印』の真実です」
「更新刻印……ああ、修復記録の、意味が判然としなかった箇所か」
コンラートが頷く。
「はい。この教育装置は、王を一生縛り付けるものではありません。日誌によれば、第一更新刻印とは……『戴冠からちょうど一周年を迎えた日に限り、王冠の強制機能を、安全に完全に封印できる選択権』のことです」
ユリウスの目が、微かに見開かれた。
「無理な破壊ではなく、正当な手続きによる機能停止が可能ということですか」
「そうです。一年間、言葉の重みを学んだ王に対し、そのまま機能を維持するか、それとも教育期間を終えたとして封印するかを、一周年記念の式典において王自身の意思で選択できるよう設計されていたのです」
ミラの言葉に、議場は再び深い沈黙に包まれた。
アルノルトの戴冠一周年記念式典は、あと数日後に迫っている。
アルノルトは、手元にある自らの「恥ずかしい失敗の履歴」の束を静かに撫でた。
一年間、この呪いと格闘し、ユリウスと共に血の滲むような努力で言葉を磨いてきた。その教育期間の終わりが、すぐ目の前まで来ている。
「……封印するか、残すか」
アルノルトが呟いた言葉は、誰に問いかけたものでもなかった。
「陛下」
ユリウスが、赤ペンを置いて静かに言った。
「王冠の本来の目的と、安全に封印する手段が存在することが確認されました。……これで、私の作り上げた『王言標準法』という過剰な枷で、陛下を永遠に縛る理由はなくなりました」
ユリウスの言葉には、確かな安堵が滲んでいた。
「あとは、陛下の、そして国家としての決断です。この力をどう処遇するか……明日の評議会にて、最終的な審議を行いましょう」
アルノルトは深く頷き、窓の外の空を見つめた。
王の言葉は誰のものか。そして、言葉の責任をどう背負っていくのか。
すべての決着をつけるための、最後の日々が始まろうとしていた。




