第六話 その剣は、五人のために
「まず、君の剣だ」
そう言った瞬間、リゼットが目を丸くした。
「……私?」
「ああ」
《白樫の枝》二階の小さな打ち合わせ室。
机の上には、レムナ村の依頼で得た報酬の金貨が並んでいる。ギルドへの取り分や必要経費を引いた、《灰色の翼》の金だ。
それなりの額になった。
だからこそ、使い道は慎重に決めなければならない。
「待って」
リゼットが机へ身を乗り出した。
「それじゃ、私だけでしょう?」
「そうだ」
「そうだ、じゃなくて」
リゼットは俺だけでなく、残る三人を見る。
「みんなで受けた依頼よ。だったら、みんなの装備に使うべきでしょう?」
「昔の私たちなら、全員で仲良く安物を買ってたわね」
セラが椅子の背にもたれたまま言った。その横でガルドが続ける。
「そして全員で弱いまま」
セラがゆっくりとガルドを見た。
「……優秀な生徒だこと」
「教わった覚えはない」
「そういう返しまで覚えたのね」
「勝手に育てないで」
リゼットがため息をついた。
俺は机の上の金貨へ視線を戻す。
「全員に同じ額を使う必要はない」
「でも、それじゃ不公平じゃない?」
「公平と均等は違う」
「……違うんですか?」
フィーネが首を傾げた。
俺は頷く。
「均等なら簡単だ。ここにある金貨を四人分に分けて、それぞれ同じ額だけ装備を買えばいい」
「はい」
「でも、俺たちの目的は四人が同じ値段の装備を持つことじゃない」
四人を見る。
「五人で強くなることだ」
フィーネが机の上の金貨を見る。
「だったら……」
「ああ。今、一番効果が大きいところへ使った方がいい」
「同じにすることと、みんなのためになることは、同じじゃないんですね」
「そういうことだ」
フィーネが納得したように頷いた。
リゼットはまだ少し不満そうだった。
「でも、私だけじゃないでしょう。ガルドの弓だって古いし、フィーネの装備だって――」
「その通りだ」
俺は指を折る。
「ガルドの弓も更新したい。フィーネの装備も初心者向けのものが多い。セラの杖も、いずれ替える必要がある」
「あら」
セラが嬉しそうに俺を見る。
「ちゃんと私のことも考えてたのね」
「当然だ」
セラは髪を払った。
「私って魅力的だもんね。視線を集めちゃう」
「コメントは控えさせてもらおう」
「逃げた」
「そんなことより、リゼットの話だ」
「はいはい、お熱いことで」
リゼットがとっさに何か言いかけたように見えたが、俺は話を続けた。
「全員、装備更新の必要はある。ただ今、一番装備が本人の能力を邪魔しているのはリゼットだ」
「……私?」
「ああ」
俺は彼女の腰にある剣を見る。
元々は悪い剣ではない。リゼットの家がまだ没落する前から使っている騎士剣だ。
だが、長く使われてきた。刃は何度も研ぎ直され、柄も鍔も修理されている。
それ以上に問題なのは――。
「昨日も、リゼットさん何度も剣を気にしてましたよね?」
フィーネが言った。
「え?」
「刃のところを見たり、柄を握り直したり」
リゼットが目を瞬かせる。
「……見てたの?」
「はい」
ガルドも口を開いた。
「斬るたび、音も変わっていた」
「あなたまで?」
「耳はいい」
リゼットは自分の剣へ視線を落とした。
本人も気づいている。だからこそ、余計に言い出せなかったのだろう。
「レムナで見ていて分かった」
俺は言う。
「君は斬撃の最後で力を殺してる」
リゼットが顔を上げた。
「それは……」
「剣を守るためだろ」
沈黙。
否定しない。
「君が弱いから替えるんじゃない」
「……じゃあ?」
「逆だ」
俺はリゼットを見る。
「今の剣が、君について来られてない」
リゼットが何も言わなくなった。
少し離れたところで、セラがじっと彼女を見ている。
何も言わない。
ただ見ている。
数秒。
「……何よ」
先に耐えられなくなったのはリゼットだった。
「何も?」
「その顔やめて」
「私、まだ何も言ってないわよ?」
「だから、その顔が言ってるの!」
フィーネが口元を押さえる。
ガルドがぼそりと言った。
「分かりやすいな」
「ガルドまで!?」
セラの口元が上がる。
「あら。誰のことか分かったの?」
「――っ!」
リゼットの頬が赤くなった。
「もういい!」
「何が?」
「セラ!」
「本当に何も言ってないのに」
「それが一番腹立つの!」
俺には何の話をしているのか分からない。
「とにかく」
話を戻す。
「今、一番大きく戦力を伸ばせるのはリゼットの剣だ」
リゼットはまだ納得しきれないようだった。
「でも、セラの杖だって替えた方がいいでしょう?」
「私は後でいいわよ」
即答だった。
リゼットがセラを見る。
「……珍しいわね」
「何よ、その言い方」
セラは当然のように髪を払う。
「だって私、強いもの」
一瞬。
誰も否定しなかった。
実際、強い。少なくとも魔力量と最大火力に関しては、四人の中でも明らかに突出している。
「魔力はな」
ガルドが言った。
セラが目を細める。
「そこ限定する必要あった?」
「でも、本当にセラさんの魔法ってすごく大きいですよね」
フィーネが言う。
セラの機嫌がすぐに戻った。
「でしょう?」
「この前も、一体だけだったのに、周りの木まで……」
「フィーネ?」
「三本消えた」
ガルドが追撃する。
「敵も消えたわ」
セラは悪びれない。
「結果だけ見れば大成功じゃない」
「成功条件に森林伐採は入ってない」
俺が言うと、セラがこちらを睨んだ。
「細かい男ね」
「君に予算管理を任せたら、敵一体に全額突っ込む未来しか見えない」
セラがにっこり笑った。
「とっても素敵じゃない」
「肯定するな」
「私に全部使っていいって言ったら、一番大きい魔法を撃てる杖を買って、残りは全部触媒ね」
「やっぱり全額使う気じゃないか」
「目的は一貫してるわよ」
「破壊か」
「火力」
「言い換えただけだ」
「似た言葉を分解するの好きでしょう?」
「今それを俺に返すのか」
セラは胸を張った。
「有言実行ってできる女の子でしょ」
「その言葉は、もう少し有益な行動に使え」
フィーネが笑う。リゼットもつられて少し笑った。
セラの今の杖は、魔力消費を大きくする代わりに威力を引き上げる作りになっている。ただでさえ大きな魔力を持つセラとは、ある意味で相性が良すぎた。
火力だけなら申し分ない。
問題は、本人まで火力を最優先したがることだ。
細かく指示すれば器用な戦い方もできる。レムナでも、それ以前の護衛依頼でも実際にやっている。
ただ、長く続くと露骨に機嫌が悪くなる。
本人いわく「ちまちましていてじれったい」らしい。
「だから今は、リゼットでいいの」
セラが言った。
「次に私たちの番が来た時、遠慮しなければいいでしょ」
ガルドが頷く。
「俺もそれでいい」
「私もです」
フィーネも続いた。
リゼットは三人の顔を順番に見る。
「……分かった」
ようやく折れた。
「でも、変なもの買わないでよ」
「そのために実物を見に行く」
「もう決めてるわけじゃないの?」
「買い替えることを決めただけだ。何を買うかは見てから決める」
セラがため息をついた。
「こういうところだけ妙に几帳面なのよね」
「こういうところ以外もだ」
「自覚あるんだ」
「悪いことか?」
「会話が長くなる原因ではあるわ」
◇
昼前。
俺たちは《白樫の枝》を出て、街の中心部を抜け、職人街へ向かった。
大通りには荷馬車が行き交い、その両脇には食堂や宿、雑貨屋が並んでいる。そこから少し外れると、景色が変わった。
金槌の音。炉から上がる煙。革と油の匂い。
鍛冶屋や革職人、弓職人の工房が集まる一画だ。
「どこの店?」
セラが聞いた。
店の名前を告げると、彼女の表情が微妙に曇った。
「あそこ?」
「知ってるのか」
「知ってるわよ」
セラは少し考えてから言った。
「鞘から剣を抜くより先に、客の財布を斬ってくる店よ」
「高いのか」
「高いわよ。腕も値段も」
ガルドが言う。
「腕が悪くて高いよりいい」
セラが振り向いた。
「それ、財布を斬られる側の台詞?」
「俺は買わない」
「急に他人事になったわね」
フィーネが少し不安そうに俺を見る。
「でも、そんなに高いお店で大丈夫なんですか?」
「予算内だ」
セラがため息をつく。
「その一言で安心できるの、ちょっと悔しいのよね」
「なぜ悔しい」
「もっと勢いだけで散財する男なら馬鹿にしやすいのに」
「さっき全部触媒にすると言っていた人間に言われたくない」
「私はいいの」
「何がだ」
「派手だから」
「理由になってない」
◇
店は、外から見るとそれほど大きくない。
だが扉を開けた瞬間、俺は足を止めた。
剣、槍、斧、弓、盾。
壁にも棚にも、置けるところには武器が並んでいる。
高級店と聞いていたから、もっと整理された店を想像していた。
違った。
商品の説明はなく、値札すら付いていないものがある。明らかに質の良さそうな剣が棚の奥に追いやられ、その前には別の武器が無造作に立てかけられている。
「相変わらず、買わせる気のない店ね」
セラが言った。
奥から太い声が返ってくる。
「買いたい奴が買えばいい」
五十を過ぎたくらいの男が姿を現した。腕は太く、前掛けには煤が付いている。
店主というより、今でも鍛冶場に立っている職人そのものだった。
セラが俺を見る。
「ほらね」
「……」
「今ものすごく何か言いたそうね」
「今日は剣を買いに来た」
「偉い。我慢できた」
何を褒められているのか分からない。
店主がリゼットの腰の剣を見る。
「替えるのは嬢ちゃんのか」
「はい」
「使い方は?」
「基本は片手です。必要なら両手も」
「魔力は通すか」
「通します」
店主は何本か剣を選んだ。
一つ目は、細身で軽い剣。
リゼットが握り、店の奥にある試し振り用の空間で振る。速い。
「どうだ?」
「悪くないです。でも……少し軽すぎるかも」
二つ目は、魔力を通しやすい剣。これも悪くない。
三つ目は、頑丈さを重視した剣。
それでも違う。
リゼットが剣を替えるたび、俺は剣そのものより彼女を見ていた。
足。肩。肘。手首。
特に見るのは、振り始めより振り終わりだ。
「ずっとリゼットさんを見てますね」
隣でフィーネが言った。
「剣だけ見ても意味がない。使うのはリゼットだ」
「……そうなんですね」
フィーネが少し笑う。
「何だ?」
「いえ、何でもありません」
その向こうでは、セラまでこちらを見ていた。
「今度は何だ」
「何も?」
「その言い方をリゼット相手以外にも使うのか」
「あら。学習してる」
そんなことを話している場合ではない。
俺は店内を見回した。
今の三本。どれも今の剣よりは良い。
だが、リゼットが剣に合わせている。
もっと力を使えるはずなのに。
その時、店の奥にある何本かの長剣の陰に、一本だけ妙に厚い刀身が見えた。
少し長い。装飾もほとんどない。
「店主」
「何だ」
「あれは?」
俺が指差す。
店主がその剣を見る。
「やめとけ」
「どうして?」
「重い」
「それだけ?」
「扱いづらい。重心も普通の剣とは違う。三年以上置いてある」
「出来は?」
店主が少し黙った。
「……出来だけなら悪くない」
「さっきの三本と比べて?」
「上だ」
「なら試させてくれ」
店主が眉をひそめる。
「話聞いてたか?」
「聞いたから言ってる」
店主はしばらく俺を見たあと、肩をすくめた。
「好きにしろ」
奥から剣を引き出す。
リゼットが受け取った瞬間、腕がわずかに沈んだ。
「……重い」
「だから言っただろ」
店主が鼻を鳴らす。
「振ってみて」
俺が言う。
「これを?」
「ああ」
リゼットが構え、踏み込んだ。
剣が風を切る。
確かに遅い。今までより速度は落ちた。
だが。
「もう一回」
「え?」
「同じように振って」
リゼットがもう一度構える。
踏み込み。腰の回転。腕。そして剣。
今度は、はっきり分かった。
「……それだ」
「何が?」
「その剣だ」
リゼットが目を瞬かせた。店主までこちらを見る。
「本気か?」
「ああ」
「こんな重いの?」
リゼットが剣を見る。
「もう一度振ってみてくれ」
彼女は言われた通りに振る。
そして、自分でも気づいたらしい。
「……あれ?」
「どうした?」
「重いのに……」
もう一度振る。
「振りやすい」
店主の眉が動いた。
「そいつを振りやすいと言った奴は初めてだ」
「軽い剣だと、リゼットは最後に力を逃がしてた」
俺は言う。
「壊さないように無意識に抑えてる。さっきの三本も同じだった」
リゼットが自分の手を見る。
「でも、この剣なら?」
「抑えてない」
力を受け止めている。
剣がリゼットに力を与えているわけじゃない。
逆だ。
ようやく、リゼットが本来持っている力を、そのまま受け止められる剣が見つかった。
「何で出来てる?」
俺が聞く。
店主が答えた。
「芯には別の金属も使ってるが、刀身の主材はレムナの鉱石だ」
一瞬、全員が黙った。
「……レムナ?」
リゼットが聞き返す。
「ああ。三年ほど前にまとまって入った時にな。加工しづらい。重い。だが頑丈だ。衝撃にも魔力にも強い」
リゼットが剣を見る。
俺たちが守った村。
そこで採れる鉱石。
狙ったわけではない。ただの偶然だ。
だが、悪くない偶然だった。
「ノア」
セラが小声で呼ぶ。
「何だ?」
「値段」
見る。
高い。
想定していた範囲の、ほぼ上限だった。
「……リゼット」
セラが神妙な顔で呼ぶ。
「何?」
「落とさないでね」
「落とさないわよ」
「傷もつけないで」
「剣よ!?」
「その値段なら私は飾るわ」
「戦うために買うんでしょう!」
リゼット自身も値段を見る。
顔色が変わった。
「待って」
剣を戻そうとする。
「これは駄目」
「何が?」
「高すぎるでしょう!」
「予算内だ」
「ほとんど使うじゃない!」
「装備更新用に確保した金だ」
「そういう問題じゃなくて」
リゼットが振り返る。
「ガルドの弓も、フィーネの装備も、セラの杖もあるのよ?」
「俺の弓はまだ使える」
ガルドが言う。
「私も大丈夫です」
フィーネも続いた。
セラは胸を張る。
「私は強いから」
「それはもう聞いた」
リゼットが即座に返した。
「大事なことだから何度言ってもいいのよ」
「セラ」
俺が呼ぶ。
「何?」
「次の装備更新で一番高いものを要求するつもりだろ」
「あら、よく分かってるじゃない」
「さっき全部触媒にすると言ってたからな」
「だから、リゼット」
セラが急に真顔になった。
「その剣、大事にしてね」
「……値段の話?」
「もちろん」
セラは大きく頷く。
「次の装備予算までまたあなたの剣に消えたら、私の杖が遠ざかるもの」
「結局自分のことじゃない!」
「後でいいとは言ったけど、永遠に後でいいとは言ってないわ」
「欲深いな」
ガルドが言う。
「計画的と言って」
フィーネがくすりと笑った。
「でも、セラさんらしいです」
「フィーネ。それ褒めてる?」
フィーネは少し考える。
「……半分くらい?」
セラが目を見開いた。
「最近この子まで強くなってない?」
「優秀な生徒だな」
ガルドが言う。
「あなたたち、私を何だと思ってるの?」
リゼットが笑った。
それから、もう一度剣を見る。
「……本当に、これでいいの?」
「ああ」
「でも――」
「誰が得するかの話じゃない」
リゼットが俺を見る。
「五人が強くなるために、今どこへ使うのが一番いいか。その答えがこれだ」
剣を指す。
「今は君だ」
セラの眉が上がった。
リゼットがわずかに固まる。
「……へえ」
セラ。
「何だ」
「何も?」
リゼットがすぐに振り返った。
「その顔やめて!」
「私まだ何も言ってないわよ?」
「どうせ変なこと考えてるでしょう!」
フィーネが小さく口を挟んだ。
「でもノアさん、レムナの時からずっとリゼットさんの剣を見てたんですよね?」
「当然だ。劣化状態を確認する必要がある」
リゼットの頬が少し赤くなる。
ガルドが言った。
「結果だけ聞けば、かなり熱心だな」
セラの口角が上がる。
「ほら。第三者の証言も取れたわよ」
「何の証言だ」
「知らなくていいの」
「証言と言った以上、何らかの――」
「もういい」
セラが片手を上げた。
「ロマンに報告書を添付しないで」
「何の話だ」
「そのままでいて」
「意味が分からない」
リゼットが顔を覆った。
「お願いだから、もう聞かないで……」
本当に何なんだ。
「買うのか?」
店主が聞く。
「ああ」
俺は頷いた。
「ただ、一つ聞きたい。この剣は何年ここにある?」
「三年と少しだ」
「なら、値段は――」
「二度下げた」
先回りされた。
「これ以上下げるなら売らん。炉に戻して打ち直す」
俺は剣を見る。
素材そのものにも価値がある。腐るものでもない。
これ以上値を下げる理由が店側にはない。
「分かった。その値段でいい」
「意外とあっさり引くのね」
セラが言った。
「下げられない理由があるなら、時間を使う意味がない」
「そういうところは早いのよね」
そこで、一つ思い出す。
「レムナの鉱石なら、今後またまとまって流れる可能性がある」
店主の目つきが変わった。
「どういうことだ?」
「《白樫の枝》がレムナ鉱山との優先取引権を得た」
「……本当か」
「ああ」
店主は顎を撫でた。
「次に出る時は話を回せ」
「市場価格なら」
「当然だ」
「分かった」
店主は剣を受け取る。
「なら、その嬢ちゃんに合わせて柄と重心くらいは調整してやる」
「代金は?」
「いらん」
セラが俺を見る。
「ちゃっかり得したわね」
「俺は値引きを要求してない」
「そういうのを自然に拾うところが可愛くないのよ」
「得ならいいだろ」
「それはそう」
そこは否定しないらしい。
リゼットは調整へ回される剣を見つめていた。
少し名残惜しそうに。
それから俺たちを見る。
「……ありがとう」
「俺に?」
「みんなに」
リゼットは少し笑った。
「大事に使う」
「それでいい」
ガルドが頷く。
フィーネも笑った。
「似合ってましたよ」
「ありがとう」
セラだけが真剣な顔で言う。
「本当に壊さないでね」
「まだ言うの!?」
◇
それから五日が過ぎた。
リゼットは調整を終えた新しい剣を何度も振り、重さと間合いを身体へ馴染ませた。
ガルドは弓を整備し、矢を補充。セラも今の杖の手入れを済ませている。
フィーネは治療師から、もう冒険へ戻っても問題ないと言われた。
俺はレムナの報告と支出を整理しながら、次の仕事を探した。
そして五日後。
《白樫の枝》一階。
依頼板の前で三枚の依頼書を見比べていると、横からセラの声がした。
「始まった」
「まだ何も言ってない」
「顔がもう比較表なのよ」
「顔で分かるわけないだろ」
「分かるわよ。薬草採取の護衛見てる時より、討伐依頼見てる時の方が眉間が二割深いもの」
「二割は君の主観だ」
セラが笑う。
「そこに食いつくと思った」
リゼットたちも集まってきた。
候補は三つ。
薬草採取隊の護衛。商隊の長距離護衛。そして、街道周辺へ出没している岩殻猪の討伐。
「俺はこれがいいと思う」
最後の依頼書を指した。
岩殻猪。
大型の猪型魔獣で、肩から背中を覆う外皮は岩のように固い。一頭でも複数人での討伐が推奨される。
確認されているのは三、四頭。
本来は森の奥や岩場にいる魔獣だが、この一週間ほど街道周辺で目撃されるようになった。
荷車への突進。馬の負傷。迂回による輸送の遅れ。
依頼主は、この街道を利用している運送商人たちの組合だ。
「討伐ね」
リゼットが依頼書を見る。
「報酬も悪くない」
「ああ。日数も短い」
ガルドが紙を覗き込む。
「場所も近い」
「危険度と報酬の釣り合いも悪くない」
俺は頷いた。
「ただし、依頼主が欲しいのは岩殻猪の死体じゃない」
フィーネが首を傾げる。
「違うんですか?」
「街道を安全に使えることだ」
俺は被害報告を指す。
「猪を倒すのは、そのための手段だ」
セラが依頼書に描かれた猪の簡単な図を見る。
「猪側からしたら、ずいぶん大きな違いね」
「依頼主側の話をしてる」
「猪にも立場はあるでしょう?」
「話し合う気か?」
「通じるなら考える」
ガルドが即答した。
「通じない」
「じゃあ仕方ないわね」
「判断が早いな」
「切り替えの早い女なの」
現時点では、討伐という手段自体に問題はない。岩殻猪を排除すれば、街道は安全になる可能性が高い。
少なくとも、今ある情報だけなら。
「危険度も今の俺たちなら高すぎない。街から近いから、何かあれば撤退もしやすい」
俺はフィーネを見る。
「フィーネは今回は――」
「行きます」
「まだ最後まで言ってない」
「私でも続き分かったわよ」
セラが口を挟む。
「怪我明けの人間を危険地帯へ連れていくか確認するのは当然だ」
「そこまでなら普通」
「そこまで?」
「今から『安全性を考慮すると』って長いのが始まりそうな顔してる」
「俺の顔を何だと思ってる」
「説明書」
「人の顔を読むもの扱いするな」
「読むじゃない」
「そういう意味じゃない」
フィーネが笑った。
「治療師さんにも、もう大丈夫だと言われました。でも――」
一度言葉を止める。
フィーネは、まっすぐ俺を見た。
「怖かったら、ちゃんと言います」
その言葉に、俺も黙る。
怖くないとは言わなかった。
無理もしないと言った。
それでいい。
「……分かった。無理はするな」
「はい」
セラが感心したように頷く。
「短い。成長したわね」
「ただし魔力残量と体調に少しでも――」
「台無し」
「まだ途中だ」
「知ってる。だから止めたの」
リゼットが笑った。
俺は今度は彼女を見る。
「新しい剣は?」
リゼットが腰の剣へ手を置く。
「五日間ずっと振ってた。もう違和感はないわ」
「実戦で使えるか?」
「問題ないと思う」
「訓練と実戦は違う。少しでも違和感があればすぐ言ってくれ」
リゼットが少し笑った。
「分かった。でも最後は実戦で確かめるしかないでしょう?」
「それはそうだ」
視界の端で、セラがじっとリゼットを見ている。
リゼットがすぐに気づいた。
「……何よ」
「まだ何も言ってないわよ?」
「その顔が言ってるの!」
「最近ほんとに早くなったわね」
「誰のせいよ!」
ガルドがぼそりと言う。
「学習した」
セラが彼を見る。
「あなたまでその言葉使う?」
「優秀な生徒だからな」
セラが一瞬黙り、俺たちを見る。
「……最近、本当に私への扱い雑じゃない?」
フィーネが笑った。
少し前なら、こんな空気にはならなかった。
依頼を前にして、誰かが冗談を言い、誰かが返す。それでも必要なことはちゃんと確認する。
俺はもう一度、依頼書を見る。
「俺は岩殻猪の討伐がいいと思う」
そこで言葉を切った。
四人を見る。
「どう思う?」
ほんの一瞬。
リゼットが俺を見る。
ガルドも。
フィーネも。
セラも。
「私は賛成」
最初に答えたのはリゼットだった。
「問題ない」
ガルド。
「私も行けます」
フィーネ。
最後にセラが依頼書を指先で軽く弾く。
「異議なし」
「じゃあ、これにする」
それだけだった。
依頼書を持ち、受付へ向かう。
途中でセラが隣に並んだ。
「珍しいわね」
「何が?」
「ちゃんとみんなに聞いた」
「その方がいいと言ったのは君たちだろ」
「素直に実行するとは思わなかった」
「改善案を提示されて、合理的なら採用する」
セラが呆れた顔になる。
「……やっぱり可愛くない」
「何を期待してた?」
「『みんなの意見を聞く大切さが分かった』とか?」
「意味は同じだろ」
「そこなのよ」
意味が分からない。
受付で依頼を正式に受注する。
その時、依頼書の一文が目に入った。
――ここ一週間ほどで、突然出没するようになった。
本来の生息域からは少し外れている。
「どうした?」
ガルドが聞いた。
「いや」
餌を探して移動した。
縄張り争いに負けた。
繁殖期。
考えられる理由はいくつもある。
今の段階で決めつける材料はない。
「現地で確認しよう」
依頼書を折り畳む。
新しい剣。
新しいやり方。
そして、五人になった《灰色の翼》の次の仕事。
この時の俺たちは、まだ知らなかった。
街道へ現れた岩殻猪が、何かを求めて森から出てきたのではなく。
――森の奥から、逃げてきたのだということを。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
【今回の「異世界マーケティング」】
今回の中心になったのは、
「限られた資源を、どこに使えば最も大きな成果が出るか」
という考え方です。
■公平と均等は違う
今回、《灰色の翼》には装備更新に使える金貨がありました。
全員に同じ金額を配れば、見た目には公平です。
しかし、
・リゼットの剣
・ガルドの弓
・セラの杖
・フィーネの装備
では、それぞれ「今すぐ交換する必要性」も「交換した時に得られる効果」も違います。
そこでノアは、全員へ均等に配るのではなく、
「今、一番戦力向上につながる場所」
としてリゼットの剣へ資金を集中させました。
ビジネスでも、人員・予算・時間などの経営資源は有限です。
すべてへ均等に投入するより、成果への影響が大きい部分へ集中させた方が、組織全体では大きな成果につながる場合があります。
■ボトルネックへの集中
今回のリゼットは、本人の実力ではなく「剣」が力を制限していました。
つまり、《灰色の翼》の戦力を伸ばすうえで、現在のリゼットの剣が一つのボトルネックになっていたわけです。
リゼット本人をさらに鍛えるよりも、
「すでに持っている力を出せる剣を与える」
方が、短期間で大きな戦力向上につながります。
弱い部分を何となく全部改善するのではなく、
「今、一番成果を止めているものは何か?」
を見つけることが重要になります。
■目的と手段を分ける
後半の岩殻猪討伐でも、ノアは同じように考えています。
依頼書には「岩殻猪を討伐する」と書かれています。
しかし依頼主である運送商人たちが本当に欲しいものは、
「岩殻猪の死体」
ではありません。
「街道を安全に使える状態」
です。
つまり、
目的=街道の安全
手段=岩殻猪の討伐
という関係になります。
今回は現時点の情報では討伐が妥当なので、そのまま依頼を受けています。
マーケティングでも重要なのは、
「相手が要求している手段」だけを見るのではなく、
「その先で相手が本当に実現したいこと」を見ることです。
そして今回、もう一つ大きく変わったものがあります。
ノアは最後に、
「俺はこれがいいと思う」
で決めず、
「どう思う?」
と四人に聞きました。
第五話で決めたことを、大げさに宣言するでもなく、普通に実行しています。
リゼットの剣一本に資金を集中させることを、五人全員が「自分たちの強化」として受け入れた。
今回のタイトル、
『その剣は、五人のために』
には、そんな意味を込めています。
そして最後。
なぜ本来は森の奥にいる岩殻猪が、突然街道へ現れたのか。
次回、《灰色の翼》は新しい剣を携えて、現地へ向かいます。
引き続きよろしくお願いします!




