第五話 五人で間違える
夜が明けても、俺は眠れなかった。
正確には、眠らなかった。
レムナ村の集会所。借りた机の上には、何枚もの紙が散らばっている。
魔狼十二体。
三体死亡。
一体捕獲。
二体は支配術式を失い、森へ逃走。
残る六体は魔獣使いとともに北へ撤退。
人的被害。
死者、ゼロ。
負傷者、八名。
重傷者、二名。
第二穀物庫、焼失。
備蓄食料、およそ二割を喪失。
そして――。
魔獣使いの捕縛、失敗。
事実だけを書き出していけば、何が起こったのかは驚くほど綺麗に整理できた。
問題は、その下だった。
俺は最後の一行を書く。
『作戦失敗原因――指揮官による感情的判断』
ペン先が一瞬だけ止まった。それでも、その下へ続ける。
『再発防止策――次回以降、作戦指揮権を別の人間へ移管することを推奨』
「……それで終わらせるつもり?」
すぐ近くから声がした。
顔を上げると、いつの間にか机の向こうにリゼットが立っていた。俺ではなく、書き終えたばかりの報告書を見ている。
「いつからいた?」
「あなたが自分を作戦から外そうとしてるところから」
リゼットが顔を上げた。左腕には包帯が巻かれている。
「ノア。あなた、また逃げるつもりでしょう」
「逃げるんじゃない。原因を取り除くだけだ」
「言い方を変えれば、逃げたことにならないの?」
「今回の失敗原因の一つが俺であることは事実だ」
「だから自分を外すの?」
「同じ条件を残せば、同じ失敗が再発する可能性がある。それを減らすのは当然だ」
リゼットの眉間に皺が寄った。
「あなたね――」
「朝から元気ねえ」
場違いなほど軽い声が飛んできた。
振り向くと、扉にもたれたセラがこちらを眺めている。その少し後ろにはガルドもいた。
「……いつからいた」
「『原因を取り除く』あたり。朝食より味の濃い話してたから、入るタイミング逃したの」
「聞いていたなら入ればいいだろ」
「男女が朝から見つめ合ってたら、一応遠慮するじゃない?」
「見つめ合ってない!」
リゼットが即座に否定した。
セラが立ち止まる。
「あら。そっちは聞いてないけど」
「……セラ」
「はいはい。続きは後でね」
「何の続きよ!」
セラは答えず、机までやって来ると俺の報告書を持ち上げた。
「おい」
「秘密?」
「違う」
「ならいいじゃない」
「許可を取る意味は何だったんだ」
「礼儀」
「実行しろ」
セラはもう読んでいた。視線が最後の二行で止まる。
「へえ」
嫌な間だった。
「原因はノア、と」
「そうだ」
「世界って便利ね」
「……何がだ?」
セラが顔を上げた。
「何が起きても、最後にノアのせいにすれば片付くんだもの」
「撤退命令を出したのは俺だ」
「うん」
「魔獣使いを逃したのも――」
「魔狼を村へ連れてきたのもあなた?」
「違う」
「穀物庫に火をつけた?」
「違う」
「グラウスを昔この村から追い出した?」
「俺が生まれる前だ」
「じゃあ三件無罪。よかったわね」
「そういう話ではない」
「そういう話よ」
セラは報告書を机へ落とした。
「あなた一人の判断で全部壊れたみたいに言ってるけど、そこまで偉くないわよ」
「俺はそんなつもりで――」
「責任の範囲だけ世界征服するの、やめたら?」
横で小さく息が漏れた。
リゼットが口元を押さえている。
「……ふっ」
「リゼット」
「ご、ごめん。でも……責任の範囲だけ世界征服って……」
セラが得意げに腕を組む。
「いい表現でしょう?」
「褒めてないわよ」
俺は額を押さえた。
「最終判断をした人間が責任を負うのは当然だ」
「ええ。全部自分ってことにすれば、とっても分かりやすいものね」
「事実を整理しているだけだ」
「はいはい。また理屈で城壁作り始めた」
「城壁ではない。責任分界を――」
「増築しないで。話が進まない」
「君が脱線させているんだろう」
セラが一瞬、目を丸くした。それから口角を上げる。
「あら。言うようになったじゃない」
「事実だ」
「最近のノア、ちょっと面白くなってきたわね」
「俺は面白さを求めていない」
「そこが面白いのよ」
リゼットがまた小さく笑った。
セラは今度は彼女へ視線を向ける。
「笑ってる場合じゃないわよ。あなたも同じ病気なんだから」
「誰と?」
セラが俺を指差した。
「これ」
「同じじゃない!」
「同じじゃない」
リゼットと俺の声が重なった。
セラが満足そうに頷く。
「ほら。症状まで同じ」
「どこがよ!」
「リゼットは『私が前に立てば、みんなが傷つかない』」
リゼットが止まる。
次にセラは俺を見る。
「ノアは『俺が全部決めれば、みんなが責任を負わなくて済む』」
そして二人を交互に見た。
「剣持ってるか報告書持ってるかの違いしかないじゃない」
「……全然違うわ」
「そう?」
セラがリゼットを上から下まで眺めた。
「まあ、リゼットの方が脚は綺麗だけど」
「そこ!?」
「違いを探したの」
「探さなくていい!」
「ノアの脚も評価する?」
「結構だ」
「即答ね」
「比較する意味がない」
「理由までつけるのがノアよね」
リゼットがとうとう吹き出した。俺も、少しだけ口元が緩む。
セラはそれを見逃さなかったらしい。一瞬だけこちらを見たが、何も言わなかった。
俺にはこの女の思考回路が分からない。
人間関係についてだけなら、前世を含めた俺よりよほど頭が回るんじゃないかと思うことがある。
そのくせ戦闘になると、『面倒だからまとめて燃やさない?』などと言い始める。
知性とは、本当に均等には配られないらしい。
「……あの」
小さな声がした。
全員が振り向く。
扉の近くにフィーネが立っていた。
「フィーネ!」
リゼットがすぐに駆け寄る。
「寝てなきゃ駄目でしょう」
「でも……皆さんの声が聞こえて」
まだ顔色は悪い。肩にも腕にも包帯が巻かれている。
昨日の光景が脳裏に戻った。
炎。煙。崩れた梁。
動かないフィーネ。
胸の奥が冷たくなる。
フィーネは俺を見ると、申し訳なさそうに俯いた。
「……私のせいですよね」
「違う」
自分でも驚くほど強い声が出た。フィーネの肩が小さく跳ねる。
「でも、私がリオ君を探しに行かなければ――」
「フィーネは関係ない。作戦を中止したのは俺だ」
「でも――」
「はい、そこまで」
セラだった。
フィーネへの声だけ、明らかに温度が違う。
「フィーネ。こっち来なさい」
「え?」
「怪我人を立たせたまま責任会議するほど、私たち性格悪くないから」
セラは椅子を引き、フィーネを座らせた。近くにあった毛布まで肩に掛ける。
「今ね、大人たちが誰のせいか押し付け合ってるところ」
「逆だ」
俺が言う。
セラは振り返った。
「知ってる」
「ならなぜそう言った」
「逆方向に押し付け合ってるから余計に面倒なのよ」
フィーネが小さく笑った。
セラはその頭を軽く撫でる。
「ところでフィーネ」
「はい」
「今日、もう謝った?」
「……今ので一回目、でしょうか」
「じゃあ次から有料ね」
「有料?」
「謝るたびに甘いもの一個」
「誰に払うんですか?」
セラが自分を指差す。
「私」
フィーネが数秒考えた。
「それ……セラさんが食べたいだけじゃないですか?」
「元気じゃない」
「え?」
「安心した」
フィーネがぽかんとした後、ふっと笑った。
「セラさん、意地悪です」
「知ってる」
その言い方は、妙に優しかった。
「さて」
セラが全員を見る。
「一回だけ整理するわよ」
フィーネを指す。
「フィーネは、自分のせいにしたい」
俺。
「ノアは、フィーネにそう思わせたくないから、自分のせいにしたい」
リゼット。
「リゼットは、そのノアを見て腹が立ってる」
最後にガルドへ視線を向けた。
「ガルドは――」
「俺は怒っている」
ガルドが自分から遮った。
セラはすぐに口を閉じる。
「そう。じゃあ、自分で言いなさい」
ガルドが俺を見る。
「ノア」
「ああ」
「俺はお前を信じた」
短い言葉だった。
「三回鐘が鳴れば、俺が判断する。そう決めた」
「ああ」
「だから待った」
俺は答えられない。
「北の退路は塞げていた。魔獣使いは、あと少しだった」
「……分かっている」
「分かっていない」
即座に返された。
「お前は、俺の能力を信じていたと言うだろう」
まさにそう答えようとしていた。
ガルドは続ける。
「能力の話じゃない」
「……」
「俺は、お前を信じた」
一度だけ言葉を探した。
「だから、お前にも俺を信じてほしかった」
胸に重く落ちた。
俺はガルドへ仕事を任せた。
だが最後の瞬間、判断そのものは渡さなかった。
「……ガルド」
セラが口を開いた。
「なんだ」
「喋れるじゃない」
ガルドの眉が動く。
「今そこか?」
「大事件よ。今日だけで一週間分くらい喋ったわよ」
「燃やすぞ」
セラが一瞬、目を丸くする。
「……今の返し、悪くない」
「そうか」
「あ、喜んだ」
「喜んでない」
セラがリゼットを見る。
「今ちょっと喜んだわよね?」
「ちょっとだけ」
「見るな」
フィーネまで笑う。
セラは満足そうにガルドを見る。
「いいわね。育ってる」
「育てられた覚えはない」
セラが止まった。
「……今の、かなりいいわね」
「そうか」
「私の後継者になれるかも」
「断る」
「そこは一秒くらい悩みなさいよ」
場の空気が、少しだけ軽くなった。
その空気が落ち着くのを待ってから、リゼットが俺へ向き直る。
さっきまでの怒りは、もうなかった。少し迷うように視線を落とし、それから俺を見る。
「……ノア」
「何だ」
「もう一つ、聞きたいことがあるんだけど。いい?」
「ああ」
「あのとき……どうして三回、鐘を鳴らさなかったの?」
「それは、青の救援信号が消失した時点で、火災の拡大速度とフィーネたちの生存可能性、それに救助へ投入できる人員を――」
「その説明、日が暮れるわよ」
セラが切った。
「まだ説明の途中だ」
「途中でその長さなのが問題なの」
「判断の過程を説明するなら必要な情報だ」
「へえ」
セラが妙に感心した顔をした。
「感情を数字でおめかしして。ノアって意外とオシャレさんなのね」
「……何の話だ」
「さあ?」
「俺は理由を説明している」
「その理屈、立派ね」
セラが俺を見る。
「で、いつノア本人の話が始まるの?」
言葉が止まった。
「リゼットは作戦報告を頼んだわけじゃないでしょう?」
それだけ言うと、セラは黙った。
答えまでは言わない。
俺が理屈で積み上げた逃げ道だけ蹴り倒して、何事もなかったように引いた。
リゼットも急かさなかった。ただ、俺を見ている。
「……ノア」
「……」
「あのとき、どうして?」
頭の中では説明できる。
いくらでも。
青の救援信号。
火災の拡大速度。
生存確率。
魔獣使いを捕らえる価値。
作戦を中止した場合に失うもの。
全部。
「……怖かった」
ようやく、それだけが出た。
リゼットは何も言わなかった。ただ待っている。
その沈黙に耐えられなくなった。
「怖かったんだよ!」
声が跳ねた。
「青い光が消えた瞬間、フィーネが死んだと思った!」
昨日の光景が蘇る。
「三回鳴らすのが正しかった!」
「ガルドに判断を任せるべきだった!」
「魔獣使いを捕まえれば、この事件を終わらせられた!」
「そんなこと全部分かってた!」
分かっていた。
頭では、全部。
「でも、その間にフィーネが死ぬかもしれないと思った!」
フィーネの肩が震えた。
「そんなの、どうでもいいって思ったんだ!」
「村も、証拠も、作戦も!」
「フィーネが死ぬくらいなら、全部失敗してもいいと思った!」
口にしてから、自分でも息を呑んだ。
最低だ。
指揮官が言っていい言葉じゃない。
でも、もう止まらなかった。
「次はセラかもしれないと思った」
セラの表情から笑みが消えた。
「ガルドかもしれない」
ガルドは何も言わない。
「リゼット――」
言葉が詰まった。
目が合う。
「君かもしれないと思った」
リゼットの瞳が僅かに揺れた。
「そんなの嫌だった」
もう理屈には戻れなかった。
「お前たちの誰かがいなくなるのが嫌だったんだよ!」
喉が震える。
「俺が思っていたより、ずっと……」
一度、息を吸った。
「俺は、こいつらを好きになっていた」
言ってから、自分で何を口にしたのか理解した。
静かだった。
穴があったら入りたい。
「……困ったわね」
セラが言った。
「何がだ」
「ここまで格好悪く本音を言われると、怒りづらい」
「格好悪いは余計だ」
「あら」
セラの口元に笑みが戻った。
「もう言い返せるなら大丈夫そうね」
「君は本当に……」
「褒める?」
「褒めない」
「でしょうね」
フィーネが目元を拭っている。ガルドは静かに俺を見ていた。
リゼットは――。
まだ俺を見ている。
その横で、セラがゆっくりリゼットへ視線を向けた。
何も言わない。
「……何よ」
リゼットが先に反応する。
「何も?」
「その顔やめて」
「私の顔?」
「絶対何か考えてるでしょう!」
「別に?」
「その『別に』が怪しいのよ!」
セラが僅かに笑う。
「ノアが最後だけ名前じゃなくて『君』って言ったことなんて、全然気にしてないわよ?」
「私も気にしてない!」
一拍。
セラの笑みが深くなった。
「聞いてない」
「――っ!」
リゼットの頬が一気に赤くなる。
「セラ!」
「なあに?」
「絶対わざとでしょ!」
「何が?」
「もう!」
フィーネが笑った。
ガルドも僅かに口元を緩めている。
俺には意味が分からない。
「セラ」
「何?」
「今の会話の論点は――」
「あなたは入ってこなくていい」
「なぜだ」
「ほら、もう分析し始めた」
「状況を理解していないだけだ」
「そのままでいて」
「意味が分からない」
「リゼットには分かるわよ」
「分かってない!」
リゼットが叫ぶ。セラは楽しそうだった。
少しして、フィーネが俺を見る。
「ノアさん」
「何だ」
「昨日は……ありがとうございました」
「だが――」
セラがこちらを見る。
「今から『だが』の後に長い説明始めたら、甘いもの二個ね」
「なぜ俺まで罰金対象なんだ」
「フィーネのお姉さん権限」
「いつ制定された」
「さっき」
「独裁じゃないか」
「あなたが言う?」
フィーネがくすくす笑う。
「私、本当に嬉しかったです」
その言葉で、俺は黙った。
「昨日……本当に死ぬかと思いました」
毛布を握り締める。
「怖かったです」
少しだけ声が震えた。
「でも、皆さんが来てくれて」
フィーネは笑う。
「助けてもらえて、嬉しかったです」
「……そうか」
「はい」
そして少しだけ背筋を伸ばした。
「だから次は、私もちゃんと言います」
「何を?」
「怖いとか」
少し考える。
「できないとか」
さらに。
「それでも、やりたいとか」
自分で言ってから、フィーネ自身が少し驚いたようだった。
「……分かった」
俺は頷いた。
それから四人を見る。
「じゃあ」
一度言葉を選ぶ。
「俺は、どうすればよかった?」
リゼットが答えた。
「聞けばよかったのよ」
ガルドが続ける。
「任せろ」
フィーネも言った。
「一人で決めなくていいと思います」
最後にセラを見る。
「セラは?」
「間違えればいいんじゃない?」
「……何?」
「五人で」
セラはあっさり言った。
「一人で完璧にやろうとするから、一回間違えただけで世界が滅んだみたいな顔するのよ」
「そこまでの顔はしていない」
「してる」
「主観だ」
「また始まった」
「何がだ」
「理屈」
「理屈は必要だろ」
「ええ。ノアから取ったら半分くらい何も残らないもの」
「半分も残るなら十分だ」
セラが一瞬止まった。そして笑う。
「今の好き」
「知るか」
「だから、そういうのでいいのよ」
セラの声が少しだけ柔らかくなった。
「五人で間違えて、五人で直せばいいじゃない」
「作戦としては随分雑だな」
「人生を作戦表にする方が雑よ」
「……それは論理的ではない」
「ほらまた」
「何だ」
「ノアがノアに戻った」
「最初から俺だ」
「そうね」
セラは少しだけ嬉しそうに笑った。
「それでいいんじゃない?」
俺が考える。
リゼットが決める。
ガルドが見る。
フィーネが守る。
そして、セラは――。
「何よ」
見ていたのがばれた。
「いや」
「今、私だけ役割が思いつかなかったでしょう」
「……」
「図星なの!?」
「人を見る係でいいんじゃないか」
セラが止まった。
「何それ」
「得意だろ」
「……まあ」
珍しく少しだけ言葉に詰まり、髪を耳に掛けた。
「悪くないわね」
ほんの少しだけ嬉しそうだった。
「次からは」
俺は四人を見る。
「俺の判断がおかしいと思ったら、止めてくれ」
「今まで止めてなかったと思う?」
セラが即座に返す。
「……確かに」
「むしろ、もう少し素直に止まりなさい」
「合理的な理由があればな」
「ほら、もう面倒」
リゼットが笑った。
ガルドも。
フィーネも。
俺も、少しだけ笑った。
たぶん。
これでいい。
◆
その日の午後。
北へ偵察に出ていた村人から報告が入った。魔狼の足跡は、村から遠ざかっている。ガルドも確認した。
捕らえていた《黒杭傭兵団》の男からも、断片的ながら情報を得た。
撤退。
黒杭は、この仕事を切った。
魔狼の半数を失い、操っている事実も知られた。魔獣使いまで捕縛寸前まで追い込まれ、村の警戒網も整っている。
これ以上続ければ、利益より損失が大きい。
合理的な判断だった。
ハウゼン商会は当然のように関与を否定した。こちらにも、直接結びつける証拠はない。
今の《白樫の枝》が正面から追及する相手でもない。
ならば、今は追わない。
残る問題は一つ。
グラウス。
その答えは夕方に出た。
村の西側から警笛が鳴った。
古い水路跡を使い、一人の男が侵入した。
右腕を負傷したグラウス。
狙いは、リオの祖父。
だが、今度は村人が先に見つけた。
警笛を鳴らし、ガルドが痕跡を追う。リゼットが現場へ向かい、俺のもとへ伝令が来た。
「西の空き地へ追い込んでいます!」
「リゼットは?」
「捕まえられる、と!」
「ガルドは?」
「北側の退路を塞いでいます!」
頭の中で状況を組み立てる。
侵入口。逃走経路。人数。負傷状況。
俺なら――。
一度、止まった。
「リゼットは、捕まえられると言ったんだな?」
「はい!」
「分かった」
それだけだった。
「任せる、と伝えてくれ」
伝令が走る。
三十分後。
グラウスは捕縛された。
俺が考えた作戦ではない。
リゼットが追い込み、ガルドが退路を塞ぎ、村人たちが周囲を固めた。
セラは――。
「だから水路に火球撃ち込めば早かったと思うのよ」
戻ってきた本人は不満そうだった。
「水路ごと崩れるでしょう!」
リゼットが怒鳴る。
「逃げ道は塞げたわよ?」
「グラウスも証拠も一緒に埋まるわよ!」
「……それは困るわね」
「今気づいたの!?」
「だから君に指揮は任せられない」
俺が言う。
セラがこちらを睨んだ。
「結果的には捕まったじゃない」
「君の案を採用しなかったからだ」
横でガルドがぼそりと言った。
「燃やすことしか考えていないからな」
セラがゆっくり振り返る。
「ガルド」
「なんだ」
「今の、かなりいい」
「そうか」
「間も良かった」
ガルドが僅かに頷く。
リゼットが呆れた。
「本当に習ってる……」
フィーネが笑った。
「ガルドさん、少し嬉しそうですね」
「違う」
セラがすぐに食いつく。
「あら?」
「違う」
「二回言った」
「違う」
「三回。相当嬉しいのね」
「セラ」
「何?」
「……うるさい」
セラが少し考える。
「今のは普通」
「難しいな」
「真面目に悩まないで!」
全員が笑った。
◆
翌朝。
レムナ村から正式に依頼達成が告げられた。
魔狼の排除。襲撃原因の解消。人的被害、死者なし。
第二穀物庫は失った。食料も二割を失った。
完全な勝利ではない。
それでも。
村は残った。
リオも生きている。
「お姉ちゃん」
出発前、リオがフィーネのところへ駆け寄った。
「ありがとう」
何度も頭を下げる。
以前のフィーネなら、
『私なんて何もしていません』
そう言ったかもしれない。
だが今回は。
「はい」
フィーネは少し照れながら笑った。
「無事でよかったです」
それだけだった。
自分への感謝を否定しなかった。
少し離れたところで、セラがそれを見ている。
何も言わず、満足そうに笑っていた。
◆
帰り道。
以前の《灰色の翼》とは、明らかに空気が違っていた。
「ところでリゼット」
セラが歩きながら声をかける。
「何よ」
「帰ったらノアと二人で反省会?」
リゼットが勢いよく振り向く。
「なんで二人なのよ!」
「三人でもいいけど。私、邪魔?」
「そういう話じゃない!」
「じゃあどういう話?」
「知らないわよ!」
「本人が知らないのが一番面白いのよね」
「セラ!」
前を歩いていたガルドが、振り返らずに言った。
「邪魔だろう」
全員が止まる。
ガルドも数歩先で足を止め、こちらを振り返った。
「……違ったか?」
セラがゆっくり近づく。
「ガルド」
「なんだ」
「悪くない」
「そうか」
「でもちょっと早い。もう少しリゼットを泳がせてから刺すの」
「なるほど」
「真面目に習わないで!」
リゼットが真っ赤になる。
フィーネが笑った。
俺も笑う。
「ノアまで!」
「悪い」
「全然悪いと思ってないでしょう!」
「今のノア、いいわね」
セラが言う。
「何がだ」
「笑うようになった」
「以前から笑っている」
「季節行事みたいな頻度だったでしょう」
「君が騒がしいから増えただけだ」
セラが少しだけ目を丸くした。
「あら」
「何だ」
「それ、かなり上等な褒め言葉よ」
「褒めてない」
「照れなくていいわよ」
「照れてない」
ガルドが横から言った。
「ノアもセラ相手だとよく喋るな」
今度はセラが止まった。
俺も少し考える。
「……確かに」
「ノアまで納得しないでよ」
リゼットが笑う。
ガルドが続けた。
「相性がいいんじゃないか」
セラが目を細める。
「ガルド」
「なんだ」
「今の誰に教わったの?」
「お前だ」
セラが黙った。
リゼットの笑い声が大きくなる。
「やられてるじゃない」
「……育ちすぎたわね」
「だから育てられていない」
また笑いが起きた。
◆
《白樫の枝》へ帰還した。
机の上に、今回の報酬を並べる。
現金。村からの謝礼。そして、レムナ鉱山で採れる鉱石を優先的に取引できる権利。
「それで?」
セラが机を覗き込む。
「何に使うの?」
「装備を更新する」
四人がこちらを見る。
リゼットが尋ねた。
「全員?」
「いや」
俺は首を振った。
「均等に使う意味はない」
昔の四人なら、この一言だけでも少し空気が変わったかもしれない。
誰が多く取るのか。
誰が我慢するのか。
だが今は、誰も何も言わない。
俺は続けた。
「最も戦力増加幅が大きい場所へ優先して使う」
リゼットを見る。
「まず、君の剣だ」
「……私?」
「ああ」
その横から。
「あら」
セラが一言。
リゼットが即座に振り向く。
「何よ」
セラが首を傾げる。
「何も?」
「その顔で何もないわけないでしょう!」
「私、まだ一言しか言ってないんだけど」
「その一言に全部入ってるの!」
「最近、自白が早くなったわね」
「何の自白よ!」
俺は二人を見る。
「セラ」
「何?」
「何の話だ」
セラは俺を見る。
次にリゼット。
また俺を見る。
「あなたは知らなくていいの」
「またそれか」
「知らない方が面白いもの」
「理由になっていない」
「始まった」
「何がだ」
「せっかくいい空気なのに、理屈で殴ろうとする男」
「俺は理由を聞いているだけだ」
「ほらね」
「セラ!」
リゼットが声を上げる。
「なあに?」
「余計なこと言わないで!」
「まだ何も言ってないわよ?」
「もう十分言ってる!」
フィーネが笑う。
ガルドも僅かに口元を上げた。
セラは誰より楽しそうだった。
俺も。
気づけば笑っていた。
少し前まで、この四人は同じパーティーにいるだけだった。
俺も、その横に立っていただけだった。
今は。
うるさい。
面倒だ。
理屈通りには動かない。
予定通りにもならない。
それでも。
悪くない。
一人が間違えれば、残りの四人がいる。
別の誰かが間違えれば、今度はまた残りがいる。
正解を出し続ける必要なんてない。
五人で間違えて。
五人で直せばいい。
たぶん。
それが――チームというものなのだろう。
【今回の「異世界マーケティング」】
今回の中心は、マーケティングそのものというより、
「組織づくり」と「マネジメント」に関する考え方です。
■心理的安全性
心理的安全性とは、
「分からない」
「怖い」
「できない」
「反対だ」
といったことを口にしても、その人の居場所や役割が失われない状態を指します。
ノアはこれまで、仲間たちの弱点を受け入れ、それぞれに役割を任せるようになっていました。
しかし一方で、
「指揮官である自分は怖がってはいけない」
「自分だけは正しい判断をしなければならない」
と考えていました。
つまり、仲間には弱さを許しながら、
自分自身には許していなかったわけです。
今回ノアが変わったのは、
理屈っぽくなくなったことではありません。
ノアは今後もおそらく理屈っぽいままです。
ただし、その理屈の後ろにある自分自身の感情まで仲間に見せても、
自分の役割や居場所は失われない。
そのことを少しだけ知ることになりました。
■属人化と権限委譲
優秀な一人に判断を集中させると、
短期的には非常に効率のいい組織になることがあります。
しかし、その一人が判断を誤った瞬間、
組織全体が止まってしまう。
これが「属人化」の怖さです。
ノアはリゼット、セラ、ガルド、フィーネへ役割を渡していました。
しかし最後の判断だけは、
自分自身が握ったままでした。
ガルドの、
「俺はお前を信じた。だから、お前にも俺を信じてほしかった」
という言葉は、
仕事を任せることと、
判断そのものを任せることは違う、
という意味でもあります。
■ポストモーテム/失敗分析
失敗したとき、
「誰が悪かったのか」
だけで原因を整理すると、非常に分かりやすくなります。
しかし、それだけでは再発防止にならない場合があります。
セラの、
「世界って便利ね。何が起きても、最後にノアのせいにすれば片付くんだもの」
という皮肉は、今回のテーマそのものです。
ノアが判断を誤ったのは事実です。
しかし同時に、
「なぜノア一人の判断ミスだけで、作戦全体が崩れる構造になっていたのか」
まで考えなければ、本当の改善にはなりません。
今回、《灰色の翼》が手に入れたものは、
一人で正解を出し続ける強さではなく、
「誰かが間違えても、五人で修正できる強さ」
でした。
そして次は――。
その五人の力を、
今度はもっと目に見える形で伸ばしていくことになります。




