第6話 信用に足る男
「難しい顔をしているな」
声をかけられて顔を上げると、アルベルト殿下がすぐ隣に立っていた。庭園を歩いていた足を止めて、こちらを見下ろしている。
「殿下」
「何を考えていた」
少し迷ってから、私は正直に答えることにした。
「……ヒロインは、最初からいなかったんじゃないかって、そう思っていました」
「ほう」
殿下は驚いた様子もなく、静かに頷いた。
「お前がずっと誰かを気にしていたのは知っていた。だが、俺には、その〈誰か〉が最初から見えなかった。……もしかしたら、と思ってはいたが」
「殿下も、気づいていたんですか」
「気づく、というほどのことでもない。ただ、俺の目には、ずっとお前しか映っていなかった」
殿下はそう言って、私の隣に腰を下ろした。
「セリーナ」
「はい」
「聞きたいことがある」
いつになく、真剣な声だった。
「俺は、お前の信用に足る男に成れただろうか」
その問いに、私は息を呑んだ。
「好きだ」でも、「俺のものになれ」でもない。
殿下は、まっすぐに、私に問いかけていた。
自分が、信じるに値する人間になれたかどうかを。
(ずるい)
(本当に、ずるい人だ)
私は少しの間、言葉を探した。ずっと考えてきたことを、ちゃんと自分の言葉で伝えたかった。
「殿下は……いいえ」
私は言い直す。
「アルベルト様は、ずっと私を追いかけてくださいました。逃げても、泣いても、みっともないところを見せても、離さないでいてくれました」
殿下の――アルベルトの目が、少しだけ見開かれる。
「だから、もう、信じないという選択肢は、私の中にありません」
「セリーナ」
「私は、あなたの隣にいたいです」
自分の口から出た言葉なのに、驚くほど自然に、すとんと胸の中に収まった。
ずっと、断罪される恐怖から逃げることばかり考えていた。
でも、今、私が選びたいのは、そこから逃げることじゃない。
この人の隣に、いることだった。
◇◇◇
その日の夜、私は自室で、ずっと仕上げていた刺繍を取り出した。
白い布地に、王家の紋章。何度も糸を解いては、やり直した一枚だった。
完成したハンカチを胸に抱いて、私はアルベルトの部屋へ向かった。
「セリーナ? こんな時間に、どうした」
「あの、これ」
差し出したハンカチを見て、アルベルトは一瞬、意外そうな顔をした。
「刺繍か。……随分と、時間をかけたようだな」
「はい。何度もやり直したので」
「それは光栄だ」
少し笑ってから、アルベルトはハンカチを受け取り、大切そうに胸元に収めた。
「これは、どういう意味だと受け取ればいい」
私は、深呼吸をひとつした。
「私の気持ち、です」
「セリーナ」
「アルベルト様、……好きです」
言ってしまってから、猛烈に恥ずかしくなった。顔が熱い。きっと今、私はとんでもなく赤くなっている。
けれど、目の前のアルベルトの顔も、いつもより少しだけ、赤く見えた。
「……そうか」
彼はそう呟くと、私の手を取り、そっと引き寄せた。
「なら、俺も改めて言おう。俺は、お前だけを選ぶ」
その声には、もう迷いも、手探りの色もなかった。
ただ、まっすぐな意思だけがあった。
アルベルトは、私の頬にそっと手を添える。
「参ったな。……セリーナ、君に触れても?」
その問いに、私は一瞬、言葉に詰まった。
――前にも、こんな夜があった。
あのときは、「これが最後だから」と、自分を都合よく納得させて。
でも今は、違う。
もう、逃げるための理由も、終わらせるための言い訳も、必要ない。
「……はい」
自分の意思で、私はそう答えた。




