第14話 王の食レポ
抜けるような青空が広がる、王宮の中庭。
色とりどりの天幕が張られた特設会場には、エルデン王国の各地から集まった領主や生産者たちが、自慢の名産品を並べて熱気を帯びていた。本日は、新王アルノルト二世に地方の特産品を披露する『地方名産試食会』である。
アルノルトは、会場の正面に設けられた長机の中央に座り、目の前に次々と運ばれてくる瑞々しい果物や色鮮やかな焼き菓子を眺めていた。
本来であれば、天性の話し手である彼にとって、民と触れ合い、その労をねぎらうこの上なく楽しい公務のはずである。
しかし、アルノルトの表情は、これから死地に赴く兵士のように強張っていた。
「……ヴェルナー。本当に、一切の比喩は駄目なのか」
アルノルトは、斜め後ろに直立している臨時王命校正官、ユリウス・ヴェルナーに小声で尋ねた。
「当然です、陛下」
ユリウスは手元のバインダーに挟んだ羊皮紙をトントンと叩き、眼鏡の奥から冷徹な視線を放った。
「人体そのものは対象外です。ただ、身につけた王国支給の装具や、会場の設備に作用した例があります。食べ物の評価が、周囲の物を動かす指示にならないようにしてください」
「……分かった。分かっている。だが、味覚というものを比喩なしでどう伝えろというのだ」
「事実と数値、そして客観的な状態のみを描写してください。陛下の語彙力に期待しております」
王はカードを見下ろした。料理の感想を言うために、衣服と家具の一覧まで読むことになるとは思わなかった。
そこへ、南部の領主と日に焼けた農夫が、恭しく木箱を運んできた。
「陛下。我が領地で長年かけて品種改良を重ねた、新種の『陽光果』でございます。どうか、ご賞味ください」
木箱の中には、黄金色に輝く、大ぶりの果実が敷き詰められていた。切り分けられた一つが、銀の皿に載せられてアルノルトの前に供される。
アルノルトは銀のフォークで果肉を突き、口へ運んだ。
途端に、爽やかな甘味と豊かな果汁が口いっぱいに広がる。
アルノルトは感動のままにそう叫びたくなった。だが、背後からユリウスの『南風? 陽だまり? 気象操作の王命ですか?』という幻聴が聞こえ、慌てて言葉を飲み込んだ。
生産者の農夫が、期待に満ちた、きらきらとした目で王の感想を待っている。
アルノルトは咳払いをして、極限まで安全性を高めた言葉を紡いだ。
「……うむ。果汁の糖度は極めて高く、酸味との比率は適切である。咀嚼時の抵抗は少なく、喉越しも良好と認められる」
しん、と。
会場の空気が止まった。
農夫の顔から期待の色がすっと消え、代わりに困惑と不安が浮かび上がる。
「あ、あの……陛下? それは、つまり……」
「外観の色素も均一であり、市場に流通させる品質基準を十分に満たしていると評価する」
アルノルトは無表情を取り繕いながら、額に冷や汗をかいていた。
農夫は「は、ははぁ……品質基準、満たしておりますか。それは、重畳で……」と、褒められているのか指導されているのか分からない様子で、青ざめて下がっていった。
「完璧な事実の描写です、陛下」
ユリウスが背後で小さく呟くのが聞こえ、アルノルトはテーブルの下で拳を握りしめた。
続いて、東部の商人組合が特産の焼き菓子を持ってきた。
「陛下、こちらは我が地方で古くから伝わる製法で焼き上げた、蜂蜜と木の実の焼き菓子でございます」
アルノルトは菓子を手に取り、一口かじった。外はサクッとして香ばしく、中はしっとりとして蜂蜜の風味が濃厚だった。
しかし、比喩は禁止されている。
「……うむ。表皮の硬度と内部の柔軟性の差異が著しく、小麦の香りが規定値以上に感じられる。蜂蜜の粘着性も適度であり、保存食としての実用性も高いと推測される」
商人の顔が引きつった。
「ほ、保存食……? いや、これはお茶請けの菓子として……」
「カロリー密度も高く、兵站の補助食料として軍務局に推奨できる」
「兵站!?」
商人が悲鳴のような声を上げた。
場は硬直していた。せっかくの祝祭の空気が、王の口から発せられる無味乾燥な成分分析によって、みるみるうちに冷え込んでいく。
その時、長机の端に座っていた宮廷詩人ラファエル・モーンが、大げさな身振りで立ち上がった。
「おお、なんということだ! 私の口にも一つ、その焼き菓子を運んでいただけないか!」
ラファエルは商人が差し出した菓子を一口食べると、両手を高く天に突き上げた。
「美味なるかな! これはまさに、天使が微睡む雲の味わい! 蜂蜜の黄金の滴が、森の妖精たちの歌声とともに舌の上でワルツを踊っている! ああ、我が魂は今、東部の豊かな森を駆け抜けているぞ!」
大歓声が上がった。
「おおおっ!」
「さ、さすがは宮廷詩人殿!」
「天使のワルツ! もったいないお言葉でございます!」
商人たちはラファエルの華麗な比喩に涙を流して喜び、周囲の者たちも拍手喝采を送っている。王冠の対象外であることを良いことに、ラファエルは表現の自由を存分に謳歌していた。
アルノルトは、喝采を浴びるラファエルをひどく羨ましそうに見つめていた。
落ち込むアルノルトの横で、王妹のエリーゼが紅茶のカップを置きながら、呆れたようにため息をついた。
「兄上。なんだか、見ていて可哀想になってくるわ」
「エリーゼ……笑いたければ笑え。余はもう、味覚の欠如した監査官だ」
「誰もそんなこと言ってないわよ。ただ、ちょっと考えすぎなのよ」
エリーゼは、アルノルトの前に次々と置かれていく特産品の皿を指差した。
「生産者の方々は、法制局の審査を受けに来たんじゃないわ。兄上においしいって言ってもらいたくて、一生懸命作ってきたのよ。受け手の目線になって考えてみて。比喩がなくても、気持ちは伝わるでしょ?」
「気持ち……」
アルノルトは呟いた。
「そうよ。もっと短く、素直に言ってあげればいいのよ。小難しい言葉で飾らなくても、兄上の顔を見れば分かるんだから」
その時、北部の寒冷地から来たという老夫婦が、質素な木皿を運んできた。
「陛下……我々は、これといった華やかな果物も菓子も作れません。ですが、冬を越すために丁寧に仕込んだ、特産の干し肉をお持ちしました。塩と香草だけで漬け込んだ、素朴なものです」
老夫婦は、他の派手な名産品に引け目を感じているのか、自信なさげに身を縮めていた。
アルノルトは、その木皿から一切れの干し肉を手に取った。
少し硬いが、噛みしめると肉本来の深い旨味と、香草の爽やかな香りがじんわりと染み出してくる。厳しい冬を乗り越えるための、人々の生活の知恵と丁寧な仕事が、その一切れに詰まっていた。
アルノルトは、ゆっくりと咀嚼しながら考えた。
これを、どう表現するか。
『塩分の浸透圧が適正で、タンパク質の凝縮率が高い』などという馬鹿げた役所言葉で、この老夫婦の苦労を貶めていいわけがない。かといって、『冬の妖精が残した魔法の肉』などという比喩は使えない。
エリーゼの言葉が耳によみがえる。
『受け手の目線になって。もっと短く、素直に言ってあげればいいのよ』
アルノルトは干し肉を飲み込むと、真っ直ぐに老夫婦の目を見た。
無理に美しい表現を探そうとも、法文のように分解しようともしなかった。ただ、感じたままの事実を、感謝を込めて、力強く声に乗せた。
「……うまい」
その一言だけだった。
背後のユリウスは無言だった。王冠も、何の反応も示さない。
だが、その短くも実感のこもった王の直球の言葉は、どんな華麗な比喩よりも深く、老夫婦の心に刺さった。
「あ……っ」
老妻が両手で口を覆い、老夫の目からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「陛下……! うまいと、うまいと仰ってくださったか!」
「もったいないお言葉でございます! 我々の苦労が、報われました……!」
二人は泣き崩れんばかりに頭を下げた。
周囲の生産者たちからも、温かい拍手が巻き起こった。ラファエルの詩のような華やかさはないが、王の素直な一言が、人々の心を確かに震わせたのだ。
アルノルトは、老夫婦に優しく頷き返しながら、目を見開いていた。
飾る必要など、なかったのだ。
数時間後。試食会は和やかな雰囲気のまま終了し、アルノルトとユリウスは執務室に戻っていた。
「本日の王言レビューを行います」
ユリウスが台帳を開く。
「事前の禁止語句の徹底により、物理事故はゼロ件。後半の試食においては、感情を伴う表現でありながら、対象と意味が完全に一意に定まる安全な単語のみが使用されました」
ユリウスは赤ペンを置き、アルノルトを見た。
「安全と伝達が両立した、良い発言でした。陛下」
それは、ユリウスなりの最大限の肯定だった。
アルノルトは長椅子に深く腰掛け、窓の外の青空を見上げながら静かに笑った。
「短い言葉でも、飾らなくても、十分に伝わるのだな。むしろ、短い方が相手に直接届くこともあると分かった」
「ええ。修辞は時に本質を覆い隠します。事実に勝る説得力はありません」
「だが、やはり味気ないのは事実だ。余は、余なりの言葉を探さねばならん。比喩を使わずとも、この王冠の制限の中で、民の心を打つ『王の言葉』を」
アルノルトは手元のメモ帳を引き寄せ、白紙のページに羽ペンを走らせ始めた。
「短くても伝わる表現……。いくつか研究してみるとしよう」
机に向かう王の横顔は、言葉を奪われて絶望していた時とは違う、新たな武器を模索するような前向きな光を帯びていた。
ユリウスはそれ以上何も言わず、ただ事務的に明日の予定表を整理し始めた。
二人の関係は、少しずつだが、確実に歩み寄りを見せていた。




