第13話 比喩保存会
王宮の廊下を、色とりどりの派手な羽飾り付き帽子を被った集団が行進していた。
彼らが掲げているのは、美しく装飾された羊皮紙のプラカードである。そこには達筆な文字でこう書かれていた。
『言葉を殺すな!』
『美しき隠喩に自由を!』
『王宮から修辞を奪う法制局の暴挙に抗議する!』
先頭を歩くのは、宮廷詩人ラファエル・モーンであった。彼はすれ違う官僚たちに向けて、悲痛な声で訴えかけていた。
「諸君! 言葉は我々の魂の羽ばたきだ! それを事務的な檻に閉じ込めることは、国家から文化という光を奪うことと同義である! 共に立ち上がろうではないか!」
臨時王命校正官ユリウス・ヴェルナーは、執務室の開いた扉からそのデモ行進を冷ややかに見つめていた。
事の発端は、数日前に起きた『徴税台帳空飛ぶ事件』である。
書面の読み上げであっても王冠の字義解釈が容赦なく発動すると痛感したユリウスは、王宮内の全省庁から上がってくる「王の原稿」を徹底的に検閲し始めた。
その過程で、官僚たちが好んで使う「問題を洗い出す」「市場を冷やす」といった慣用句が次々と赤ペンで消され、無味乾燥な手続きの記述のみに書き換えられた。
その余波が、王宮に出入りする文化人や詩人たちに伝わったのだ。「王宮から一切の比喩と感情語が排除されようとしている」という危機感は、彼らを結束させ、ラファエルを筆頭とする『比喩保存会』なる抗議団体の結成に至らしめた。
「……暇な人たちですね」
ユリウスが眼鏡を中指で押し上げると、背後で長椅子に寝転がっていたアルノルト二世が重いため息をついた。
「お前の極端な校正のせいだろう。だが、モーンの言うことにも一理ある。言葉から一切の装飾を奪えば、それはただの記号だ。余の言葉は、今や記号の羅列に等しい」
「記号で十分です。記号は暴走しません」
ユリウスは即答し、机の上の書類を揃えた。
「とはいえ、彼らが廊下で騒いでいては執務の妨げになります。論理的に説得し、解散させましょう」
その日の午後。
王宮の第一ホールにて、法制局と『比喩保存会』による「表現の自由と安全に関する公開討論会」が急遽開催された。
ホールには数十名の詩人や文化人が集まり、熱気に満ちている。
アルノルトはホールの奥の玉座に座り、立会人としてこの奇妙な討論を見守ることになった。
壇上に立ったラファエルは、大仰な身振りで聴衆に語りかけた。
「言葉とは、現実という名の荒野に咲く一輪の薔薇です! 比喩や隠喩がなければ、我々は自らの心の機微を、目に見えぬ美しさを、どうやって他者に伝えればよいのでしょうか! 王の言葉にこそ、国を導くための詩的な美しさが必要なのです!」
詩人たちから「その通りだ!」と拍手と歓声が上がる。
対するユリウスは、壇上の端に設けられた長机に座り、手元には分厚い台帳と赤ペンだけを置いていた。
「モーン殿の主張する『美しさ』は理解しました」
ユリウスは平坦な声で切り出した。
「では、その『美しい比喩』が、公の場で陛下のお口から放たれた場合、この王宮にどのような物理的被害をもたらすか、一件ずつ具体的に査定してみましょう」
ユリウスは台帳を開いた。
「モーン殿。あなたが先日の式典用に提出し、私が全削除した頌詩の草案第一節。『人々の冷え切った心を溶かす、温かな王の眼差し』。この比喩についてですが」
「ああ、なんと美しい表現か!」
「陛下がこれを公的文脈で断定した場合、王冠は『冷え切ったものを溶かす』という最小の現実化を図ります。結果、王宮の地下氷室の氷が急激に融解し、保存されていた一ヶ月分の生鮮食材がすべて腐敗します。被害総額は金貨三百枚を下りません」
詩人たちの歓声が、ピタリと止まった。
ユリウスは表情一つ変えずに次の行へ移る。
「草案第三節。『新時代の重い扉を開こう』。これも危険です。対象が『扉』と指定されているため、王冠は王宮内の物理的な扉を対象とします。『重い』という条件に合致する最も確実な対象は、宝物庫の防犯扉です。これが昼夜を問わず全開になり、国家予算が盗難の危機に晒されます」
「そ、それは……」
ラファエルの額に汗が浮かんだ。
「さらに第五節。『経済の車輪を回そう』。これを陛下が方針として宣言すれば、王冠は王国所有の荷馬車や郵便馬車の車輪に作用しかねません。停めてある馬車まで車輪が回り始めたら、どうなります? 民間の馬車が無事でも、王国便の荷役と配送は止まります。まず、あなたの詩集を地方へ送る便から」
ユリウスはそこまで言うと、ペンを置いてラファエルを見据えた。
「比喩は美しい。否定はしません。しかし、王冠は、その美しさを解さない。王冠は、言葉の裏にある情緒を切り捨て、冷酷なまでに字義通りに物理現象を発生させます。私が言葉を殺しているのではなく、あなた方の比喩が、物理的に国を殺しかねないのです」
ホールは沈黙に支配された。
詩人たちは、自分たちの愛する言葉がいかに凶器になり得るかを見せつけられ、顔面を蒼白にして震えていた。
「しかし……!」
ラファエルが絞り出すように声を上げた。
「それでは、我々はもはや詩を詠むことすら許されないというのか! 表現の自由は、この国から失われるのか!」
「失われません」
ユリウスは静かに、だがホール中によく通る声で、決定的な事実を宣言した。
「そもそも、法制局が厳格に表現を制限しているのは、『国王陛下が発声する公的文書』のみです」
ユリウスは言葉を区切り、集まった文化人たちを見渡した。
「王以外の民間人や、文化人である皆様が、どのような華麗な比喩を使おうと、王冠は一切起動しません。皆様の表現の自由は、最初から何一つ侵害されていないのです。王宮の敷地内であっても、陛下以外の者が『車輪を回す』と叫ぼうが『扉を開く』と歌おうが、安全です。……という、極めて当然の結論に帰着するのですが」
その言葉が落ちた瞬間。
「……あ、そうか」
詩人の一人が、ぽつりと呟いた。
「俺たちが詩を書く分には、何も問題ないのか」
「なんだ、てっきり言葉の取り締まりが王都全域に及ぶのかと……」
「我々の自由は守られていたのだな!」
ホールに集まっていた文化人たちの間に、安堵の空気が広がった。彼らは「よかった、よかった」と頷き合い、掲げていたプラカードを下ろし始めた。
「ま、待て諸君! 陛下の言葉から美が失われるという国家の損失は……!」
ラファエルが引き留めようとするが、詩人たちは「いや、でも自分たちの詩集が発禁になるわけじゃないなら」「物理事故を起こしてまで比喩を使えとは言えないしな」と口々に言い合い、次々とホールの扉へ向かって歩き出した。
大々的な文化運動であり、言論の自由を問う壮大な抗議活動であったはずの騒動は、わずか十数分で氷解した。
そして、残酷な事実だけが残された。
この『比喩禁止』という言論制限は、エルデン王国において、たった一人――国王アルノルトだけの問題であるという事実である。
「納得がいかん!!」
執務室に戻るなり、アルノルトは長椅子を殴りつけた。
「誰も余の自由のために戦ってくれなかったではないか! あいつら、自分たちの身が安全だと分かった瞬間に散っていきおって! 余にだって言論の自由はある! 美しい比喩を使う権利があるはずだ!」
「陛下のみ、その権利は戴冠式で王冠と引き換えに放棄されました。諦めてください」
ユリウスは全く意に介さず、いつもの定位置に立ち、明日の予定表を開いた。
「一人だけの権利問題など、法制局としては対応の必要がありません。それより、明日の公務の確認です」
「……なんだ。また無味乾燥な読み上げの仕事か」
アルノルトがふて腐れて背を向けると、ユリウスは淡々と読み上げた。
「いえ。明日は、地方から献上された名産品の試食会です」
「試食会?」
「はい。南部で採れた希少な果物や、特産の菓子が並びます。生産者たちも同席し、陛下からの『自由なご感想』を直接お伺いしたいと強く希望しております」
「……」
アルノルトの背中が、ピクリと強張った。
「なお、試食会は公務の文脈で行われます。生産者の前での発言は、公的な評価として王冠に受理される可能性が極めて高いです」
ユリウスの容赦ない宣告が続く。
「味覚という、最も抽象的で、最も比喩に頼りたくなる感覚を、いかにして比喩を用いずに言語化するか。陛下の語彙力が試されます」
アルノルトはゆっくりと振り返った。
その顔は、「自由な感想」という言葉の裏に隠された絶望的な難易度に気づき、引きつっていた。
「……『ほっぺたが落ちるほど美味い』と言えば?」
「王冠が『ほっぺた』を陛下の身体の一部と認識せず、王国支給の装身具などに字義を安全に移せない場合、不発になるか、最悪の場合は周囲の役人の頬の肉を何らかの方法で『落とす』かもしれません。事前禁止語に指定します」
「……『天にも昇る心地だ』は?」
「陛下ご自身は動きませんが、王宮の装具や椅子に作用する可能性は残ります。禁止です」
アルノルトは両手で顔を覆った。
「……余は明日、ただ『うまい』と『まずい』しか言えない味覚の欠如した王になるのか」
「安心してください。私が完璧な食レポの台本をご用意します」
王はユリウスの顔を確かめたが、笑ってはいなかった。




