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陛下、比喩は禁止です。~「猫の手も借りたい」で猫まみれ。王の失言、校正します~  作者: 他力本願寺


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第18話 正しく使えば便利です

東部地域を季節外れの豪雨が襲ったのは、前日の夜半のことだった。


 王宮の執務室には、早朝から被害報告を持った早馬の伝令が次々と駆け込んでいた。


「東部、セルメ川の堤防の一部に亀裂を確認! 小規模な氾濫が発生しており、近隣の農地に浸水被害が出ています!」


「人的被害は報告されておりませんが、堤防の完全決壊を防ぐため、至急、大量の土嚢と復旧資材の搬入が必要です!」


 報告を聞いた国王アルノルト二世は、広げられた地図の上に赤い駒を置きながら、鋭く目を細めた。


「現場の役人の対応だけでは間に合わんな。王都の中央倉庫から、ありったけの土嚢と馬車を回せ」


「それが……」


 建設局の役人が顔をしかめる。


「現在、馬車の多くは北部の街道整備に出払っており、王都に残っている車両をかき集め、さらに土嚢を積み込んで出発させるとなると、半日はかかってしまいます」


「遅い。それでは決壊に間に合わん」


 アルノルトは短く切り捨てると、背後に立つ臨時王命校正官、ユリウス・ヴェルナーを振り返った。


「ヴェルナー。王冠《レクス・ヴェルブム》を使うぞ。以前、被災地に毛布を送った時と同じだ。あれなら一瞬で準備が整う」


 かつてのアルノルトであれば、「風のように急行せよ」などの比喩を使って大惨事を引き起こしていたかもしれない。だが、様々な事故を経て学習した彼は、王冠を「既存資源の物理的配置と行政書類の自動生成システム」として合理的に利用することを提案したのだ。


 ユリウスは眼鏡の位置を直し、一度だけ頷いた。


「……承知いたしました。確かに、通常の行政手続きでは間に合わない緊急事態です。ですが、前回と同じく、施療院の馬車は対象から除きます。私が、一切の穴がない完璧な限定運用命令書を作成します」


 ユリウスは即座に執務机の端に陣取り、手元の羊皮紙に猛烈な勢いで黒インクのペンを走らせ始めた。


 彼が書き出したのは、もはや軍の作戦指令書よりも緻密な、条件指定の塊であった。


「王冠は、人体そのものを魔法で強制移動させることはしません。あくまで『土嚢』や『馬車』といった既存の物質を移動させ、人間に対しては『配車指示書』という行政上の書類を発行するだけです。ですから、指示書を受け取った御者たちが、即座に自らの意思で馬車を出せるよう、行動の目的と報酬も明確に条文化します」


 カリカリカリカリ、とペン音が響く。


「動員対象は、王宮第一および第五倉庫の予備馬車のみ。数は五十台。積み込む土嚢の数は一台につき百個。出発時間は発令後十分以内。そして、除外業務の指定……王都の防衛、医療、食料輸送に関わる一切の車両および人員は、この王命の対象外とする」


 十分後。


 書き上げられた羊皮紙三枚にわたる分厚い命令書を渡され、アルノルトは小さく息を吐いた。


「……長いな。だが、やるしかない」


 アルノルトは立ち上がり、咳払いをして喉を開いた。そして、手元の原稿を一字一句、全く間違えることなく、王としての公的な威厳を込めて読み上げ始めた。


「この命令の対象から、防衛・医療・食料輸送の車両と人員、故障車、他の緊急業務に割り当て済みの物資を除く。残る第一・第五倉庫の土嚢五千袋を、条件に適合する予備馬車五十台へ百袋ずつ積載せよ。物流局第三班の待機人員へ、王都東郊セルメ川の指定集積場へ運ぶ指示書を交付せよ。手当は緊急配送規程の額とする」


 アルノルトの朗々とした声が執務室に響くにつれ、彼の頭上に鎮座する王冠が、呼応するように淡い銀色の魔力を放ち始めた。


 直後、執務室の窓の下、広大な中庭で驚きの声が上がった。


「動いてるぞ! 土嚢が勝手に!」


 役人たちが窓枠にしがみつく。


 第一倉庫の重い扉が自律的に開き、中から巨大な土嚢の山が、見えないクレーンで持ち上げられるように宙に浮き上がった。そして、整列した五十台の馬車の荷台へと、積み木を組むように寸分の狂いもなく正確に積み込まれていく。


 それと同時に、王宮内の待機室で休んでいた物流局の御者たちの手元に、公印が押された「緊急配車指示書」と「手当支給証」が、執務用の紙とインクで作成され、開いた扉から順に届いた。


 王冠は、人間の自由意思は操作しない。しかし、目の前に突然現れた完璧な正規書類と特別手当の証書を見れば、有能なエルデンの役人たちはどう動くべきか即座に理解する。


「王命だ! 急げ、東部へ向かうぞ!」


 御者たちが自らの意思で駆け出し、次々と馬車の御者台に飛び乗っていく。


 アルノルトが読み上げを終えてからわずか数分後。準備の整った五十台の馬車が、砂埃を上げて王宮の門を駆け抜けていった。


「……素晴らしい」


 建設局の役人が、震える声で窓の外を見送った。


「半日かかるはずの準備が、ものの数分で終わってしまった。除外条項によるトラブルの報告もありません。完璧な配車です」


 アルノルトは原稿を机に置き、額の汗を拭った。


「ふう。うまくいったな、ヴェルナー」


「はい。条件さえ極限まで精緻に設定すれば、王冠は極めて優秀な実務処理機構として機能します」


 ユリウスもまた、自らの設計した命令書が完璧に機能したことに、静かな手応えを感じていた。


 曖昧な言葉さえ排除すれば、王冠は敵ではなく、強力な道具になる。


 二人は、王冠との正しい付き合い方をついに見出したような、そんな心地よい達成感に包まれていた。


 しかし。


 その見事な成功劇を見ていた各省庁の官僚たちの目は、二人のそれとは全く違う、恐ろしく打算的な光を帯びていたのである。


 その日の午後。


 アルノルトの執務室の前に、見たこともないほどの長蛇の列ができていた。


「……なんだ、これは」


 扉を開けたアルノルトは、廊下にずらりと並ぶ各省庁の長官や高級官僚たちを見て、目を丸くした。


 先頭に立っていた財務局長が、揉み手で近づいてくる。


「陛下! 先ほどの東部への王命による一斉手配、見事な手際でございました。我々も深く感銘を受けまして……つきましては、我が財務局が抱える、北部への税収台帳の返還業務。これもぜひ、王冠の力で一瞬にして片付けていただきたく!」


 財務局長は、分厚い書類の束をアルノルトの前に突き出した。


「なっ……」


 続くように、法務局の役人が横から顔を出す。


「我が局もお願いいたします! 省庁間の境界が曖昧で、三年も揉めている土地の権利確定問題があるのですが、これも陛下が王冠を用いて『法務局の管轄とする』と一言読み上げて確定していただければ、面倒な調整が一発で終わります!」


「我が兵務局の、演習場への武具運搬もぜひ!」


 官僚たちが次々と、アルノルトの机の上に『利用申請書』を山のように積み上げていく。


 彼らの思考は合理的で、かつ腐敗していた。


 すなわち、「複雑で面倒な部署間の調整や、物理的な労力がかかる手配も、王命という絶対の力で確定してしまえば、自分たちの仕事が減る上に、後から責任を問われることもない」というわけだ。


 瞬く間に、アルノルトの机の上には、彼が読み上げるためだけの『読み上げ待ち案件』が、山脈のように連なってしまった。


「ふざけるな!!」


 アルノルトの怒号が、執務室に響き渡った。


「余の喉は行政インフラではないぞ! なぜお前たちの日常業務の尻拭いを、余がいちいち呪いの王冠を使って処理してやらねばならんのだ!」


「しかし陛下、あれほど便利で確実なものを、緊急時だけしか使わないというのは国家の損失では……」


「黙れ! 余は王だ、配車係でも倉庫番でもない!」


 アルノルトが激怒する横で、ユリウスは冷徹に申請書の山を腕で払い落とした。


「陛下の仰る通りです。便利だからといって安易に制度化し、王冠への依存を深めれば、すべての実務的負担と責任のしわ寄せが最終的に陛下の喉に戻ってきます。それは統治ではなく、ただのシステムエラーです」


 ユリウスは眼鏡を光らせ、官僚たちを鋭く睨みつけた。


「王冠の力を行政の怠慢の隠れ蓑にすることは許しません。本件以降、王冠の意図的利用は『国家の緊急事態における限定用途』のみに絞る方針とします。お持ちの申請書はすべて却下です。自らの足と手で仕事をしてください」


 ユリウスの冷酷な通告に、官僚たちは「ちぇっ、せっかく楽ができると思ったのに」と口々にぼやきながら、渋々撤退していった。


「まったく……少しうまく使えたからといって、これだ」


 アルノルトはどっと疲れが出たように長椅子に沈み込み、冷めた紅茶を喉に流し込んだ。


「魔法が成功するよりも、それに群がる役人の申請書の方がよほど恐ろしいわ。危うく、余は一生書類を読み上げ続けるだけの音声出力装置にされるところだった」


「人間の怠惰は、時に魔法よりも厄介ですね」


 ユリウスが散らばった書類を片付け始めた、その時だった。


 バンッ! と、執務室の扉が勢いよく開かれた。


「陛下! 校正官殿!」


 飛び込んできたのは、王立魔法学院のミラ・フェルベック博士だった。彼女の両腕には、複数の魔力測定器が抱えられている。


 普段は実験好きで楽天的な彼女の顔色が、珍しく蒼白になっていた。


「フェルベック博士。どうした、そんなに慌てて」


「先ほどの、東部への五十台の馬車と土嚢五千袋の連続移動。あの運用データを確認したのですが……」


 ミラは息を切らしながら、測定器の針をアルノルトたちに見せた。


「針が、危険域を指しています。王冠は無から魔力を生み出しているわけではありません。効果の規模に応じて、王冠内部の蓄積魔力だけでなく、王宮全体の魔力網から莫大なエネルギーを吸い上げています」


 ミラの言葉に、アルノルトとユリウスの表情が引き締まった。


「どういうことだ?」


「この規模の連続使用を続ければ、王宮全体の魔力網の残量が保ちません。限界を超えれば、王宮のインフラそのものに深刻な影響が出ます」


 ミラの深刻な警告が執務室に響いた直後、アルノルトの頭上のシャンデリアが、チカチカと不吉な明滅を始めた。

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